「フランス語を話さなかった」で航空会社トップが辞任へ カナダ首相「適切」 決定打が“旅客機事故”ではなかった特殊事情

カナダの航空最大手エア・カナダのCEOが辞任を表明しました。直前に起きた旅客機事故ではなく、事故後の声明で「フランス語をほとんど話さなかったこと」が引き金でした。背景にはカナダの社会の特殊性があります。

フランス語尊重の背景

 しかしながら、カナダ全体で見るとフランス語を主に話す人は20.2%にとどまり、英語の56.6%を大きく下回ります。計13の州・準州で見ると、フランス語だけを公用語とするケベック州のほかに、英語とフランス語の両方を公用語としているのは東部ニューブランズウィック州、北西部ユーコン準州、ノースウエスト準州、中部ヌナブト準州にとどまります。

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アメリカ首都ワシントンのロナルド・レーガン空港でのエア・カナダ・エクスプレスのCRJ900型。事故機と同型(大塚圭一郎撮影)

 カナダ全体ではフランス語が英語に比べて劣勢なのは自明です。にもかかわらず、カナダ連邦政府がフランス語の使用を公用語法で義務付け、1982年憲法の「権利と自由に関するカナダ憲章」でフランス語系文化やフランス語の保護を定めてきたのはなぜでしょうか。

 背景にあるのは、1971年に世界で初めて多文化主義を国策として採用するなど「多様性がカナダの強み」(駐日カナダ大使館のローリー・ピーターズ首席公使)という世界で見ると特殊な土壌があります。さらに、分離・独立運動が繰り広げられてきたケベック州をつなぎ留めることに腐心してきた連邦政府としては、重要な場面でフランス語を二言しか発しておらず“フランス語軽視”と受け止められかねないルソーCEOの発言を放置できなかったと筆者は受け止めています。

 ケベック州は、フランス人の探検家サミュエル・ド・シャンプランが1608年に設けた植民地をルーツとします。イギリスとフランスのカナダを巡る抗争で1759年にイギリス軍によって占領され、1763年のパリ条約でカナダ全体がイギリス領となりました。

 それが1867年のカナダ連邦成立でケベック州となり、現在もフランス系カナダ人が多数派を占めます。カナダ政府の2021年の調査によるとケベック州では84.1%がフランス語を中心に使っており、英語とフランス語の両方とも流ちょうに話せるのは全体の46.4%と半分未満でした。

 1995年にはケベック州のカナダからの独立を問う住民投票があり、反対が50.58%と賛成の49.42%を僅差で上回って残留しました。ただし、ケベック州には「独立志向を持っている住民が今もかなりいる」(州民)のが実情です。

 ルソーCEOにとってさらに災いしたのは、亡くなったパイロットのうち1人がケベック州出身だったという事情もありました。ルソーCEOは動画メッセージへの批判を受けて「私がフランス語を話せないことが、ご遺族の深い悲しみや、ここ数日の出来事にもかかわらず卓越したプロ意識を発揮してくれたエア・カナダの従業員の力強い取り組みに対する注目をそらしてしまったことを深く悲しんでいる」と遺憾の意を示しました。

 エア・カナダは2026年3月30日、取締役は後任のCEO候補を選ぶに当たって「フランス語でのコミュニケーション能力を含めたいくつかの業績の基準を考慮する」と明言しました。カーニー首相も「エア・カナダの次期CEOは(英語とフランス語の)バイリンガルであることが不可欠だ」と注文を付けています。

【写真】「フランス語話せない」で辞任のエア・カナダCEO

Writer:

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。

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