私の頭の中には、いまだにキリスト教のカレンダーが残っている。今年はイスラームのラマダンとキリスト教のイースター前のレントがかぶっていた。
その始まりの時、英国のチャールズ3世はラマダンにむけてスピーチをした。ところが、レントやイースターのことには言及がない。グッド・フライデーのスピーチも無い。そして昨日、『今年は国王のイースターのスピーチは無い』と公式に通達があった。
チャールズ3世は英国国教会のトップです。つまり、英国の教会のトップに立つ人間が、キリスト教で最も重要な復活祭(イースター)を祝わないという前代未聞の事態になっている。
英国の国王は、かつてヘンリー8世がローマ教皇から『信仰の擁護者』という称号を受けた。それが代々受け継がれているわけだが、チャールズ3世はその”信仰”を複数形にした。『すべての信仰の擁護者』を公言し始めた。つまり、イスラームも、イスラーム原理主義もすべてを擁護すると言ったに等しい。どういうfaith(信仰)かは特定しなかったわけですから。
歴代の国王の中で、はじめて、キング・チャールズ3世は、王室の者しか入れないキング・ジョージズ・チャペルでイスラーム教徒にクルアーンを読ませ、ラマダンのパーティーを行わせさせた。クルアーンのどの部分が読まれたか彼は把握しているのだろうか?もし、それが『多神教徒は動物以下』とかの部分だったら、『キリスト教徒と友人になってはいけない』とかいうくだりだったら、彼の英国国教会のトップとしての役職と矛盾しないのか?
エリザベス女王には何人か宗教上の相談相手が付いていた(チャプレンと呼ばれる)。女王が難しい決断を迫られた時、彼らの何人かに相談するためだ。政治と距離のある聖職者の意見をきく。
エリザベス女王のチャプレンの一人だったギャビン・アシェンデンが、いまの英国王の行動は、即位した時の宣誓を破っており、王たる資格がない、国王を辞めるべきだ、と強烈な批判をした。
チャールズ国王は、いままでさかんにイスラーム教の行事には参加しており、そこで、ひとつ、大きな矛盾の爆弾をかかえているのだ。それはイスラームでは、イエス・キリストは神の子ではなく、十字架にかけられたのも、復活もなかった、ということになっている。つまり、キリスト教の根本教義がイスラームによって否定されている。そのことはクルアーンに書いてある。
つまり、キング・チャールズ3世が、『イエスは死してのちよみがえり、、、』とイースターを祝ったら、すべての彼のまわりのイスラーム教徒は離反する。カタールなどからのローヤル・アスコットへの献金などは来なくなる。
さて、これはローマン・カソリックのほうの問題でもある。前ローマ教皇フランシスも、『すべての宗教は同じことを言っている』と言っていましたが、イエスの復活を認めない、神の子であることも認めないイスラームとキリスト教は同じことを言っているのか?それとも故フランシス教皇は誤ったことを言っていたのか?just answer me, yes or no, please.というところだ。
多くの英国国教会の牧師が公開質問状をチャールズ国王に送っている。英国国教会は国外ではアングリカン・チャーチ、聖公会になるはずだが、日本聖公会は何か質問状を送ったのだろうか?
