もやもや

 あれから二日ほど経ち、特に収穫は無い。ワイアームと遭遇した時はなんとなく風が吹いてきたような予感もしていたが、冷静に考えたら僕の目標には一切関係なかった。あんなでかくてこの世に何匹もいるようなのは見つけられて当然だ。


 なんとなくわかってきた事なのだが、海と湖で見つかるのは水だし、沼で見つかるのは泥だ。あとはせいぜいその環境に適応した多種多様な生き物。とりあえずこの三つは捜索の候補から外しても良いのではないかと感じていた。


「しかし、こういう判断が後から響いてくるんだよな……心に……」


 これからさんざ山と森を探し尽くした後で「やっぱり海だったのでは……?」となるのは目に見えている。そもそも今人里以外を探しているのだって目いっぱい探し尽くした後に「人里以外だったのでは……?」となった結果である。後々になって迷いを生むくらいなら愚直に水を割り続けた方が賢いのではないだろうか。


「へい、ノウィンスパゲッティお待ち!」


 山菜が山ほど盛られたパスタを無心にほおばり続ける。無意味に世界中を駆けずり回って、ただ食事を取って寝るだけの毎日だ。もはや何のためにノウィンに帰っているのかもよくわかっていない。一応僕のいない内に脅威に晒されてはいけないという理由付けはあるが、脅威とは何だろうか。


「……あいつ、どうしてるかな」


 無為な生活の中で考えるのは、台地に閉じ込めてきた魔物の事だ。世界を探している内に忘れるかとも思ったが、ここまで成果に起伏の無い毎日となるとむしろ度々思い出さざるを得ない。


 結局トドメを刺せずに置き去りにして早二日。どうせいつでも倒せるしなんなら放置していてもいいのだと高を括っていたが、日数が経つごとに否が応でも気になってくる。殺しへの忌避感から中途半端な禁固刑に処してきたのだが、あのまま死ねば結局殺したのと変わりない。むしろこんな真綿で絞めるようなやり方はなお酷いだろう。


 開いた手のひらを見つめ、骨身に染みついた罪の感触に意識を向ける。消えない感覚。人を殺した証は消えない。


 今まさに感じているこのそわそわとした不安感までも定着してしまえば、僕のこれからの人生は一体どうなってしまうのだろうか。今この瞬間にあの魔物は死んだだろうかとずっと想像し続け、そしてその確認に行く事すらできない不安が永遠に付きまとう。死を確定させるのが怖くて「死んだに違いない」の段階を永遠に引っ張り続ける臆病者の人生。


「……ああもう、クソったれ!」


 僕は毒づいて席を立ち、食べかけの食事の横に多目の代金を置いた。パスタを作ったシェフの不安そうな顔を尻目に足早に店を出て行ったのであった。




◇◇◇◇◇◇




 風を切って空を進むと、だんだんと例の台地が近づいてくる。台地というか、今は謎の木で囲われた謎のドームだが。(例えるならプリンを半球のざるで覆ったような構造だ)見た目が分かりやすくなった事により間違っても行き道には迷わなくなった。


「あいつほんとに死んでないだろうな」


 木の檻に接する距離まで近付いて網越しに中を覗く。魔物は土の上に倒れて仰向けになっていた。一瞬心臓に嫌な衝撃が走ったが、その胸がゆっくりと上下している事に気付いてほっと息を吐く。


 魔力を全身に編み込んでから無造作に檻に突っ込むと、僕の体を避けるように木が一瞬だけ形を変えてゆく。そのまま地面に着地して歩を進めていくと、表情が確認できる程度の距離まで来た所で魔物はゆっくりと腰を起こした。


「君か……」


 こちらに届くかどうかの声量で声を出してくる。目が開いていたので寝ていた訳でも無さそうだったが、所作は緩慢だった。


「動かないから死んでるかと思った」


「歩くと痛いんだ」


 言われて地べたに放り出したままの右脚に目を向ける。先日僕が蹴折った方の脚。いかにも末端まで力が入ってなさそうなだらりとした姿勢だ。


「ふふ……まあ、歩いたところで何処にも行けないけどな。どんな魔法でも傷つかない木の檻に囲われて死を待つのみだ。今日は私の顔を見に来たのか? それとも残った脚の日か?」


 相変わらず虚無的な物の言い方だ。こいつは二日前からずっと変わらずに目前の死に囚われ続けている。その命を消し飛ばさんとする僕の前でただ地面を見つめていたあの時と同じように。


