元セックスワーカーの私が、性売買に反対する理由。
当事者として性売買に反対
私は、元性売買当事者だ。かつて私は「風俗嬢」だった。現在は、元当事者であり、同時に性売買反対の立場からSNS等で発信している。
私が性売買に反対する理由はいくつもある。しかしこの記事では主として、性売買を擁護する言説に必ずといっていいほど見られる「主体性」という概念と、その脆さ、危うさを、自分の経験から暴いていきたいと思う。
性的境界線侵害への反発
まず一つ語りたいポイントは、性的境界線が守られることのない生育環境を経た人が、性売買に向かうというケースが存在するということだ。
親や教師、身近な大人から性的境界線を侵害され続けると、反発の意図を持って性売買を志向することがある。私の場合は、そこに母からの過保護や過干渉が加わり、より反発の気持ちが強まった。
善意の抑圧に滑り込む支配
また女性の場合、常に周りから受け続ける「女の子だから危ない目に合わないように・(生殖可能性や美的資源を持つ)身体を大事に」という善意の抑圧がある。
そしてそこには「親や教師の支配欲」「淑やかさや純潔を求めるジェンダー意識」が混ざっていることがしばしばある。それを、私は敏感に嗅ぎ取っていた。
抑圧の実行者は大抵母親や初等教育の担い手である女性だが、実行者であるということは抑圧を生んだ当人であることを意味しない。知らず知らずのうちに少女を抑圧してしまう母親や女性教師も、構造の被害者である。しかし悲しいことに抑圧の「黒幕」は、子どもからは見えない。
そうして少女だった私は、セクシュアリティの主体性回復を望むようになる。その手段として有効に感じられたのが、自分のセクシュアリティを、自分の意思で、自分の利益のために行使しているという感覚をもたらす、性売買であった。
性的資源という権力の錯覚
また、外部の他者から性的に求められることは、抑圧され、力を奪われてきた人間にとって、その瞬間「権力」の錯覚をもたらすものなのだ。少なくとも私が性売買に向かった背景には、上のような動機が少なからずあった。
また、後から知ったことだが、精神医学の専門家は、性的被害を受けた人が性売買を含む自傷的な性行動に耽溺する現象を、「トラウマの再演」と呼んでいるらしい。
トラウマ的な子ども時代
簡単に私の生育歴をお話しする。私の父は日系大手企業のサラリーマン、母は専業主婦だった。ローンで買った郊外の戸建てに住む、一般的なサラリーマン家庭だ。しかし私は、物心ついてから、両親が仲良く過ごしていた記憶がほとんどない。そして、私が八歳くらいのとき、両親は関係性を修復することを放棄した。離婚したのではない。家庭内別居という形をとったのだ。この家庭内別居によって、私は同居していながら10年以上父とまともに口をきいたことがないという異常な状態にあった。
小学校や中学校においては、私は問題児であると同時に、いじめられっ子でもあった。教師からのいじめもあった。学校から「通報」のごとくかかってくる電話で伝え聞いた、私の問題行動(今思えば私はいじめられていたのだが、教師の主観では私の引き起こしたトラブルということになっていた)を、日付が変わるまで母に叱責されることも日常になっていた。母は学校や近所といった世間体を大事にすると同時に、過保護で過干渉でもあった。
母からの、深夜まで立ったまま叱責が続いたあと、私をハグして「愛してる」という。そして私にキスをするのだ。頬ではなく、口に。私が風呂に入っていると、私の性器を「大事なところだから、きちんと洗えているか」チェックしにくるのはほとんど毎日のことだった。胸のふくらみが気になる年頃になると、風呂上がりにじろじろと観察された。
母は加害者であり、女性差別の被害者だ
母もまた女性差別の被害者だった。少女時代にヤングケアラーとして「いい子」を強いられ、男女雇用機会均等法前夜に社会に出て無力感を味わい、出産でキャリアを閉ざされた。専業主婦の規範に縛られ、セクシュアリティと自己実現欲求を抑圧されたことにより、私に不満の矛先が向かった。母は虐待の実行者であり、家父長制の被害者だ
