判決を言い渡します
裁判長の声が響いた。
悔しさに唇を噛みしめる。
被告人は無罪だ。奴の罪状はオメガに対する強制猥褻罪だった。
弁護側にいる男に目をやる。
涼しげな顔で赤いネクタイを結び直す弁護士は、チラリとこちらに一瞥くれると、どうだと言うように肩を竦めた。
何故だ。
何故そんな奴を、アルファを庇う必要がある。
無罪など、どう考えてもおかしい。有ったはずの証拠が無くなっている。
理解が出来ずに、法廷を去る背中を睨みつけた。
男の名はアーチャー。"完全無欠なオメガの弁護士"
オレの運命のツガイであり、恋人であり、男の腹にはオレの子がいて、……まあ、とにかく、オレにとって特別な存在だって事だ。
「おい、あの野郎と何喋ってやがったんだ」
アーチャーを問い詰める。
裁判所から出てすぐのところで、アーチャーとその依頼人が話しをしていたからだ。弁護人の手腕で晴れて無実を勝ち取ったクソ野郎の手が、アーチャーの肩に触れていた。
ふざけるなよ。
ふざけんじゃねぇよ。
何触ってんだ。
何喋ってんだ。
ニヤニヤ笑いやがって、犯罪者め。
その腕をひねり上げてブタ箱にぶち込んでやりたかったのに、今日のオレはそのチャンスを逃した。
「何喋ってたか聞いてんだ」
無視してんじゃねえよ。
わざとらしく溜息なんかつきやがって。
「別に、勝訴の礼にと食事に誘われただけだ」
「はあ!? 行かせるわけねえだろ!」
「キミに何の権限がある」
ふん、と鼻で笑われて、二の句が告げなくなる。
「オレはお前のパ……恋人だろうが!」
パートナーと言いたかったが、オレのプロポーズは悉く断られている。だからまだ恋人だ。たとえこいつの膨らんだ腹に、妊娠三ヶ月のオレの子がいたとしてもだ。
「ああ、そう言えばそうだったかな」
「ふざけんなよ」
「止めたければうなじを噛めばいい。そうすれば私はキミのいいなりだ」
「ーーーーッ」
アーチャーの視線が痛い。
言いたいことは分かってる。それでもオレには無理なんだ。
情けない話だが、話題を逸らすしかなかった。
「お前、自分がしたことの責任、取れるんだろうな」
とんでもない犯罪者を野放しにした、その事実を忘れたとは言わせない。
「責任なら果たしたさ。依頼人の無実を勝ち取るという責任をね」
去っていく背中は真っ直ぐ伸びていて、だからこそ歯痒かった。
「なあ、どう思う」
オレの質問に、検事事務官のロビンフッドが唸った。
「納得いかねえってんですよ。どう考えてもおかしい」
「用意していたはずの証拠がなくなった。なんともキナ臭いお話ですね」
同僚検事のメドゥーサも、今日ばかりは寛ぐことも忘れて、真剣な顔で考え込んでいる。
オレは今回の裁判に向けて、被告がオメガに対して猥褻行為を働いた瞬間の映像を入手していた。それなのに、いざ裁判が始まってみれば証拠は消失。
「誰かが意図的に隠したとしか考えられねえ」
「厳重に保管されてたわけでしょ。そんなことできるんですかい」
「……内部の仕業、ということでしょうか」
署内に沈黙が落ちる。
誰かがあの犯罪者を庇いだてしているということか。
なぜだ。
誰が、なぜ。
「ランサー、あなたの恋人がこの件に関わっている可能性は」
「ねえさ。あいつがそんなことするわけねえ」
そう思いたい。
どんな手を使ってでも勝つだなんて、そんなこと。無いと信じたい。
モヤが晴れない。信じたいと願っているのに、心の片隅で疑惑を抱いている。
そんな自分に腹が立つ。
うだうだ考えるのは柄じゃねえ。直接本人に聞けば良いじゃないか。
「……あいつと話してくる」
席を立ったオレを誰も引き止めはしなかった。
「よお」
事務所を訪れると、アーチャーはちょうど身支度を整え外出しようとしていたところだった。
「おい、まさか、あの野郎と食事に行くってんじゃないだろうな」
「だったらなんだ」
「行かせねえ」
腕を掴んで引き止める。
頭に血が上って茹であがりそうだ。
ムカつく。
すげえムカつく。
おい、なんだその呆れた顔。
ほんとムカつく野郎だなおい。
「行くわけないだろう」
そっぽを向いたまま、小さい声でアーチャーが答えた。
「何処ぞの誰かのせいで悪阻が酷いんだ。食事など、出来るわけがない」
つわり……?