「ああもう……仕方ないな!」


 早足に距離を詰めて、間近で折れた脚の患部を目に捉える。魔物の姫が少しビクリとして身を引いていたが、知った事ではない。


「ヒール!」


 かざした手の平から輝く回復の光を浴びせかける。最大出力でたっぷり数秒、この世界にこれ以上は無い念入りな治療だ。


「ほら、治っただろ」


 そう言って雑に折れていた足を引っ張ってみる。


「痛い!」


 魔物の姫は悲鳴を上げて脚をひっこめた。かばうように両腕に抱かれたその脚の先にはまだ大きな腫れが残っているようだった。


「え? あれ、何で?」


 初めての事態に困惑する。僕のヒールで回復できない怪我なんてこの世に存在するはずがない。引っ張った時にまた折れた? 魔物の姫が強すぎて回復が足りなかった? どっちもしっくりこないし、ここで今更そんな事を言われても困る。


「あっ。そうか種族が違うからか」


 人間社会ではほとんど意識する機会の無いヒールの性質を思い出す。熟練のヒーラーすら知らない事がほとんどなのだが、種族の違う存在へのヒールは効果が薄くなるらしいのだ。例えば人を癒すよりも猫や犬を癒す方がその治りは遅いし、なんなら人同士でも生まれの違いによって治り具合にわずかに違いが出る事もあるらしい。詳しい理屈は分からないが、ヒールが魂に作用する魔法である事が原因ではないかとも言われている。人間は人間の魂を想定したヒールをしてしまうのだろうという事だ。


「意思の疎通はできても、結局はまったく違う存在か……」


 今目の前にいる生き物と僕には、犬や猫ほどの共通点すら無い。ヒールで少しの傷も癒せないほどの異質。魔物というのはそれほど本来あるべき世界とかけ離れた、後付けの存在なのだ。


「傷を治そうとしたのか?」


 引っ張られた痛みが治まってきた様子の魔物の姫がこちらに尋ねてくる。偉そうに言いつつ何も治らなかった気まずさもあり、「そうだ」と返す言葉もぶっきらぼうになってしまう。


「……ヒールが効かないならこれだ」


 上空の木の檻を魔法で枝分かれさせて手元まで伸ばし、それを手折った棒切れを魔物の脚にあてがう。更にその棒切れに放射状に魔力を込めると、しなやかなツルが伸びて患部周辺に巻き付いていく。


「何をやってるんだ?」


「うるさいな、添え木だ。ヒーラーがいない時はこうするんだよ」


 血行を阻害しない程度に固定するために四苦八苦魔力を操りながら、そう答える。このままにするのも居心地が悪いので仕方なくヒールの代替になるような治療を施しているが、当初の予定より大分面倒な事になって溜息が出そうになる。 


「お前も自分にヒールくらい使えないのかよ」


「魔物が聖魔法を使える訳がないだろう」


 まったくの正論で返されて何も言い返せない。魔物は魔属性という専門の魔法を使えるが、代わりに聖属性は使えない。回復魔法というのは基本人間にのみ許された反則技なのである。(たまに野生動物も使うが)


「所詮魔物というのは使い捨ての生き物なのさ。父は我々一人一人を長く生かそうとは考えていなかったらしい」 


「はいはい」


 いちいちニヒルというか斜に構えているというか、そんな事を言われても知った事ではない。そもそもその魔王自体が奮起から二日で死んでいるのが一番の笑い所だろうか。


「ほら完了! ここまですりゃ直りも早くなるだろ!」


 とにかく治療が完了した雰囲気を出し、適当に切り上げる。正直骨折なんてヒールで治すのが普通だからどうすりゃ正しいかなんて経験が無いのだ。


 魔物の姫は添え木を当てられた折れた足を何度か振って感触を確かめていた。少なくとも無造作にそういう動きができるようになったあたり、まったく効果が無い訳では無さそうだ。


「……ありがとう?」


 疑問混じりな調子で礼を口にする魔物の姫。実際向こうからは僕の行動の意図なんて欠片も理解できていないだろう。絶対強者を前にコミュニケーションの正解を探っているようにも見えた。


「とにかくこれで脚は問題ないだろ。じゃあな」


 立ち上がってそう別れの宣言をする。だが座り込んだ魔物の姫は言葉を返さずにただこちらの顔をじっと見つめるのみだった。


「なんだよ」


「お腹が空いた」


 特段何かの感情を出す訳でもなく、事実確認のようにぽつりとそう告げる。そういえば別に足を治しに来た訳じゃなかった。このままこいつが死ぬのではないかと思ってここに来ていたのだ。


 僕はカバンを雑に裏返して地面にごろごろと中身を転がす。ほどけた包み紙から見えるのは蒸かした芋だ。人間換算なら大体三日分の量だろう。


 それを見た魔物の姫は今日初めてほっとしたような笑みを浮かべた。血が通ったというか、ずっと傍にあった死からようやく少し遠ざかったような、そんな顔だった。不遜な態度もあったが今日までずっと緊張していたのだろう。


「じゃ、そういう事で」


 胸のつっかえが取れた事で心が少し軽くなる。僕は床を蹴って風に乗り、そのまま木の檻をすり抜けて飛び去っていった。

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