魔物の姫とワイアーム

 人が足を踏み入れないとはよく言ったものだ。切り立った崖を越えた険しい山の中、最強の魔物ワイアームと危険度最大とも目される魔物の姫が何事かを話していた。


「そろそろ動いてくれないか、ワイアーム」


 女の……魔物の姫の声だ。ノウィンで詐欺師が見せた絵とは違うが、白い髪などは噂に聞いた通りの容姿。最強のワイアームを前にその声色には迷いが無い。


「人間と戦争がしたいなら木っ端モンスター共で勝手にやっていろ。俺達は人を襲わないと決めている」


 低く唸る、周囲をビリビリと震わせるような重い声が響く。どういう仕組みか、ワイアームはあの巨大な体で人の声を模して喋っている。


「お前らが怖がりなのは知っているさ。近付きたくないんだろう、ユニーク能力者に」


 木っ端と呼ばれた魔物の姫が事も無げに言う。血走る巨大な眼球が粘膜の上を滑りながら魔物の姫に向いた。


「だがそろそろ考え直せ。ちょうど人間を根絶するのに良い時期だ」


 魔物の姫は怒気を孕むワイアームの視線を受けながらも、涼しい顔で会話を続けている。


「私がノウィンの勇者を殺したからな」



 はあ?


 思わず声に出して睨みつけそうになる。もはや議論の余地すら残っていない完全に終わった話を蒸し返す目の前の女に敵意が沸く。ステラを殺したのは僕だ。それはこの体に刻まれた罪の感触に裏打ちされたたった一つの真実だというのに。


「つまらん嘘をつくな」


 僕の気持ちを代弁するように、ワイアームもまた彼女の嘘を指摘する。


「なんだ、を知らなかったのか? だったらその辺の人里にでも行って聞いてみろ、隣人らしくな」


 魔物の姫の誘導的な言い回しに、やはり彼女が嘘を吐いていることを確信する。掘り返されても構わない真実で別の嘘をコーティングしていく。典型的な騙しの手口だ。


「不安の種は消え去った。私の労をねぎらって願いを聞いてくれてもいいんじゃないか?」


 いけしゃあしゃあと要求を繰り返す魔物の姫。だがワイアームはやはり彼女の言う事に関心を見せる様子は無かった。


「それが本当なら首の一つでも持ってきているはずだ」


 ワイアームは魔物の姫の誘導を歯牙にもかけず返した。


「大方、貴様も後になって勇者の死の報を知った口か。首を取ろうにも墓の下ではな……。それで功績だけ利用しようとは、小賢しいネズミだ」


 確かに交渉に挑まんとする魔物の姫が何の物証も持たないのは不自然ではある。首の保存が無理にしても、せめて何らかの所持品くらいは持って来てしかるべきだろう。


 だが、それも言い掛かりと言えば言い掛かりだ。そもそも魔物が勇者の顔など知りはしないだろうし、首など持ってこられても判断は付かない。おそらくワイアームもそれを解っていてあえて言っているのだろう。


「脆弱な魔物は嘘をつくしかできないらしい。違うと言うなら、何か言ってみろ」


 僕の考えを肯定するようにワイアームは魔物の姫を煽る。試す視線。


 彼女に真実があるのなら、理路整然と反論できるはず。逆にこれでしどろもどろになれば、そいつは適当を言っていたという事だ。僕は魔物の姫がどう取り繕うのかが気になり、少しだけ顔を乗り出した。


「お前は


 だが魔物の姫は何の取り繕う様も見せはせず、代わりにただ一言だけそう言った。視線は上向きながら、まるで見下すようなその目つき。


「何がだ。どう間違っているのか言ってみろ」


 険を含んだ声で促すワイアーム。魔物の姫はすぐには答えず、その巨大を一直線に貫くようにワイアームを指さす。


「お前はそんなで生まれる必要は無かった」


 そう言い、魔物の姫はのワイアームに冷たい視線を浴びせかける。取り繕いでもなんでもない。完全なる対立者としての姿勢。その挑発的な態度に、ワイアームは牙を剥きだして激昂している。


「良いポジションに収まっているつもりだろう。人間との小競り合いを下級の魔物に丸投げして、平和的な共存を選ぶ。長い寿命を悠々、下々の世界を眺めながら生き続けるのだと。だが人間共はそんなワイアームの机上の空論に付き合ってはくれない」


 格上の捕食者に対し彼女は話し続ける。まるで愚者を諭すように。


「お前らは緩慢な自殺をしている」


 言い切る魔物の姫。その声色には批判的な色が強く見えた。山を飲み込むような唸り声が腸の蠕動(ぜんどう)のように一帯を震わせ、一触即発の空気がたちこめている。


「何だこいつら……」


 はたで聞く身からの素直な感想。


 それは対立する二者がいずれ一触即発へと至るのは自然ではある。言葉を交わして交渉した上での埋められない溝による決裂。理屈だけで言うならこちらとていくらでも理解はできる。