ツワリ?
つわり。
ああ、そうかそうか。そうだよな。今そういう時期か。そうか、そうだった。オレのせいか。オレのせいだな? そうか、悪阻か。オレの子供妊娠してんだもんな。そのためにずっと頑張ってくれてるんだもんな。
おいおい、何やってんだよオレ。
父親になるってのに、自覚が足りねえぞ。
心臓がぎゅうと締まって、そこから幸福感が手先足先にじわじわと広がっていく。
耳まで赤く染めるアーチャーの様子に、口元がニヤけるのを止められない。
「悪かった。なあ、何も食えないか? 食えそうなものとかねえのか?」
背後から手を回して、アーチャーのほんの少し膨らんだ腹を撫でた。首筋からいい匂いがする。
美味そう。
噛みたい。
「……コーラが飲みたい」
「わかった、買ってくる」
「今はいい」
出て行こうとしたオレを今度はアーチャーが引き止めた。
「それより、私に何か話しがあったのではないのか」
オレの様子に何か察していたのだろう。
浮かれてすっかり忘れていた。
アホかオレは。
「ああ、まあ座ろうぜ」
アーチャーの腰を抱いて、ソファに促す。
せっかくいい雰囲気だったのに、正直、気まずい。それでも聞かなくちゃいけねえ事だ。
「オレは今回の裁判で、お前の依頼人が有罪だっていう決定的な証拠を持っていた」
けれど、何処かに消えてしまった。
誰かが隠蔽した。
「お前、何か知ってるか?」
疑ってるわけじゃない。
はっきりと否定してくれればいい。
それを期待している。
お前が違うっていうんなら、オレはそれを素直に信じる。
だからキッパリと否定してくれ。
「私ではない」
アーチャーはキッパリとそう言った。
唇を噛む。
ああ、ちくしょう。
なんでだ。
なんで気が付いちまうかな。
くそ、普段の裁判でもこのくらい冴えてれば良いのに。
「……知ってるんだな、誰がやったのか」
知らない、じゃなくて、自分じゃない、ってそう言ったんだ。それはつまり、そう言う事だ。
「誰がやった」
「知らん」
あからさまに逸らされる目。嘘を付いてますって顔に出てんじゃねえか。
「なんで隠すんだよ」
アーチャーは答えない。
しばらく無言を貫いて、そしてふと、息を吐き出してオレを見た。
「私のうなじを噛んでくれるなら、教えても良い」
「またその話か」
「大事なことだ」
アルファのオレには、オメガの"うなじを噛まれたい"という欲求がどれ程のものかは分からない。だが、目の前の運命の"うなじを噛みたい"という強い欲求がどれ程かは知っている。
空腹なのに、目の前の好物にありつけない感じだ。
確かに辛い。
めちゃくちゃ辛い。
ただ、辛くはあるが、耐えられない程のものでもないんだ。もっと大事だと思う事を優先できる程度の欲求。
だから、アーチャーがこれほど噛まれることに固執している、そのことに違和感を覚えた。
他の奴相手ならきっと、ここまで不思議には思わなかったろう。
アーチャーだからだ。
なんていうか……らしくない。
お前らしくない。
「ツガイになれば、薬を飲まなくて済むから。だから噛んで欲しいのか?」
オレに思い付く理由なんてそれしかなかった。
「違う」
「じゃあ……」
言いかけて、アーチャーの身体が僅かに震えていることに気が付いた。
心なしか顔も青ざめている。
滅多にない様子に驚いて、どう対処すべきか分からない。
「分かっている、私の依頼人は最低の男だ」
青ざめた顔のまま、アーチャーが言った。
「二日前、私は……あの男にうなじを噛まれた……」
「はあ!!?」
目の前が真っ赤に染まる。
あのクソ野郎を八つ裂きにする映像が一瞬で頭の中を駆け巡った。
「番ってはいない。性行為中に噛まれなければツガイは成立しないからな。おそらく、私を言いなりにして裁判を有利に進めたかったのだろう。なんとか凌げたが……また同じような事がないとは言い切れない」
アーチャーは仕事柄、アルファと接触する機会も多い。今まで何度か同じような事もあったんだろう。
「奴を無罪にしたのは、警察にそう依頼されたからだ。奴はマフィアと繋がりがあって、警察は奴を泳がせ、次の取引時に一網打尽にするつもりだったと……」