現在、全世界的にサヨクが妊娠中絶を容認させ、かつ、老人の安楽死を認めさせる方向で動いている。カナダでは年金を減らされた退役軍人が、身体も自由が利かず車椅子生活であるのだが、『つらいのなら、安楽死をしたらどうか?』とすすめられ、泣きながらそういうカタチで死ぬのは嫌だ、とインタヴューで答えていた。
いま、英国で中絶を専門にするクリニックがあるのだが、そこの前で熱心なクリスチャンの女性がお祈りをしていた。生まれてくる前に命を奪われた赤ん坊の魂のために声を出さず、無言で祈っていた。ところが、彼女は”治安を乱している”と警察に逮捕された。それも2度も。数十メートル離れたところでただ無言で立って祈っていると、現在の英国では犯罪になる。3度目の時、彼女はいきさつを動画で記録した。警察官が来て『あなたは何をしているのか?』と尋問する。『私は中絶でいのちをとられたこどものことを考えている』そうすると、その警察官が逮捕する、とやはり押し問答になる。
つまり、『考えているだけで犯罪になる』。これは思想警察でしょう。
それに対して、英国国教会の新しい女性大司教はなにか擁護する発言をしたのか?あるいはチャールズ国王はどういう宗教的な立場をとるのか?女性の大司教は同性愛擁護の人であることは知っている。しかし、そうした生命倫理に関する意見の発言は聞いたことがない。
チャーリー・カークという論客がいた。彼が大学で、学生たちと中絶の問題を論争しているのはなかなか筋が通っていて、感心した。しかし、そういう切れる頭脳の論客が、自分と違う意見を持っていると『暗殺しないといけない』と考えるサヨクがいる。結局、チャーリー・カークは自分のこどもの前で暗殺された。コロナの後、世界は恐ろしい場所になったと思う。
キリスト教ではイエスを”王の中の王”という言い方をする。そして、地上の王は普通の王。彼らは宗教的権威によって国王の地位をまかされている。
ケンジントン宮殿のメニューが、最近ハラール・ミートのものになった。しかし、どうでしょう?石を投げて弱らせて、それからのどをかき切って殺すというのは残酷だと思う人もいるはずだ。しかも、そこで唱えられる神の名が、シヴァやビシュヌなどのヒンドゥーの神を信じる者からしたら、”あずかりしらぬ、よその神に捧げられた肉を食べるわけにはゆかない”と思う人もいるはずだ。
そう思って、ハラール・ミートを出さなかったインド系英国人の店へ乗り込んで店をめちゃくちゃにした暴徒の群れ。そうしたニュースは日本では報道されない。
もし、英国国教会がうまく機能しなくなったら、議会の開幕などはどうなるのか?じつは日曜日が休日というのも、それはキリスト教文化。英国全土にある教会組織はどうなるのか?
私は中東3大宗教は、どれも現代に適合しないと考えている。単純な問いを出してみよう。
1)イエス・キリストは奴隷制がいけないことだと発言しただろうか? yes or no ,please.
新約聖書の、パウロの手紙、エペソ人、6の5節には次のようにある
『奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、おそれおののいて、まごころから地上の主人に従いなさい』同様に、テモテ1の6章第一節、『くびきの下にある奴隷は、自分の主人を十分に尊敬すべき人だと考えなさい。』
そして、イスラームでは、征服したところの土地の異教徒の女性は戦利品です。『右手の所有にかかるもの』と言われ、その数に限りは無い。熱心な信者の男性は、その性器を奴隷に使ってもよいと書いてある。だからハーレムなどというコンセプトが可能。女奴隷。
これらの聖典の定めるところと、新約聖書の聖パウロの教えと共存できるのだろうか?
仏教では、奴隷を所有することも、奴隷を買うことも、奴隷を売ることも禁止されている。それを知ってか知らずか、秀吉はキリスト教の宣教師に、自分の国の国民を動物のように売買し、海外へ輸出したのはなぜか?一人残らず連れ戻せ!と書状を送っている。
果たして、秀吉は教科書が教えるような悪人だったのだろうか?
奴隷に関しては旧約聖書はもっとひどいことが書いてある。レビ記には周辺国からつかまえて奴隷とした者は、それらの間に生まれたこどもも奴隷として買い、財産として所有でき、代々、永久に奴隷として使うことが出来る、と書かれている。遊牧民の間では征服した場所の人間は、奴隷として、家畜と同様の資産とみなされたことが旧約聖書を読むとよくわかる。
さて、そういう教義の宗教のもと、ヨーロッパの20世紀の文明が共存できるのだろうか?それにくわえて、自然を知らない企業家におもねった政策によって、世界規模で農業もおかしなことになっている。私は芽が出たサツマイモのシッポを水につけて栽培しているのだが、”まともなサツマイモはどんどん育って、つるが50cmでも1mでも伸びる。そして秋の終わりにはイモがなる。ところが遺伝子を組み替えたサツマイモでは、芽が出たのが、5mmぐらいから先は育たたない。そして、やがて先が黒くなってきて枯れる。私はそういうものを食べたくないと思うのだ。生命現象には神秘的なところがある。それを感じ取る宗教的なものがない社会は継続しないと思う。高齢者には安楽死、赤ん坊は中絶、デモグラフィック・チェンジを狙って戦争。兵器で儲け、希少資源で儲け、遺伝子組み換えで儲け、そうした大儲けした連中の金持ち会議に、1960年代から出席している王族が、まあ、浅薄きわまりない、歌の歌詞のような夢物語を主張する。
エネルギーが無くて動く経済は無い。未来に、ゼ連好きーはヨーロッパを崩壊させた人として名を遺すだろう。そして、未来の人々から、チャールズ3世は、チャールズ1世と並び称されるのだろうとこのごろは思いますね。