コンテンツにスキップ

動く石

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
動く石と移動痕

動く石(うごくいし、英語: sailing stones)は、乾燥地域のプラヤなどで、石が地表上を移動して長い痕跡を残す自然現象である。英語では sliding rocksmoving rocks とも呼ばれる。最も著名な例は、アメリカ合衆国カリフォルニア州デスヴァレーデスヴァレー国立公園内にあるレーストラック・プラヤで見られるものであるが、同様の現象はボニー・クレア・プラヤなど他のプラヤでも報告されている[1][2]

動く石は、平坦な泥質地表の上にある石が、あたかも自力で移動したかのように数メートルから数百メートルにわたって動き、その背後に細長い溝状の痕跡を残す現象である。長らく石が実際に動く瞬間は確認されず、風、氷、水、泥の状態などをめぐって複数の仮説が唱えられてきたが、2014年にレーストラック・プラヤで石の移動が直接観測され、浅い冠水、薄い氷板、弱い風の組み合わせが主要な条件であることが強く支持された[3]

石の移動はきわめてまれであり、長期間まったく動かない石もある。このため、研究史の多くは移動痕の分析や地表条件の推定に依拠してきた。また、氷の形成を必要とする移動は気候条件の影響を強く受けるため、近年では移動頻度の低下可能性も指摘されている[2]

英語では sailing stones のほか、sliding rocksmoving rocks などの呼称も用いられる。学術文献や公園当局の説明では sliding rocks が用いられることも多いが、一般には sailing stones が広く知られている[1][4]

分布と代表例

[ソースを編集]

もっとも著名な分布地は、デスヴァレー国立公園北西部のレーストラック・プラヤである。ここでは乾燥した湖床面に多数の石が散在し、その一部が直線状または湾曲した長い痕跡を残している。国立公園局によれば、石の中には約700ポンド(約320キログラム)に達するものもある[4][1]

同様の現象はレーストラック・プラヤ以外にも報告されており、国立公園局はボニー・クレア・プラヤを、より観察しやすい類例として挙げている。したがって、動く石はレーストラック・プラヤ固有の奇観というより、特定のプラヤ環境で生じうる自然現象の一型として理解するのが適切である[2]

地形環境

[ソースを編集]

レーストラック・プラヤは、コットンウッド山脈ラストチャンス山脈にはさまれた遠隔地の谷に位置する乾いた湖床であり、長さ約3マイル、幅約2マイルに及ぶ。少なくとも1万年前、この地域では寒冷・湿潤期と高温・乾燥期が繰り返され、湖が形成と消失を繰り返した結果、現在見られる泥質の平坦面が残された[2]

動く石の多くは、周囲の山地から侵食・崩落によってプラヤ表面へ供給されたや岩塊である。これらの石はふだんは静止して見えるが、まれな冠水と低温条件のもとで移動し、その経路は乾燥後に痕跡として保存される。国立公園局によれば、一部の石は約1,500フィート(約460メートル)移動した例がある[2]

現象の特徴

[ソースを編集]
石の進む道は真っ直ぐとはかぎらない

石が残す痕跡は、湿潤時に軟化した泥面に形成される。痕跡は直線的なものもあれば、途中で緩く曲がるものもあり、複数の石がほぼ並行して移動したように見える場合もある。石の形状や底面の状態によって、残される痕跡の幅や連続性にも違いがあるとされる[5]

レーストラック・プラヤでは、石は周囲の山地から供給された礫や小岩塊であり、乾燥した時期には湖床面に静止しているように見える。しかし、冠水と凍結・融解を伴うまれな条件下で移動し、乾燥後に痕跡だけが長く保存されるため、移動後もしばらくその経路を観察できる[3]

動く石の現象は、レーストラック・プラヤの個別的な奇観として知られるようになる以前から、乾燥地域のプラヤに見られる移動痕として研究対象となっていた。後年の総括によれば、この種の痕跡は1948年に地質学文献で最初に記載され、その後、南カリフォルニアの複数のプラヤのほか、チュニジアや南アフリカでも類例が報告されている[6]

レーストラック・プラヤが特に著名となったのは、痕跡の明瞭さと景観上の顕著さに加え、比較的大型の石が長距離を移動した記録が知られるためである。このため、20世紀後半以降の研究は、とくにレーストラック・プラヤを主たる観察地として展開した[6][2]

20世紀中の研究事例としては、1955年のレーストラック・プラヤの石の痕跡形成について検討を行ったものが残っている[7]。その後も原因をめぐる議論は続き、1995年のレーストラック・プラヤの石の移動条件の研究、1996年の痕跡形成の研究と続いた[8][9]

2000年のポール・メッシーナとフィリップ・ストファーは、地形分析を通じて石の分布や痕跡を詳細に整理したが、なおも移動機構は未解明であった[5]

2013年にはギュンター・クレテチカらが、岩石の熱伝導率や水位変動が移動に関与する可能性を論じた[10]

2014年、リチャード・D・ノリスらはGPS装置を組み込んだ石、定点撮影、気象観測を組み合わせ、石が移動する様子を直接観測した。この研究は、浅い冠水と数ミリメートル程度の薄い氷板、比較的弱い風の組み合わせが石の移動を引き起こすことを強く支持した[3]

ただし、2015年にはロナルド・ジョーンズとロジャー・ルブラン・フックが、きわめて滑りやすい表面条件では風だけでも石が移動しうると論じており、個々の移動痕がすべて同一条件で形成されたと断定することには慎重さが必要である[6]

移動機構

[ソースを編集]