学校ではこんなこともあった。修学旅行の大浴場から上がってきた裸の女子児童たちを、服を着た女性教師が椅子に座って見ている。そして、一人ひとりの裸を一瞥しては、流し残しがないか確認してから脱衣所に通すのだ。私も同じようにじろりと裸を見られ、教師から流し残し(泡がついていたか、単に私が教師に嫌われていたのだろう)を指摘され、一人風呂に戻るように指示された。
無防備な状態でプライベートパーツを一方的に晒され、さらにジャッジされるという屈辱的な体験として、このことは私の記憶に残り続けている。
少女を抑圧する女性たちも「女性差別の被害者」だ
抑圧の実行者は大抵母親や初等教育の担い手である女性だが、実行者であるということは抑圧を生んだ当人であることを意味しない。知らず知らずのうちに少女を抑圧してしまう母親や女性教師も、構造の被害者であるということは、のちに理解した。
セックスという「自由」
進学を口実に実家を出てからは、AV女優になることに憧れたりもしつつ(当時はそれがロックだと思っていた)、毎日のように違う男性と寝た。
自分では、奔放な性生活を楽しんでいるつもりであった。母親からの監視を逃れ、母が管理し、独占することに固執した私の肉体を、簡単に男たちの前に差し出すという行為で、母を裏切っているような爽快感があった。
自分のセクシュアリティは母のものではない、自分のものであると、初めて証明した気分になれた。
また、性は初めて持つ「権力」の感覚を私にもたらした。性をちらつかせれば、男は実家に帰りづらい私を家に泊めてくれるし、ご飯をご馳走してくれ、タクシー代をくれたりもする。男が私を欲しがれば、その瞬間私は自分を余裕のある、男よりも優越した存在だと勘違いできる。
他の女の子のように「付き合う前は身体を許さない」なんて、不自由で遅れた価値観だと思っていた。自分は男のように性欲にまっすぐで、合理的で、他の女の子とは違うのだと、自認していた。
「水商売」と地続きの性暴力
そんな中、反発の一環と好奇心、生活費の必要から、キャバクラで働きはじめた。そこで客からの性被害にあった。
性被害とは、自己コントロールの感覚を剥奪されることである。普段、無意識に統合している五感と身体制御がバラバラにされ、行為における能動と受動の境界が暴力的に撹乱されるのだ。
当時は不同意性交等罪へと刑法改正がなされる前であった。同意のない性交はレイプであると、今ほど世間的に認識されておらず、私自身飲酒していたことやいわゆる水商売に従事していたことを引け目に感じて、被害認識が遅れた。
被害を被害であると意識できるようになるまでには、四、五年かかった。警察に行くという発想も無かった。
依存症と就労困難
やがて周りの学友たちが就職する時期になっても、私は途方にくれていた。後にうつ、複雑性PTSDと診断されることになる精神的困難により、就職活動どころか卒業すらも滑り込みのような形であった。
アルコール依存でもあり、毎日意識を失うまで飲み、覚醒した瞬間に酒を口に流し込まなければ耐えられなかった。
そもそも就職活動に「成功」したはずの父が全く幸せそうには見えず、かといって専業主婦の母のようにもなりたくなかった。郊外の均質的な住宅地の、核家族で育ったために、子どもの頃目にした、社会で働く大人のモデルは、両親と教師しかいなかった。私は「大人」になることに絶望していた。
コロナ禍の最中で、社会全体が停滞ムードだったことに乗じて両親を誤魔化し、私はフリーターとしての生活を始めることとなった。
生活は苦しかった。精神的不調から、朝起きることも、夜眠ることも、一ヶ月先までシフトを拘束されることも、耐えられなかった。学生時代に始めた水商売で、なんとか食いつないだ。
しかし、そうはいっても水商売は売上によって変動するという、不安定な時給制だ。私は精神的な不調で常にニコニコしていることさえ難しく、接客も安定しなければ売上は下がり、そうなればペナルティもあり、手取りはどんどん削られていく。給与も多くの場合が日払いではなく、給料日までの生活をやりくりする必要がある。
私は発達障害と診断されており、強い特性が現れているのを感じていた。生活管理も私には難しかった。
こうして私はほとんど自動的に、「風俗」へと追いやられていった。水商売というゲートドラッグから、風俗へ。これは典型的なルートである。