けれど予想外の事が起こった。
釣り針に仕掛けた大事な餌が、小魚に突かれてしまったのか。
「証拠を隠したのは警察か」
「警察がこの事を君に伝えなかったのは、検察が裁判で手を抜き、奴に作戦がバレるのを危惧したからだろう」
「なるほどな」
大局のためとはいえ、被害者の気持ちはどうなるのか。マグマになった怒りが腹から溢れ出しそうだったけれど、ここで怒鳴り散らしたってどうにもならない。
「わたしは、恐ろしいのだ。いつかどこかで見知らぬアルファに、事故で番われてしまったら……キミではない、誰かが……」
うなじを手で覆って嘆くアーチャーを抱き締める。
震えている。
あのアーチャーが、こんなにも震えているなんて。
いつもスカしてるこいつが、こんな姿を見せるんだ。相当に怖かったんだろう。
噛んでやりたい。
恐怖から解放してやりたい。
そう思っているのは確かなのに、我儘なオレは此の期に及んで、まだ自分の意見を聞いて欲しいと願っている。
「オレ、お前が運命のツガイなんだって知った時、正直ガッカリしたんだ」
腕の中に囲った身体が、びくりと震えた。
「キザで、物言いもムカつくし、陪審員はいつもお前の言いなりで、お前のことが気に食わなかったから。お前のこと、天敵だって思ってた。」
「随分と嫌われてたんだな」
自重気味なアーチャーの言葉に首を振る。
「いいや、惚れてたさ」
ひゅ、と息を飲む音がした。
「一挙手一投足が気に食わなくて、なのにいつも目が離せなかった。気がつくとお前のことばっか考えてて、考えれば考えるほど、お前って本当に凄い奴だなって、惚れ直してた」
尊敬してたんだ。
強い奴だ。
依頼人のために全力で取り組み、背筋を伸ばして法廷に立つ、その姿に惚れていた。
「だから、運命のツガイだと気が付いた時、オレのこの感情は、お前に好意を抱くオレの心は、たかがフェロモンに後押しされただけの動物的な本能でしか無かったのかと」
悔しかった。
理性でなく、ただ本能で求めていただけなのだと。人間性に惚れたんじゃなく、フェロモンに惑わされていただけだったなんて。
悔しくて悔しくて、どうすればいいのか分からなかった。
「だから、うなじは噛みたくない」
本能だけじゃないと証明したかった。
お前の人柄に、お前の魂に惚れたのだと。そう叫びたかった。
運命だからじゃない。
オレがオレの意思で、アーチャーという一人の男を選んだのだと。
アーチャーは、はあ、と大きく溜息を吐いた。
「キミは相当な頑固者だな。わざわざ茨の道を進まずとも良いだろうに」
「らしくねえ事いうなよ。アーチャー、お前だって運命の言いなりになるのなんか癪だろ?」
「言ってくれる」
二人並んで茨道を踏み抜いていくのも悪かねえだろ。
っておい、なんだその諦めたような笑顔は。
不穏だからやめろ。
「あとな、アーチャー。お前のその、他の奴に噛まれるかもっていう心配だけどよ。オメガ用の貞操帯着けとけば解決するんじゃねえのか」
変な事を言ったつもりはない。
殆どのオメガがそう言った事故を防ぐために首に貞操帯を巻いている。その辺の服屋に行けばいくらでも鍵付きのお洒落なヤツが売っている。
オレが最初こいつをアルファだと勘違いしてたのも、首に何も着けてなかったからだ。
「て……貞操帯か」
「なんだよ。なんかあるのか?」
なんでそんなに嫌そうなんだ。
どこの誰か分からねえアルファに、うなじ噛まれるよりマシだろうが。
「その、だな。私は他のオメガに比べて、かなり上背があるし、見た目だけならアルファの様だとよく言われるしだな」
「ん? おう、まあそうだな」
「だから、その。そんな私がオメガ用の貞操帯など着用しても、似合わないだろうし、何か変なプレイだと思われたら……は、恥ずかしい」
かあああ、と。褐色の肌が一瞬で赤く染まった。
いやいやいやいや、まて。ちょっとまて。
なんだその理由は。
は? え?
おま、人生を左右する大事な事だぞ?
自分の身を守る為の大事な貞操帯を着けない理由が?
