あすこま

49.4K posts
Opens profile photo
あすこま
@askoma
PCF_LABEL_NONE
国語科(作文/読書)。洗足→筑駒→風越学園→福山平成大。『君の物語が君らしく 自分をつくるライティング入門』amzn.to/3w8nwnE(2024)、共編『中高生のための表現読本』(2025)&『中高生のための文章読本』(2022)、共訳『イン・ザ・ミドル ナンシー・アトウェルの教室』(2018)。

あすこま’s posts

Pinned
Amazonで書影が出ました!『君の物語が君らしく 自分をつくるライティング入門』4/23発売。他者の評価から一度逃れて、発見や自己内対話としての書くことの魅力を伝える本です。これまでの作文指導、特に風越学園での「作家の時間」の経験をベースに書きました。
「あ、いまこの人は傾聴の技術を使って聞こうとしてるな」とわかると、急に冷めて話したくなくなる瞬間ってありません? 技術を使って聞こうとしてくれてるんだから、本来とてもありがたいはずなんだけど、「こう聞けばこうなるはず」という、操作の対象として見られる気持ち悪さなのかな。
娘の小学校の道徳の課題で「ブラジル人の転校生がピアスをしていて、注意しても母からの大切な贈り物と言ってやめません。あなたはどう言いますか」という課題が出たらしいんだけど…とりあえず子どもの権利条約を読ませている。
国は国立公園内の登山道の整備にすらお金使ってなくて、地元の山小屋の皆さんや山岳会の皆さんがボランティアでやってる現状なんですよ。力を入れる優先順位が違うし、身銭を切って登山道の整備や救助まで担ってくれてる山小屋の人に対する敬意があまりにない話だと思う。news.yahoo.co.jp/articles/844c0
「自分に尖った強みがないと、社会を生き抜くことができない時代」って、端的に言って地獄だと思うんですよ。ほとんどの人にはすごく尖った強みなんてないし、むしろ弱さだらけだし、そういう人たちが普通に幸福に暮らせる社会を構想・実現するのが教育の役割の一つじゃないかなと思う。
Quote
教育新聞
@kyoiku_shimbun
#先生に贈る言葉 これからは自分に尖った強みがないと、社会を生き抜くことができない時代です。社会で強みとなる力をどう中学・高校段階から培っていくかが大切なのだと感じています。 #本間朋弘 横浜創英中学・高校副校長 全国に示す新しい学校像 kyobun.co.jp/article/202401
僕は子どもを「かわいい」と感じることがほぼ全くなくて、小学校は向いてないなと思うことも多いのだけど、ある人に、子どもを子ども扱いしない強みもあると言ってもらえた。確かに僕は学校にありがちな「愛情でコーティングされた子どもの権利侵害」には敏感で、大抵子どもの権利を守る側に立つ。
妻とのメッセージのやりとりでちょっとした誤解が生じたため「日本語は難しいねえ」と書いたところ、「言語を用いた相互理解が難しいのであって、別に日本語が特権的地位にあるわけではないのです」との返事が即座に来た。
小林さやかさん(ビリギャル)の今回の発言を見ると、大学院修士課程で学習科学を学び、いままたコロンビア大で認知科学やってる人でさえも、生存者バイアスを排除するのは難しいんだなと思う。僕も努力できちゃう人だから、この罠はわかるなあ…
好きな谷川俊太郎の詩をアップしている人がたくさんいるので、僕も「泣いているきみ」を。数年前に、頑張りやで、時々泣いてしまう中学生の誕生日に贈った詩。
小3息子の作ったボードゲーム「天正壬午の乱」が完成。プレイヤーは徳川家康、上杉景勝、北条氏政のどれかを選んで、本能寺の変後の甲斐・信濃・西上野の平定をめざす。これからやります。
荻生田文科省の発言を聞いた中2娘が「文科省の大臣が、新制度が格差を助長すると認めてて、しかもそれが悪いと思ってないってことでしょ。一個人がそう思うならともかく、仮にも文科大臣の言うことじゃないでしょ」と真っ当な指摘をしていた。ほんとだよ、キャスターも「なるほど」じゃないでしょ。
