禁じられた音。言葉は予言になる。名前をつけないことで、可能性を封じ込めろ。
館の最奥に、封印された部屋がある。
扉には、何も書かれていない。
取っ手もない。鍵穴もない。
ただ、厚い木の板が、固く閉ざされている。
新しい職員が尋ねた。
「あの部屋には、何があるのですか」
私は答えなかった。
ただ、静かに首を振った。
「名前をつけてはいけないものが、ある」
言葉には、力がある。
名前をつけることで、存在が固定される。
概念が形を持つ。そして、現実になる。
だから、ある種の言葉は、発してはいけない。
なぜなら、その言葉を口にした瞬間、
それが、近づいてくるから。
ある言語学者は、こう言った。
「古代の人々は、悪魔の名を呼ばなかった。
なぜなら、名を呼べば、悪魔が現れると信じて
いたから」
それは迷信だろうか。
いや、違う。
それは、言葉の本質を理解していた証拠だ。
戦争という言葉。
それを口にすることは、
その概念を脳内に召喚することだ。
会議で「戦争の可能性」と語る。
ニュースで「戦争のリスク」と報じる。
SNSで「戦争が起きるかも」と呟く。
その瞬間、人々の意識が、その方向に向く。
まだ何も起きていない。
しかし、言葉が先に可能性を開いてしまう。
ある心理学者の実験がある。
二つのグループに、同じ状況を説明した。
一方には「紛争が激化している」と伝えた。
もう一方には「戦争が始まるかもしれない」と
伝えた。
結果、後者のグループは、
より攻撃的な選択肢を選んだ。
言葉が違うだけで、行動が変わった。
「戦争」という言葉が、
暴力を正当化してしまったのだ。
言葉は、予言になる。
「失敗するだろう」と言えば、失敗する。
「無理だ」と言えば、無理になる。
「戦争になる」と言えば、戦争が、近づく。
なぜなら、人間の脳は、
言葉に引きずられるから。
ある国の指導者は、
絶対に「戦争」という言葉を使わなかった。
どんなに緊張が高まっても、
「対話」「調整」「外交努力」
としか言わなかった。
側近が尋ねた。
「なぜ、現実を言わないのですか」
指導者は答えた。
「言葉が、現実を作るからだ。
私が『戦争』と言った瞬間、
国民の意識がそちらに傾く。
軍が動き出す。後戻りできなくなる」
逆に、別の指導者がいた。
彼は、頻繁に「戦争」という言葉を使った。
「戦争も辞さない」
「戦争の準備を」
「戦争になれば」
その言葉が、国民を煽った。
メディアが反復した。SNSが拡散した。
そして、本当に、戦争になった。
言葉には、重力がある。
一度発せられた言葉は、空気中に漂う。
それを多くの人が繰り返せば、重さが増す。
やがて、それは、落ちてくる。
現実として、落ちてくる。
だから、禁じる。
「戦争」という言葉を、使わない。
「敵」という言葉を、使わない。
「殲滅」という言葉を、使わない。
それは、現実逃避ではない。
それは、言葉の重力から、逃れる試みだ。
ある平和活動家は、こう言った。
「平和を語る時、戦争の反対語として語るな」と。
「戦争のない状態」
それは、消極的な平和だ。
戦争という概念を前提にしている。
そうではなく、「共存」「調和」「対話」
戦争という言葉を必要としない概念で語れ、と。
言葉を変えれば、思考が変わる。
思考が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、現実が変わる。
全ては、言葉から始まる。
ある学校では、ある実験をした。
生徒同士の喧嘩が絶えなかった。
「やっつける」「潰す」「負かす」
そんな言葉が、日常的に飛び交っていた。
教師は、ルールを作った。
「暴力的な言葉を、使わない」
最初、生徒は反発した。
「言葉くらい、いいじゃないか」
しかし、ルールは徹底された。
半年後、喧嘩が減った。
言葉を失ったことで、
暴力という選択肢が、思いつかなくなったのだ。
戦争という言葉を使わないことは、
戦争を忘れることではない。
むしろ、逆だ。
戦争という言葉を安易に使うことで、
その重みが失われる。
日常語になり、軽くなり、抵抗がなくなる。
禁じることで、その恐ろしさを、保存する。
ある老人の話がある。
彼は、戦争を体験した。
多くを失い、多くを見た。
しかし、彼は決して「戦争」という言葉を
口にしなかった。
孫が尋ねた。
「おじいちゃんの時代には、何があったの?」
老人は答えた。
「名前をつけてはいけないことが、あった」
その沈黙が、孫に伝えた。
言葉にできないほどの
言葉にしてはいけないほどの
何かが、あったのだと。
封印された部屋の話に戻る。
その部屋には、過去の記録が保管されている。
写真、手紙、証言。全て、あの時代のもの。
しかし、扉は開かない。
なぜか。
「中のものに、名前をつけてしまうから」
私は言う。
「一度名前をつければ、それは言葉になる。
言葉になれば、繰り返される。
繰り返されれば、現実になる」
だから、封印する。
扉を閉じ、
名前を呼ばず、
言葉を禁じる。
それは忘却ではない。
それは、最も深い記憶の形だ。
書斎で、原稿を書く。
ある言葉を書きかけて、消す。
その言葉を書けば、読者の脳内にそれが浮かぶ。
浮かべば、可能性が開く。
書かないことで、閉じる。
言葉には、創造する力がある。
ならば、言葉を封じることには、
破壊を防ぐ力がある。
窓の外、静寂が広がっている。
鳥が鳴き、風が吹き、木々が揺れる。
その静けさの中に、名前のないものがある。
呼んではいけない。
語ってはいけない。
近づけてはいけない。
だから、黙する。
言葉を飲み込み、
音を殺し、
ただ、沈黙で、守る。
それが、言葉を知る者の最後の責任だから。
深海、静寂のなかで


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