 だが、いまいち飲み込めないのが魔物の姫のスタンスの捉えどころの無さだ。初め嘘でワイアームをやりこめようとしたこいつは、気付けばただただワイアームの消極性を痛烈に批判している。それも虚偽を看破された故の取り繕いとか苦し紛れではなく、まだどうとでも続けられたであろう嘘をあっさりと捨てての転身だ。よほど腹に据えかねたといえばそれまでだが、それでもやはり最初の人を食ったような論の進め方と比べると芯がつかめない。思考の前提を共有できていない存在を見るような、そんな奇妙なそぐわなさがずっとつきまとっている。


「お前らも本当はわかっているんじゃないか。このままではいられないと」


 魔物の言葉で目の前の光景に引き戻される。巨竜に対する説法はまだ続いていた。


魔物私達の取れる行動は二つに一つだ。総力を挙げて人類を根絶するか……いつか生まれる規格外のユニーク能力者に滅ぼされるまでを寿命として享受し生きるかだ」


 究極的な二択を元に詰められるワイアーム。ニヒルな死生観だが、としてはリアリティのある物の見方に思えた。


「好機は今じゃないか。今この世界にはいない。ノウィンの勇者が死んだ今、ワイアーム達がその気になれば人類を滅ぼす事ができるはずだ」


「馬鹿馬鹿しいな」


 魔物の姫の希望的観測を、ワイアームは冷たく切り捨てる。


「星の数ほどいる人間共だ。魔物を根絶できずとも、目の前の敵を必殺できる能力者くらいはいても不思議ではない。俺達ワイアームとて、いざ敵対したらどうなるかわからんのだ」


 ワイアームの言は実際その通りだろう。むしろ大勢の魔物に数で攻められるより、個の力の方が御しやすい可能性すらある。もしもギルドが対ワイアーム用の能力者切り札を確保していたら? 勇者は一人だけとは限らないのだ。


「お前らは悠長過ぎだ。世界のマナはいずれ全て人間の手中になるというのに」


「知った事か」


「……ん?」


 興味無さげなワイアームをよそに、僕は耳を傾ける。聞き捨てならない事を言われた気がする。


「いいか、我々は多くのマナを持った強力な生き物だが、人間はそれを狩って素材にする。いずれ全てのマナは奴らの武器や魔道具になってしまうぞ」


 魔物の姫の言葉に僕は思わず「へえ」と関心の声を漏らす。別に初めて聞いて驚いた訳じゃない。聞いたことがあるからこそだ。


 


 世界のマナをかき集めて生まれる魔物に対し、その魔物を討伐して素材の形でマナを貯め込む人間。世界全体のマナが有限である以上、十分に長い時間が経てばいずれマナのほとんどは人間の側に収束していくという理屈である。もちろんそこまで究極的な所にまではそう簡単に行きつかないだろうが、とにかく時間を掛ければ掛けるほど人間の勢力は強まり、逆に魔物の繁殖力は弱まっていくという話だ。町を作り魔物に備える人間、場当たり的に野で人間を襲う魔物、両者の性質の違いがこの状況を作り出していると言える。


「現状で人間が魔物の増殖スピードを制御できている以上、魔物私達の負けは理論上確定している。日和見で持久戦に持ち込めば待っているのは破滅だけだぞ」


 続く魔物の姫の言い分に、やはり彼女がその理論を正確に理解しているのを確信する。ワイアームとの交渉目当てに適当を言っている訳ではなく、自身に迫る危機を理屈で認識した上での言葉なのだ。


「危険だな……」


 マナ収束論自体は別にどうでもいい。問題は魔物の姫が人間でもあまり知らないを知っているという事だ。知識は思考を変え、行動の幅を広げる。特にを持った存在の行動を。


 人間の知識を知り、人間を計画的に害する魔物。危険だ。ともすれば、パワーを押し付けてくるワイアームなどよりもよっぽど。


「何十年後かの近い将来、ワイアーム以外の魔物は人間の戦力によって根絶されるだろう。そうすると当然次の対立軸は人間とワイアームになる。だからお前らも防波堤のある内に動くべきだと言っているんだ」


「ふうん」


 言葉を尽くして好機を訴える魔物の姫に対し、ワイアームの反応は梨のつぶてだ。どうも話をしている内に最初の怒りに対してやや冷静になっていったように見える。既に返事をする事すら億劫になっているのか、理屈で反論しづらく面倒くさくなったのか、わざとらしい溜息のような返事を繰り返すのみだ。


いいか……」


 とにかく話が平行線である事はわかった。とりあえずそこさえわかればそれでいい。ワイアームが『人類に敵対する選択をしなかった事』がわかればそれで。


 僕は息を潜めるのをやめた。隆起した岩の影から姿を現し、魔物たちに向かって無造作に歩いていく。

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