似合わなくて恥ずかしい??
「悪いか! わ、私だって、出来るなら普通のオメガの様に愛らしい見た目になりたかったさ。でもこうなってしまったのだから仕方ないだろう! こんな立派なナリで貞操帯など着けて、か弱いアピールでもしてるのかと思われたら失笑モノだ……依頼人に馬鹿にされる!」
「いや、まて落ち着け、考え過ぎだって。みんなそこまで思ってねえって」
なんでそんな考えになるんだ。
お前のそういう、よく分からんところでスイッチ入る思考回路なんなんだ。
変な方向で思い込み激しいな!
とにかく宥めようと、オレは少し強引にアーチャーの唇をキスで塞いだ。
「ん、……ふ、ぅ、んン、……は、」
くちゅくちゅと、音を立てて舌を吸い、落ち着かせるためにゆっくりとした呼吸を促す。
アーチャーの表情がトロリと蕩ける。
可愛い。
「落ち着いたか」
「……ああ」
素直に頷く姿が幼くて、イケないことをしてる気分だ。まあ幼いって言っても、オレより上背のあるガチムチなんだけど。
その顔を見てると、なんだかムラムラしてきてしまった。
「なあ、番うか番わないか、判断はお前に任せるよ」
アーチャーの唇を啄ばみながら、オレは全てを相手に託した。
伝えたいことは全部伝えた。
それでもアーチャーがオレと番いたいというならば、その意思を尊重するつもりだ。自分の信念は大事だが、アーチャーとの関係の方がそれ以上に大事なのだと感じているから。
お互いの弁論を終えて、あとは裁判官の判決を待つばかり。
「私は……」
果たして、アーチャーの判決は……。
判決を言い渡します。
法廷に裁判長の声が響いた。
前回の裁判から一月後、オレは例の事件に対しての再審請求を申し立てた。
弁護側の様子に目をやる。
すっと背筋を伸ばした弁護士が、真剣な眼差しを法壇に向けている。
その首筋には、革でできた編み上げの貞操帯。スーツの色に合わせたそれは、褐色の肌によく似合っていた。
今回の裁判で下された判決は有罪。
いつの間にか、オレの手元に戻ってきていた例の証拠映像が決定打だった。
被告人は既に別件で無期懲役の実刑を受けているため、懲役刑は下されず、原告に対して『精神的な苦痛に伴う被害への慰謝料の支払い』が要求された。
「妥当な判決だな」
強制猥褻罪に対しては異例とも言える高額な慰謝料の金額に、スカした弁護人はネクタイを結び直し、被告人の肩を叩いた。
ザマァねえな。
俺は腹の中だけで思いっきり笑ってやった。
せいぜい生涯かけて後悔するといい。
あの話し合いの後。
アーチャーはオレの意思を汲んで、番わない未来を認めてくれた。
「だが、噛みたくなったらいつでも噛むといい」
と言って、貞操帯の鍵をオレに渡した。
オレは感極まり、その場で片膝をついて指輪を取り出した。
「結婚しよう」
「お断りだ」
「いや、なんでだよ!」
どう考えてもそういう雰囲気だっただろ!
いい加減、オレを認めてくれてもいいんじゃねえか。お腹の子が産まれて来る前に、書類上でも父親になりてえんだ、頼む!
喚くオレにアーチャーはいつものようにわざとらしく溜息を吐き、そして言った。
「プロポーズなら、もっとムードのある場所でやってくれ」
出直してこいと宣う恋人。
オレは即座、街で一番"夜景の綺麗なレストラン"へ予約を入れた。
法廷で、ネクタイを締め直すアーチャーの左手薬指。オレが送った指輪が輝いている。
オレたちは運命のツガイだ。
だけどツガイにはなっていない。
結婚という契約で結ばれた以外に、オレたち二人を縛るものは何もない。
アーチャーがオレと別れたいと思ったなら、いつだって離れていくことが出来るだろう。まあ、離婚調停で負けるつもりはさらさらないし、めちゃくちゃゴネてやるけどな!
だからまあ、オレが何を言いたいかっていうとだな。番わないという考えが正しいかどうかなんて分からないけれど、それでもオレはこれで幸せだと思ってるって事だ。
オレたちはオレたちの意思で、これからもずっと共にいる。
もちろん、お腹の子供も一緒にな。
それでは、これにて閉廷とします。
法廷に、裁判長の声が響いた。
END