他者論を乗り越えて⑮ ジャック・ラカン

今回はぁ、フランスの哲学者、ジャック・ラカンを紹介しまぁす。彼の有名な功績を揃えてみたいなぁ。

ジャック・ラカン(1901-1981)の思想が注目された主な点は以下の通りです。

・フロイト理論の革新的再解釈:「フロイトへの回帰」を掲げ、フロイトの精神分析を構造主義言語学の観点から読み直した点
・言語論的転回:「無意識は言語のように構造化されている」という命題により、精神分析に言語学的アプローチを導入した点
・鏡像段階論:幼児が鏡に映る自己像を通じて自我を形成するという独創的な発達理論を提示した点
・象徴界・想像界・現実界の三界理論:人間の精神構造を三つの位相で捉える独自の理論枠組みを構築した点
・主体概念の刷新:デカルト的な統一的主体を批判し、言語によって分裂した主体という概念を提示した点
・構造主義運動との連動:レヴィ=ストロース、アルチュセールらと共に1960年代フランス思想界を牽引した点

ラカンは難解な文体と独創的な概念により、精神分析・哲学・文化理論に大きな影響を与えました。

ジャック・ラカンの思想は、当時、どういう点で注目されたのか、

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女子語

フロイトは「無意識」を発見したことで有名ですが、ラカンは、フロイトの「無意識」をより高次なものへと昇華すべく言語的な無意識を提起しました。

ルネ・ジラールに言わせると「欲望」は他人の「模倣」です。
私の「欲望」は他者の「欲望」です。
ジャック・ラカンによれば私とは他者です。
私の言語は他人の言語です。
ラカンは言います、「私の無意識は他者の言語によって構造化されている」と。
ジャン・ボードリアールによれば、私たちは商品を消費しているのではなく、「差異」を、「記号」を消費しているのです。
消費社会の商品はただの物品ではなく、「記号」なのです。 そ
れによって私というものを他人に誇示するための「記号」です。
それが人間の固有に有する「欲望」です。

なぜ欲望があるのですか。


画像
欲望の三角形の図

名言「私の無意識は他者の言語によって構造化されている」

  • 無意識は一つの言語として構造化されている。

  • 人間の欲望は他者の欲望である。

私の無意識は、他者の使用した言語で構造化されている、ということが考えられます。しかし、ラカンは、自分の思考や思想に形づくられた無意識があることも懸念していました。いわば、日本語で無意識が構造化されていると言えるでしょう。脳神経科学で言えば、無意識野で日本語として構造化されている、ということかと思われます。

一人の人間が、何かを感じ、それを思考し、解釈し、理解し、反応するなどの一連の行為を突き動かしているのが「無意識野」であるとフロイドは言っているのです。

意識と思考の違い

フロイドは、何かを感じ、それを志向し、それを思考していくさま、および解釈し、理解し、反応するといった一連の動作の源泉となる無意識野であると考えていました。ラカンは、この無意識野がわれわれの聞く言語で変移していくさまを指摘したかったのです。構造化されているということは、言語に影響を受けた無意識系があるということになります。無意識がある種の日本語に構造化されている側面もあれば、どんな言語にも構造化されていない無意識もあると思われます。

一、感情的無意識という新たな分野へ

感情的無意識には、言語的な解釈が難しい無意識野であります。誰かが笑った笑い声を聞いて、声質の微妙感があって不満であるという感情があるとき、無意識野には不快な声質として記憶されます。微妙という思考や感情をしないうえでは、無意識野においても微妙という言語が適用されません。そもそも、無意識には微妙という観念は発生しなかったと見受けられます。無意識的自我において全く自覚しない言語活動が行われる。われわれは、言語にできない感情を、何に還元してしまうかと問いうる。それは、「感じたこと」「見たもの」という体験的還元に押し入れることである。声質を聞いて不快感という現象があったときには、不快感という言語でその現象を語り得ようとする。声質を聞いてあとから誰の出した声が判明したときに、あの方の声だとその現象を語り得ようとする。(ウィトゲンシュタインいわく、語り得ないのは、情報が足りなかったから、という不充足理由がある。)他に、挨拶をしたときに、感情が伴わないケースが多くあるが、挨拶して気分がよいと感じることは可能であるし、相手の挨拶を受けての反応も現象として加味される。しかし、それでも現実を理解することは難しい。

二、象徴界と想像界と現実界

ラカンによれば、現実とはけっして言語で語り得ないものであるが、同時に人間は現実を言語によって語るしかない、という一見逆説的なテーゼが成り立つ。

逆説説

現実を言語で語り得ないというのがラカンの哲学的根本にある。現実界においては、ラカンは、現実を知ることができない、とフッサールのように心の認知についても不可能であると説く。わたくしは最近まで現実界という概念を誤解していた。というのも、現実の様々な状況や事態を語ることが現実界という概念のうちに集約されると考えていたからである。しかし、ラカンは、現実とはけっして言語で語り得ないものである、と説いている。さらに、現実は知ることができない、と彼は説いている。象徴界というのにしては様々な弁明が可能である。記号としての世界、が象徴界で、イメージとしての世界、が想像界である。記号としての世界=象徴界において、ハートマークはイメージとしての世界=想像界における想起を掻き立てる。ハートマーク💛を見るとうっとりする効果をえられる。ハートマークを見て、「わたしのこと好きなのかしら」とイメージすることもある。(象徴界が想像界に影響を与えることがある。)象徴界において、ハートマークの形状変化、および複数性を貴慮するとき、記号の無限性に突き当たることが考えられる。イメージにおいても、妄想の自由というものがある。イメージは絵画のように無限に描けるような感も否めない。記号にしてもイメージにしてもそれを語ろうと努力するところに、勉学の必要性というものが現前化している。言葉を学び、様々な考え方を学んだうえで、自分ひとりで考えてみたり他者と対話したりして思想を煮詰めていく。そこにようやく学問の王様たる<私>が現れる。<私>は全てを知っているとしたらどうだろうか。それでも語り得ない現実は続くだろうか。否、すべてを学んだうえでは、言語によって語るしかないとされる人間だとしても、すべてを語り得る人間である。


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