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【伏見俊昭と戦友】永遠の勝負師・小野俊之の引退…そしてウィナーズで見た山崎歩夢の大物の片鱗

2026/03/30 (月) 18:00 26

 netkeirinをご覧の皆さんこんにちは、伏見俊昭です。
 今回は先日防府で開催された「ウィナーズカップ(GII)」のエピソードと、3月26日に別府でラスト開催を終えた小野俊之君の引退についてお話ししたいと思います。

伏見俊昭(撮影:北山宏一)

最古期、最年長での参加のウィナーズカップ

 防府での「ウィナーズカップ(GII)」、いい緊張感を持って走ることができました。走り終えてまず感じたのはなかなか厳しい戦いだったということと、「若手の勢いがすさまじいな」ということでした。

 今の20代の選手たちは本当に鼻息が荒い。勝ちたい、負けたくないという感情がむき出しで、一緒に走っているとその熱量がビンビン伝わってきます。その反面、いわゆる“ゆとり世代”というのかな。抜くときは抜く、入れるときは入れるみたいな感じでオンとオフがはっきりしている印象もありました。その日に戦う相手同士が普通に笑いながらしゃべってるシーンもよく見かけました。自分が若手のころ相手に白い歯を見せたら負けぐらいに思っていたので驚きです。

 地元の清水裕友君と古性優作君も、いつも談笑していて、散歩したり、自転車のセッティングを確かめ合ったりしていて、仲がいいし、いいライバル関係なんだなあと感じました。まあ、自分はあのピリピリした空気感が自分を成長させてくれたと思っているし、はたから見れば嫌な空気感だったでしょう。実際、「話しかけづらい」と言われたこともありますが、それでも良かったなと思っています。

50歳すぎてのウィナーズカップ出場はなかなか過酷(2番車)…(撮影:北山宏一)

 ウィナーズや共同通信社杯は、若手の自力選手が出場しやすい選考基準になっています。その大会に50歳過ぎて出るのはなかなか…。年の差をひしひしと感じました。開催前は若手に負けずに頑張ろうと思っていましたが、ビッグレースをシリーズ通して4日間走るのも久しぶりだし、3日目くらいになるともう体力も気持ちも続かなくなりそうでした。でも気持ちだけは切らさず、なんとか耐えました。

 今の競輪は333バンクのグレードレースともなれば、残り2周半からレースが始まってしまいます。50歳を過ぎた身には、気力と経験でカバーするにも限界があるほどの体力勝負。最終日はなんと目標不在の単騎という厳しい構成で、「どうしよう?」っていう感じでしたが、最後まで全力で走ることができたのは、自分にとって一つの収穫だったと思っています。今年はまだ始まったばかりですが、ここで受けた刺激を残りの9ヶ月につなげていければいいですね。

リニューアルした防府競輪場には活気が戻っていた(写真提供:チャリ・ロト)

 また、リニューアルした防府競輪場のきれいさにも驚きました。バックの管理棟は昔のままですが、ホームスタンドは見違えるように整備され、家族連れが楽しめる公園のようなスペースもあり、活気が戻っていますね。熊本の全日本選抜でも感じましたが、一時期に比べて本場にたくさんのお客さんが足を運んでくださっています。大勢のお客さんの前で走ること、目の前で声援をいただけることは、僕ら選手にとって何よりのやりがいです。ネット投票も便利ですが、やはりライブの迫力を肌で感じていただけるのは本当にありがたいことだと、改めて実感しました。お客さんに楽しんでもらえるようなきれいな施設にしてくださった施行者さんにも、感謝したいです。

宿舎でのサプライズと山崎歩夢が見せた大物の片鱗

開催3日目の3月21日に誕生日を迎えた阿部力也(撮影:北山宏一)

 昼間はひりついた戦いが続きますが、一歩離れれば温かい時間もあります。開催3日目の3月21日は宮城の阿部力也君の誕生日だったんです。力也君と同県の菅田壱道君が、朝のアップ中にやってきて「伏見さん、今日は力也の誕生日なんで夜、食堂でサプライズを用意してます。6時に食堂に来てください」と声をかけてくれました。

 ただ、その時点で僕は二つ返事では「わかった」とは言えなくて…。というのも、3日目、僕は一般戦で7〜9着だとお帰りになってしまうからです。なので「最終日まで残れるよう頑張るよ。残れたら参加させてもらうよ」って返事をしました。それもあってか、なんとか最終日も走れることになりました。

