【成田市コミュニティバス】甚兵衛渡し

 千葉交通宗吾線(JR成田駅~京成成田駅~日赤病院~公津の杜駅~宗吾霊堂)の宗吾霊堂から先は、千葉交通が受託する成田市コミュニティバス「北須賀ルート」(成田市役所~日赤病院~公津の杜駅~宗吾霊堂~台方~船形~北須賀~甚兵衛渡し、14.0㎞)が運行している。7往復運行されているが、運行ルートは複雑だ。
 国道464号線を直進していた宗吾線と異なり、北須賀地区は大回りに周回するルートとなっている。半数は公津の杜駅折返しとなる。公津小学校の通学輸送の使命も担っており、午後の下り1本のみ公津小学校を経由する。ほかの便や上りは経由しない変則的なルートとなっている。下りのみが経由する和田→印東体育館→北須賀東にかけては道路が狭くかつ複雑なルートで、自家用車でたどれと言われても迷ってしまいそうだ。上りは京成成田駅東口に停車する。
 千葉交通成田営業所が運行を担当し、車両は社番が「15-23」の、日野SDG-HX9LBEを使用している。2扉仕様の「日野ポンチョロング」だ。成田空港をイメージしたスカイブルーを基調に、成田市の観光キャラクターである「うなりくん」をデザインしている。印東体育館付近の曲がり角が狭いこともあり、ホイールベースが短い全長7mの日野ポンチョ以外では曲がれないそうだ。検査時は白い日野ポンチョ「17-89」が入る。
 さて、甚兵衛渡しは、江戸時代の領主の暴政に直訴した木内惣五郎(佐倉宗吾)ゆかりの地で、幕府に直訴するために江戸へと向かう義民宗吾が印旛沼に来た際、義侠心の厚い船頭・甚兵衛が、禁制の舟を出し、宗吾を乗せたことに由来する。今でも渡し船が就航しているのかと錯覚しそうだが、地域では今でも甚兵衛が慕われているのであろう。国道464号線(宗吾街道)の甚兵衛渡し付近は「直訴道」の愛称が付いており、交差点にはローソン・スリーエフ、台方ラーメンがある。昭和43年1月に現在の印西市吉高を結ぶ甚兵衛大橋が開通し、渡し船は廃止されたが、停留所名は今でも甚兵衛渡しのままである。甚兵衛大橋の手前に成田スカイアクセス線が見える。
 砂利敷の小さな折返し場は国道464号線の裏手にあり、宗吾線の頃と同じ場所だ。「駐車禁止 路線バスの運行にご協力願います 千葉交通㈱」の看板がないと、ただの空き地にしか見えない。この看板は千葉交通が宗吾線を運行していた頃からあり、今でも宗吾線が発着しているように錯覚してしまう。もっとも、成田市コミュニティバスも千葉交通が運行しているのだから、千葉交通の文字があってもおかしくない。宗吾線の停留所は国道464号線にあったが、コミュニティバスは折返し場の前に設置されている。今さら未練がましいが、やはり路線バスがあるうちに訪問したかった。
 バス通りは「関東ふれあいの道・水鳥のみち」に指定されており、下総松崎駅まで5.4㎞、甚兵衛渡しまで1.2㎞とある。下総松崎駅の「崎」がなぜか「﨑」となっている。甚兵衛渡しへは往復ともコミュニティバスで訪問したのだが、帰路に下総松崎駅まで歩く気力はなかった。コミュニティバスの運行に合わせて整備された待合所には、公津小学校の児童が描いたあいさつを呼びかける絵が2枚貼られ、折りたたみ式のパイプ椅子が1脚置かれている。待合所の裏側は墓地となっており、長居したくなる場所ではない。
 甚兵衛公園の案内板には、甚兵衛渡しについての由来が記載されている。甚兵衛供養堂や水神社をはじめ、甚兵衛の森には樹齢300年以上の大小30本の松の木が植えられており、「日本の名松百選記念碑」が建立されている。この一帯は甚兵衛公園として整備され、駐車場や公衆トイレがある。
DSC_2867.JPG↑千葉交通宗吾線と共用の宗吾霊堂停留所
DSC_2966.JPG↑1日1本のみ経由する宗吾霊堂大型駐車場前。宗吾霊堂の約50m手前で右折
DSC_2919.JPG↑甚兵衛渡しの停留所㊨と折返し場
DSC_2954.JPG↑日焼けして色あせたポール
DSC_2950.JPG↑待合所。墓地の前にある
DSC_2951.JPG↑折返し場の看板
DSC_2941.JPG↑甚兵衛渡しの案内板
DSC_2948.JPG↑国道464号線(宗吾街道)の宗吾霊堂から先は、「直訴道」の愛称が付く
DSC_3009 (2).JPG ↑「北須賀コース」用の日野SDG-HX9LBE(成田待機場)

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