たいていの人は、自分が本当に話したいことに、話しながら気づいていくものだ。書くことも同じ。書かないことには、自分が何を書きたいのか知ることはできない。書くことが、書きたいことを生んでゆく。
僕は国語の授業ではわざと初発の感想を手を抜いて書いて、授業で読みが深まったことをアピールする小学生でしたが、教育機関が生徒の「伸び」を真面目に評価しようとなんかしたら、そういう「伸び」の演出合戦になることは火を見るより明らか。愚の骨頂です。
イギリス人に「これをラム肉につけると絶対に美味しい、私はこれが大好きで、これを食べずにイギリスの料理を語って欲しくない」とまで言われたミントソースをラム肉につけたら絶句するほどまずくて、イギリス料理の深淵を覗き込んだ。
各校がコロナ対策をようやくまとめて帰路に着く頃に全国休校宣言でちゃぶ台をひっくり返され、さらにその対応に必死になってやっと生徒を帰した頃に「基本的な考え方なので柔軟に」とか言われたら、そりゃあ現場は怒るでしょ。
いま小3息子が泣きながら「生きてる意味とか考えると眠れなくなった…」と言ってきたので、「そうかー、じゃあお父さんと一緒に考えようか?」と言ったら、「いや、やっぱり意味なんか考えずにただ単純に生きれば良いんだよ」とあっさり立ち直ってまた寝に帰った。
「おとうさん、戦いごっこしよう!」と言ってきた息子(5歳)が「正義と悪にする?それとも正義とほかの正義?」と聞いてくるので、最近の子どもは複雑な世界で生きてるんだろうなあと。
「6年生では6年生の漢字が読めて、5年生までの漢字が書ければいいんだよ」「中学校で新しく習う常用漢字は、読めればよくて、書ける必要はないんだよ」という学習指導要領の基準を児童に実際に伝えてる先生ってどれくらいいるんだろう。自分は伝えてるよっていう方、いますか?
もうちょっと言うと、僕は対教員であれ対生徒であれ、「これからの時代は〜だから、〜しないと生きていけない」と大きく語る論法が嫌いです。この話法の多くは「こちら/あちら」を分断して、不安を煽って「こちら」の側に他者を招き入れようとする、取るに足らないパフォーマンスだと思ってます。
新担任のクラスになった小6娘に「いい先生みたいでよかったじゃない」と言ったら、「まだまだ。5月6月が勝負。その頃になると先生にも慣れが出てきて、本性が出てくるから」と答えてきて笑った。大人も子どもも同じようなこと考えてるな。
新しい中学校の転入初日を終えた娘が「フレンドリーを売りにしてるっぽい若い男の担任が、いきなり私の名前を呼び捨てにしてきた」と大変不機嫌だった。僕も小学3年生の時に、学年の教師が断りなくこちらの名前を呼び捨てにしてきて、なんと失礼な大人がいるのだと驚いた記憶をまだ持っている。
「生徒の授業態度が悪かったり寝たりするのは授業がつまらないからで、授業者に全責任がある」というのは、あくまで教員が自分への戒めに使う言葉であって、実際には教師だけに責任があるということはないし、まして苦しんでいる教員に向かっていう言葉じゃないと思います。
「Aさんが私の悪口言ってたってBさんが教えてくれた。だからBさんは信頼できる」系の話は学校でもときおり聞くのだけど、そのたびに「そのBさんは別に君の味方じゃないよ、距離おいた方がいいよ」と言うかどうか迷ったな。一番タチ悪いのはBさんだと個人的には思ってる。
もともと高い授業コンテンツを持ち、色々な意味で余力もある国私立の有力校が、恵まれた家庭の通信インフラにも助けられて一気にオンライン化を進める一方で、僕の知る公立校では登校日にワークブックを渡してそれ以降事実上放置、みたいな事例を見ると、正直複雑な思いがする。
10/16発売『中高生のための表現読本 語感を磨くレトリック選』amzn.to/4nAQmmfは、「論理と文学」「読むと書く」をつなぐアンソロジー。編者は筑駒国語科の森大徳、開成国語科の石丸恵彦、詩人の向坂くじら、風越のあすこま(澤田英輔)。前著『文章読本』同様の手引きもついて、なんと990円!
