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幸せとは① 小説

197x年12月25日22時、雪の降る東北の小さな漁港の駅前の小さな酒屋の前で、服を買ってもらえず、年中下着まで同じ服で、栄養失調で肉が付かずとも、骨と皮膚が食い込んだ小さな半袖と短パンとボロボロの靴でドアを叩く姿、右手には100円玉を握りしめ、左手にはグラスを持った7歳の私が居た。
ガラスの引き戸のカーテンの奥で、わずかに光が揺れて店の主人がやってきてドアを少し開ける「どうしたんだ?」
「お父さんに100円分のお酒を買って来いといわれてきました」そう告げると、「そうか偉いね、ちょっと待っていなさい、ほら中に入って」
そう言われ暗い店内に一歩足を踏み入れると、ストーブなどついてはいなかったが、雪の降る寒い外との気温の差でとても暖かく感じた。
程なくして酒瓶をもった主人が、私の持っているグラスに日本酒をなみなみと注ぐ、「気を付けて帰るんだよ」と笑顔で、私に飴玉を一つか二つか覚えていないがくれた。
家までは15分の距離だが、雪で凍り付いたアスファルト、除雪されていない歩道をまたいで、グラスの酒をこぼさないよう家に帰るのは大変だった、はずだが急いで帰らねば父に怒鳴られると、無我夢中でどうやって帰ったのかすら覚えていない。
家の引き戸をあけると「おーう、買ってきたか?」と父が言う、「うんこれだよ」というと、「よーしよしよし」と笑顔でグラスをうけとり、口に運んでチビりと飲むと、大事そうに抱えてコタツ迄運んで機嫌が良さそうになる。
私は父のその笑顔が大好きだったし、たまごやきを一口だけくれるのも嬉しかった。
 その2年前、父は遠い所から家に帰って来た、後年聞いた話では暴力事件を起こして刑務所に入っていたとの事だ、その間優しい母に育てられていた兄弟3人だったが、夜遅く暴力をふるう父に母が泣いている声が聴こえるようになると、母はほどなくしてある日の夜私に「ごめんね」と一言つげて、家から出て行った。
母方の祖母が話を聞きつけてやってきて「うちの子になるかい?」と言ったが、それでも私は父が好きだったし、他の妹弟二人も答えは同じだった「お父さんと一緒にいたい」
養育費として当時としては大金の100万円を祖母から受け取った父は、そのお金で酒場を開き、漁師町のあらくれた船員と毎晩飲み明かすようになった。
店を経営するも、客と一緒に酒を泥酔するまで飲んだあげく、褒められるとすぐ気が大きくなって「今日はおごりだ」等というものだから、店は大いに繁盛したが、生活は急激に悪くなり、電気はとめられ、店の営業までランプでする始末だった。
兄妹弟3人、7才、6才、4才、1階の酒場と2階の住居の6畳間で鬼ごっこをする。薄い床板から1階の酒場迄音がすると、父が2階に駆け上がって来て「静かにしろ」
外に止めてある車におしこまれ、手錠で3人つながれる。店が終わっても酒を飲んで寝てしまう父のせいで、そのまま朝まで過ごす事も少なくなかった。3人とも身動きできず糞尿を垂れ流すと、車にホースで水を車内までかける人だった。
道端のフキの茎を食べる物が無いから、すっぱくてもかじる貧しい生活であっても、ドブ川から魚をすくって食べるひもじい生活であっても。
嬉しい事はたくさんある。
お酒を買って帰ると笑顔の父がいたし、月明かりでみる絵本は100回見ても面白い。
30円もらって駄菓子屋に走って行き、買うチョコレートは甘い。 幸せをしらないのだから不幸であると思うはずがない。
そんなある日事件は起こった。

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