「ただ者じゃないな」と感じた山崎歩夢(写真提供:チャリ・ロト)

 夕方6時に食堂へ行くとほぼ満席状態。福島勢で席に座り、何が起こるのかと待っていると、食堂の電気が消えてロウソクを立てたケーキが登場した瞬間、山崎芳仁君の息子さん、20歳の山崎歩夢君がいきなり立ち上がって、堂々と『ハッピーバースデー』を歌い出したんですよ(笑)。そこまでは知らされてなかったんでびっくりしました。60人以上の先輩選手が見守る中で、全く物怖じせずに歌いきる姿を見て「ああ、やっぱり山崎の息子だな、ただ者じゃないな」と、その大物感に感服しました。近畿勢の皆さんの明るい関西のノリもあって、食堂内がこれまでにないほど和やかな、いい雰囲気に包まれました。

永遠の勝負師・小野俊之の引退

 そして、寂しい知らせが届きました。同じ時代を戦ってきた小野俊之君の引退です。小野君といえば、泣く子も黙る「競りの猛者」。横に並ばれるだけで脚を削られるような、圧で圧倒されるような厳しさを持った選手でした。でも、自転車を降りれば礼儀正しい好青年です。

“豊後の虎”小野俊之が引退発表した(写真提供:チャリ・ロト)

 小野君とのレースで一番、印象に残っているのは豊橋で鈴木謙太郎君(当時・福島)の番手で競ったことですね。小野君との競りはそれが最初で最後でしたが、とにかく威圧感がハンパなかったです。小野君が立川グランプリで優勝したときも一緒に走っていましたが、VTRを見直しても単騎の的確な判断、最後の伸び、すべてが単騎の理想形の走りと感じました。あれは小野君だからできた芸当ですね。

 それと、小野君はお酒が大好きなんですよ。今は禁止になりましたが、昔は食堂でお酒が飲めたんです。食堂に行くと、いつも酔ってご機嫌な小野君の豪快な笑い声が響いていました。同県の大竹慎吾さんとおしゃべりしながら楽しそうにしている姿が、今でも目に浮かびます。

 20代の頃、北海道の千歳で合宿をした際、斉藤正剛(北海道・引退)さんを交えて朝まで飲み明かしたことがありました。人生でベスト5に入るほど浴びるように飲みましてね。泥酔した挙句、明け方の道路の真ん中で小野君が大の字になって寝転んだんです。つられて僕も一緒に寝ころんで「気持ちいいな!」なんて若さに任せて吠えていましたね。あんな青春を共有できたことは僕の宝物です。

 他地区ではあるのに、小野君の別府での結婚式に呼んでくれたのも本当にうれしかった。僕の後ろで競り抜いてくれたときの頼もしさ。立川グランプリでの単騎優勝。彼の走りはいつだってドラマチックで、生き様そのものが豪快でした。「悔いはない」という言葉を聞いて、今はただ「本当にお疲れ様」と伝えたいです。

今はただ「本当にお疲れ様」と伝えたい(写真提供:チャリ・ロト)

 一人、また一人と近い年齢の仲間が去っていく。寂しさはありますが、それが時代というものなのでしょう。若手の勢いに刺激をもらい、去りゆく戦友に背中を押される。僕もまた、怪我にだけは細心の注意を払いながら、最後まで「気持ち」を絶やさずにペダルを漕ぎ続けたいと思います。

(※文中敬称略)


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伏見俊昭

フシミトシアキ

福島県出身。1995年4月にデビュー。 デビューした翌年にA級9連勝し、1年でトップクラスのS級1班へ昇格を果たした。 2001年にふるさとダービー(GII)優勝を皮切りに、オールスター競輪・KEIRINグランプリ01‘を優勝し年間賞金王に輝く。2007年にもKEIRINグランプリ07‘を優勝し、2度目の賞金王に輝くなど、競輪業界を代表する選手として活躍し続けている。 自転車競技ではナショナルチームのメンバーとして、アジア選手権・世界選手権で数々のタイトルを獲得し、2004年アテネオリンピック「チームスプリント」で銀メダルを獲得。2008年北京オリンピックも自転車競技「ケイリン」代表として出場。今でもアテネオリンピックの奇跡は競輪の歴史に燦然と名を刻んでいる。

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