一大市場を形成する客の嗜好である「素人」っぽさも、「ロリ」も「美少女」にも当てはまらないうえ、大した売り込みポイントもない私は不人気だった。それでも合計すると、客にはそれなりについた。ほとんどが、ただただ不快だった。
私が不快を不快ということのできない時間を、客は買ったのだった。それは単に奴隷になるための肉体を貸すだけのことであると、私は気付いた。
私はただの空っぽな、穴の空いた肉体であると感じた。それは、精神医学の言葉を借りれば、おそらく、解離というものに近い感覚なのではないかと、思い出すことがある。
福祉の代替を装う性産業
ここで二つ目のポイントとして、精神的(あるいは知的)な疾患や障害を持つ人間にとって、日本社会に一般的な就労体系は非常に困難であるということを述べておきたい。 このような場合、本来であれば福祉がセーフティネットになるべきである。しかし、性産業は、この福祉の一歩手前を占めている。しかもそれは国家によって半ば公認された産業である。
性産業がこのように「合法的」なかたちで存在する限り、(資本主義、求人広告の常として)性産業は高収入の甘言で困窮女性を「誘惑」することをやめないだろう。本来の語義における福祉は命綱であると同時に、生活の制限等デメリットもある。性産業が存在する限り、それは福祉より金銭的に魅力的で(一見)自由な「地獄」として、困窮女性を吸い込み続けるのだ。
性産業さえ禁止されていれば直接、本来の「福祉」につながることもできたかもしれないのに。
経済的貧困と「自尊心の貧困」
最後に三つ目のポイントとして、「自尊心の貧困」という概念を提唱したい。
私はこの記事において、一つ目に、トラウマ的な養育環境や経験がサバイバーを性売買へと向かわせるということを書いた。
二つ目には、経済的な貧困や、精神・知的疾患といった社会的弱者が一般的な労働に適応できない状況を、性産業が利用しているという構造を書いた。
三つ目は、以上二つの話題の射程と重なる、「自尊心の貧困」という概念を提示する。これはどういうことかというと、SNS空間でよく見かける以下のような言説に対して私が思うことである。
それは要約すると、「食うに困って性売買する女性は、保護すべき可哀想な存在だけど、ホストや整形、ブランド物のために性売買してる女は自己責任であり、楽して大金を得ていい思いをしている、ズルくて悪どい存在だ」というもの。
このような意見をきくと、なんでその女性がホストや整形を必要とするようになったのか、考えてみてほしいと私は思う。金銭の搾取と引き換えに疑似恋愛を提供するホストや、自傷のような整形や、わかりやすい富と力の記号であるブランド品を必要とする精神状態の背景にあるのは、過去の傷であり、ひいては自尊心の欠如ではないだろうか。
「自尊心の貧困」もまた、経済的貧困と同様に、人を死に至らせる立派な貧困の一つだと私は思う。一見「普通」の仕事できる学歴も能力もあるのに、「ふつう」の仕事で得られる金銭で手に入る範囲のモノやサービスでは、心が埋まらない。そこには見えない生育歴の傷や特性、疾患があるかもしれない。彼女ら、そして過去の私に、必要なのはケアであり、性売買をする選択肢ではない。
私は運よく、ホスト遊びを楽しいと思ったり、ホストに恋愛感情を抱くということがないまま、性売買をサバイブしてきた。
それでも整形には決して少なくない額を使った。心が乱れたときは、お金もないのに買い物をして気を紛らわした。消費者金融から借金もした。アルコールや人間関係や、その他多くのものに依存してきた。
私の貧困は、経済的貧困であると同時に、いや、それ以上に「自尊心の貧困」であったと、今は思う。
「主体性」という言葉に覆い隠される個人史
外野が、性産業という「選択肢」を「主体的」なものであるとみなすとき、当事者の人生にはこれだけの事情があることは想像されていない。
もちろん、これは私という人間一人の、一つの例でしかない。しかし私は、私と同じような仲間を、特に女性を、たくさん知っている。私たちの声を聞いてほしい。安全地帯から投げかけられる自由意志論や、自己責任論は、私には空疎なものに思えて仕方がない。人間は、社会は、それほど単純にはできていない。



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