語彙も背景知識もない高校生が評論を精読することがどれだけ困難か、高校の現代文教員はよくわかってるはず。評論の読み方を教えれば解決するなんてことないですよ。語彙、スピード、スタミナは多読で身につけるしかなくて、それは講義では教えられない。
電車内モニターでの「西洋ノコギリは大工仕事以外の目的でも使われます、何でしょう?」というクイズに「拷問!」と即答した妻、正解が「楽器」であることに納得してない様子。
イギリスって食材は悪くないと思うんだけどなあ、特にデヴォン州は乳製品が安いし。妻「イギリス料理はまずくないのよ、イギリス人が料理しなければ」はほんと至言である。
教職は、生徒を肯定しつつも同時に否定(「あなたはまだまだ学ばないといけない」)もしないといけない仕事で、そこが福祉(「ありのままのあなたでいいよ」)との違いだと思う。その否定の権力の象徴が「赤ペン」で、包丁と一緒で、必要だけど取扱注意なんだろうね。
「アンパンマンのマーチ」の中に「愛と勇気だけが友達さ」という歌詞があります。...これは、戦う時は友達を巻き込んじゃいけない、戦う時は自分一人だと思わなくちゃいけないということなんです」(やなせたかし『わたしが正義について語るなら』ポプラ社)
注意しなさいというのは、事故が起きる前に言う言葉。事故にあった人にかける言葉じゃない。「痛かったね、怖かったね、もう大丈夫だよ」以外にかける言葉なんてないんだよな…。いい大人のくせに、そんなこともとっさにできない自分が、恥ずかしかった昨夜の出来事でした。以上。
以前は「原理で理解すれば簡単なのになんで変に暗記しようとするんだろう」と不思議に思ってたけど、「原理で理解できる」のは一部の賢い子で、それを求められるとわからないままで学習が苦しくなる子がたくさんいる現実もある。長らく賢い子だけの学校にいたので、そういうことがわかってなかった。
文科省の人が作る書類やポンチ絵見ると、「キーワード主義」なんだなというのはよくわかる。有名な本から色々なキーワードをよく引っ張ってきて手際よくまとめてるけど、実は元の本と使われる文脈が違う、みたいなのがけっこうある印象を持ってる。
教員側が、zoomなどのオンラインを介して教室と同じような「集団のつながり」を作ろうとすると、そこでは「つながりたくない子ども」の自由が著しく侵されてしまう。zoomのブレイクアウトルームとか、その場から逃げ出せない感じ。「ビデオを停止する自由がある」ことを子どもに伝えるべきなのかな。
まあこういうデータを出すと「本を多く読むと言ってもどうせラノベでしょ」と言ってくる御仁がいるのだが、だったら最初から「最近の若者は俺好みの本を読まない」と言うべき。
まあ、教師が率先して「一体感のあるクラスに」「みんなで盛り上がろう!」とかやってて、それが「いいクラスづくりだ」「力のある先生だ」と評価されてるうちは、いじめはなくならないと思う。
先月、「最近ベネッセを悪く言う人がいるけど、ベネッセは教育のことを真剣に考えている!」とおっしゃる方に、「世界征服をたくらむ悪の組織も、世界のことを真剣に考えていたでしょうね」と返してしまった。いえ、冗談ですよ。
中学受験は、「失敗」した子だけでなく、「成功」した子にもダメージを与えうる。なにしろ、自分がサバイブに成功したあの苛烈な世界観から自分自身を引き剥がして、その世界観を相対化して捉えるのは、10代の子には容易ではない。
時々書くけど、教師は評価権を手に子どもたちの権利を制限する権力者なんですよ。「いや、自分はコーチング的に伴走してて」とか「ファシリテーターとして子どものやりたいを実現してて」とか言う人含めて、みんな権力者なの。それを自覚するからこそ、自省や自制が働くんですよ。これ大事よ。
【お尋ね】小学校の国語の授業の中で、週1時間を「図書」の時間等と名づけて図書館で本を読んですごす...という学校、かつてより減っている印象があるのですが、みなさんの学校ではどうでしょう? 低学年ではまだあるのかな。このへんをちゃんと調査してくれてる人いないのかなあ...。
「本を読んでこなかったので、絵が多かったり文字が大きかったりしてないと読む気がしないけど、精神的には大人びてるので、内容的に中学年向けの児童書はイヤな高学年女子」にぴったりの本をご存知の司書さんや読書教育界隈の方、ぜひ教えてください!
