「今日の昼食はどうした」
と、ノルガユは厳めしい顔で言った。
「定められた刻限を一刻も超過している。何をしているのだ、ドッタ、速やかに用意せよ!」
「わかってるよ」
ドッタは一気に憂鬱になった。この男に叱責されるのはまったく納得のいかないことだが、反論しても意味がない。
一応、ザイロあたりは反論することで百回に一回くらいは事情をくみ取ってくれる。ノルガユの場合はそれが一切ない。だからこういうときは、ため息しか出ない。
「ぼくだってお腹空いてるんだから、もうちょっと待っててよ」
言いながら、ドッタは釣竿を振る。
芋虫をつけた釣り針が、かすかな音を立てて川に沈む。大河カドゥ・タイの流れは静かだが、底は見通せない。ただ、魚はいるはずだ――ドッタたちの胃袋を満たすどころか、漁業が成り立つほど豊富にいる。
「すぐに用意するからさ……きっと。いや、たぶん。……用意できるといいな……」
「遅すぎる。貴様のことだ、もしかしたら役目を怠っているかもしれんと思い、余が直々に様子を見に来てやったのだ。何をしているのかと思えば――」
ノルガユはドッタの手にある釣竿を一瞥した。
「よもや、釣りとはな。釣果はどうなのだ」
「見ればわかるでしょ……」
ドッタの傍らには、片手で抱えられる程度の桶がある。そちらを覗き込んだノルガユは、大いに顔をしかめた。
「たったの三匹ではないか! 余の分と、あとせいぜい二人分にしかならん!」
「え、自分の分が確実なの? 釣ってるのぼくなのに……」
「そもそもこれでは栄養が偏る。小麦か米はどこだ。芋でもよい。当然、野菜と果物も必要になる」
「ぜんぶないよ。今日は魚だけ! たぶん明日と、明後日も!」
うんざりした気分でドッタは叫んだ。
しばらくの間は、まっとうな食事は我慢しなければならない。保存食糧も携行しているが、そちらはさすがに慎重に使うべきだ。ドッタにもそのくらいの判断はできる。その中でもっとも栄養価の高いものといえば「肉麩」であり、それを積極的に食べる気にはならないというのもある。
それもこれも、今回の仕事が懲罰勇者の単独巡回任務だからだ。
同行している部隊や、付近に民家などあればそちらを狙って「調達」することもできる。だが、こんな辺境で数日にわたる移動が必要となれば、絶対的に食糧が足りなくなる。懲罰勇者部隊にはまともな支給が行われないせいだ。
通常の部隊より少ない量であればまだマシで、分配の担当者や役人が「手数料」とばかりに一部を横領していることもある。
「馬鹿な。ドッタ、貴様は余の国庫と財政をあずかる者ではないか」
「あ、そうなんだ……国庫と財政……」
初耳な気がしたが、いちいち反応するのも馬鹿げている。ノルガユの発言に整合性を求めていたらきりがない。
「その貴様が、なぜ食糧を不足させる。国庫が枯渇したとでもいうのか! 説明せよ!」
「いつも枯渇してるよ……。でもまあ、理由はなくもないけど」
正確に言えば、ドッタは数日前までは食糧を豊富に買えるだけの資金――というより、金品を複数保持していた。それが一気に失われたのは、理由がある。
「今回の任務、ニーリィと一緒だからね」
懲罰勇者部隊の中で、もっとも大量の食糧を必要とするのがニーリィだった。
そして彼女の食糧こそが、いかなる場合でも最優先で調達される。それはジェイスの圧力のせいもあるが、ザイロがそれを承諾しているというのも大きい。あの二人が一致させている意見は、すなわち懲罰勇者部隊の意見そのものとなる。誰も逆らえる者がいないからだ。
「いくらなんでも、足りなくなったんだよ。おかげでぼくは魚釣り。ツァーヴは狩りに出てる。……あっちの方が可能性あるかもね」
「ふむ。……ちなみにドッタ、貴様、釣りの経験は豊富なのか。勝算があって釣りをしているのであろうな」
「ないよ。ほとんどない」
ドッタの場合、人から盗む方が早いからだ。釣りのように根気強さを必要とする行為は、根本的に向いていない。
「夕方まで粘って、だめなら帰ろうかなって……。ちなみに陛下、釣りとかは?」
「そのような雑事を余が得手とするとでも思っているのか」
「だよね……」
「だが、手伝うことはできる。これを見よ」
「え」
ノルガユは、背中に負っていた荷袋を差し出してみせた。
その口をくつろげると、ドッタにも中身が見える。金属と布地を組み合わせた、服――とも鎧ともつかない代物だ。一応、人間が着こむことを前提に作ってあることは伺える。
「なにこれ……鎧? 甲冑?」
「余が新たに開発した。潜水装甲という。これを装着して川に潜れ」
「これでどうやって魚を……」
「腕の部分が雷杖と同じ仕組みになっている。稲妻で攻撃できるため、一気に焼き魚にできるかもしれん」
「いや、無理でしょ……鉄がくっついてるんだから、沈むよ! しかも何この、背中の大きな……筒……? 二本もあるんだけど」
「空気を入れておく筒だ。これがなければ窒息する。貴様はこの筒から出ている大きな管をくわえて行動する。小さい管は鼻に突っ込む」
「なにそれ……めちゃくちゃ大変そう」
「それから無論、浮上するときのことも考えてある。この縄を近くの木に結び付けておき――合図があったら、余が引き上げてやる。心配するな」
「心配しかない」
ドッタはその異様な『潜水装甲』から距離を取るように身を引いた。
「溺れて死にそう……誰が試したの?」
「いい質問だ。これから貴様が試す」
「や、やだ! 絶対にやだ!」
以前にノルガユの『実験』につき合わされて腕の骨が折れたとき、二度と関わり合いにならないと決めたのだ。あのときは腕に嵌めて使う籠手型の器具で、ついでに火傷まで負わされた。
「落ち着け」
と、ノルガユはさらに厳めしい顔になった。
「呼吸が乱れていると危険だ、肺が焼けて死ぬ。呼吸の仕方にコツがあるのだ。まずはこの筒を使った安全な呼吸法を貴様に教える」
「だから嫌だって! こんなのまず陛下が最初に試してよ!」
「ならば今日の食事はどうするのだ。魚がまったく釣れていないぞ」
「仕方ないでしょ、今日はこの少ない魚をみんなで分け合うしか――あっ!?」
そのとき、ドッタは見た――目の前の川面に、輝くような青い翼が舞い降りるのを。
(ニーリィ)
と、ドッタが思ったのも一瞬。ニーリィはその爪で川面を引き裂き、何かを掴み上げていた。大きな魚だ――ドッタの背丈の半分以上はあるかもしれない。こんな大きな魚がこの川にいたとは。
その瞬間、ドッタはニーリィと目があった。その目が少し微笑んでいるような気がした。
そしてニーリィは軽く鳴くと、今度はドッタ達の傍らに降り立ち、大きな魚を足元に投げ出してみせた。
着地の瞬間の突風でドッタはよろめき、倒れそうになったが、ノルガユは悠然と片手をあげた。
「うむ。ご苦労、ニーリィ嬢。我々の物資調達に協力してくれるのだな」
「え、ほんと? そんなんある?」
ドッタは瞬時の判断でノルガユの後ろに隠れていたが、ニーリィはまだ水の滴る口元を緩めた――ように見えた。やはり微笑しているような表情になる。いや、ドラゴンに表情があるかと言われると、それを本当に判別できるのはジェイスだけなのだろうが。
とはいえ、こういう状況では礼を言っておくべきだろう。
「ど、どうも。ありがとう……ございます?」
「ギュゥッ」
というような鳴き声が返ってきた。濡れた木を指先でこすったような声。この鳴き声ならば、ドッタも何度か聞いたことがある。機嫌のいいときの声だ――たぶん。
やっぱり手助けしてくれたのだろうか。ドラゴンとは、どれだけ賢いものなのだろう。
そんな疑問が湧いたとき、ニーリィは再び翼を広げた。突風。ドッタはその疑問を深く考える間もなく、またその場に転ぶことになった。
「ギュゥ――ッ」
と、再びニーリィが鳴いて飛び立つ。
そのときドッタは自分の認識が誤っていたことを悟った。これは単に機嫌がいいときの鳴き声ではない――相手をからかっているときの鳴き声に違いない。
「さすがだな。狩りの手腕も見事と言う他あるまい」
ノルガユは大きくうなずいた。再び翼を広げて飛び去るニーリィを見ながら。
「結局、ニーリィ嬢に任せるのが最善の策であるかもしれん」
「ぼくもそんな気がしてきた……」
結局その日の夕食は、ニーリィが用意した魚がほとんどを占めた。