Quote
あすこま
@askoma
個人的にいま欲しいのは、「本を読まないまま小学高学年や中学生になった女子向けの、恋愛やいじめを含んだ人間模様を描いた、小学校中学年レベルの文字の大きさやルビ、語彙の本」だなあ。実際の小学中学年女子向けの本は、彼女たちには精神年齢が幼すぎて手に取る気がしないんだよね。
「世界に一つだけの花」について妻が「花屋にある時点でエリートなんだから、あれでオンリーワンとか言うの、中学受験でエリート校に入った子たちを個性的って言うようなもんで笑っちゃいますよね」って言ってた。上村さんも似たようなこと言ってたけど、辛辣かつ的確な評である…。
「そうだとしてもそれはそのタイミングで言うことじゃない」というのがある。昨夜、息子が銭湯で転んで額を4針縫う怪我をしたとき、血まみれの息子に驚いて思わずかけた言葉が「大丈夫?足元滑るよって言ったのに」だった自分を思い出して、落ち込みながら学校へ。
読書教育で大事なのはPOP作りとか帯作りとかビブリオバトルじゃないんですよ、そんなのは日常の読書を飾る一過性のイベントです。本丸は「日常の読書」そのものを教室の中に持ち込むことなのです。
指導困難校には指導困難校に必要な指導力があるし、進学校には進学校に必要な指導力があるんだから、どっちが上か、とか真の実力かとか、言わなくていいじゃないかな....。指導困難校の実力ある教員でも筑駒に来たら厳しい人もいっぱいいるし、その逆もいっぱいいるよ、たぶん。
この共通テストの国語で求められてる「複数の大量の文章を短い時間でざっと読んで情報処理する能力」って、まさに一番AIで代替されそうなものじゃんねっていう気もするよね…。
最近の僕は、教育者としてあまり熱心ではないかも。例えば「高校生以上になると、国語教育を受けてきた子たちの半数が不読者になり、それが老年まで続く」という事実に対して、「そもそも読書という行為が人間にとって誰にもストレスなくできる行為ではないからだろう」と考えている。だから(続)
10/16発売の『中高生のための表現読本 語感を磨くレトリック選』amzn.to/4nAQmmf (990円) の書き手の一覧。文豪から、たぶん国語の先生でも知らない方まで。小説家、詩人、翻訳家、エッセイスト、哲学者、装丁家、料理研究家、音楽評論家、警察...多彩な書き手による多彩なアンソロジーです。
Image
「作者の気持ち」がここ30年くらいの教科書で実際にどれくらい問われているのか、誰かに調べて欲しいよね。ほとんどない(あったとしても例外的じゃないか)とは思うのだけど、それでも「国語教育=作者の気持ち」という俗説がまかり通るのは面白い。