2014年の観測で強く支持された説明では、まずプラヤ表面が浅く冠水し、寒冷な夜間に数ミリメートル程度の薄い氷板が形成される。翌朝から日中にかけてこの氷板が割れ、風に押されてゆっくり移動し、その過程で石を湿った泥面上で押し動かす。重要なのは、石そのものが大きく浮き上がることではなく、薄い氷板が広い面積で風の力を受け、比較的弱い風でも石を動かしうる点である[3]

この観測では、2013年12月20日に60個を超える石が移動し、計測対象の一部は2013年12月から2014年1月の間に最大224メートル移動した。また、薄氷はおおむね3 - 6 mm、風速は約4 - 5 m/s であり、移動速度は毎分2 - 5メートル程度であった。これは、かつて想定されていた「非常に強い暴風が巨大な石を直接吹き動かす」といった説明を覆すものであった[3]

しかしながら、移動機構に関する議論が完全に終結したわけではない。2015年には、氷を伴わない条件でも、非常に滑りやすいプラヤ表面では風だけで石が移動しうるとの報告が出されている。そのため、レーストラック・プラヤにおける代表的な機構としては薄氷と弱風の組み合わせがもっとも有力である一方、すべての移動痕が同一条件で形成されるとは限らない可能性がある[6][3]

この点からみると、氷板説と風単独説は、必ずしも完全に相互排他的な説明ではない。レーストラック・プラヤにおける2013年12月の直接観測は、浅い冠水と薄い氷板、比較的弱い風が組み合わさった場合に石が移動することを強く示したが、他方で、表面摩擦がきわめて低い条件では氷を伴わない移動も起こりうると考えられている[3][6]

また、石の形状、底面の粗さ、泥面の含水状態、微地形、冠水の持続時間などが痕跡の形や移動距離に影響することも指摘されている。したがって、動く石は単一要因で説明されるというより、プラヤ表面の含水状態、気温、氷の形成条件、風速、石の形状や重さなど複数の条件が重なったときに生じる現象として理解するのが適切である[5][3][6]

大衆文化・知名度

[ソースを編集]

動く石は、長年にわたり「自然界の謎」の一つとして一般向け書籍や報道で取り上げられてきた。とくにレーストラック・プラヤの事例は、デスヴァレー国立公園を象徴する景観の一つとして広く知られている。他方で、2014年の直接観測以後は、神秘現象としてよりも、乾燥地域の地表過程を示す実例として紹介されることが多くなった[4]

ギャラリー

[ソースを編集]

関連項目

[ソースを編集]
  1. ^ a b c “Sailing stone”. ブリタニカ百科事典. 2026年3月30日閲覧.
  2. ^ a b c d e f The Racetrack”. アメリカ合衆国国立公園局. 2026年3月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h Norris, Richard D.; Norris, James M.; Lorenz, Ralph D.; Ray, Jib; Jackson, Brian (2014). “Sliding Rocks on Racetrack Playa, Death Valley National Park: First Observation of Rocks in Motion”. PLOS ONE 9 (8): e105948. doi:10.1371/journal.pone.0105948. 
  4. ^ a b c Mystery Solved Mysterious “sailing stones” of Death Valley seen in action for the first time”. アメリカ合衆国国立公園局 (2014年8月27日). 2026年3月30日閲覧。
  5. ^ a b c Messina, Paul; Stoffer, Philip (2000). “Terrain analysis of the Racetrack Basin and the sliding rocks of Death Valley”. Geomorphology 35 (3-4): 253–265. doi:10.1016/S0169-555X(00)00042-8. 
  6. ^ a b c d e f Jones, Ronald; Hooke, Roger LeB. (2015). “Racetrack Playa: Rocks moved by wind alone”. Aeolian Research 19: 1–3. doi:10.1016/j.aeolia.2015.08.001. 
  7. ^ Stanley, George M. (1955). “Origin of Playa Stone Tracks, Racetrack Playa, Inyo County, California”. Geological Society of America Bulletin 66 (11). doi:10.1130/0016-7606(1955)66[1329:OOPSTR]2.0.CO;2. 
  8. ^ Reid, John B., Jr.; Bucklin, Edward P.; Copenagle, Lily; Kidder, Jon; Pack, Sean M.; Polissar, Pratigya J.; Williams, Michael L. (1995). “Sliding rocks at the Racetrack, Death Valley: What makes them move?”. Geology 23 (9): 819–822. doi:10.1130/0091-7613(1995)023<0819:SRATRD>2.3.CO;2. 
  9. ^ Bacon, David; Cahill, Thomas; Tombrello, Thomas A. (1996). “Sailing Stones on Racetrack Playa”. The Journal of Geology 104: 121–125. 
  10. ^ Kletetschka, Gunther; Hooke, Roger LeB.; Ryan, Andrew; Fercana, George; McKinney, Emerald; Schwebler, Kristopher P. (2013). “Sliding stones of Racetrack Playa, Death Valley, USA: The roles of rock thermal conductivity and fluctuating water levels”. Geomorphology 195: 110–117. doi:10.1016/j.geomorph.2013.04.032. 

参考文献

[ソースを編集]
  • Stanley, George M. "Origin of Playa Stone Tracks, Racetrack Playa, Inyo County, California." Geological Society of America Bulletin, 66(11), 1955. doi:10.1130/0016-7606(1955)66[1329:OOPSTR]2.0.CO;2
  • Reid, John B., Jr.; Bucklin, Edward P.; Copenagle, Lily; Kidder, Jon; Pack, Sean M.; Polissar, Pratigya J.; Williams, Michael L. "Sliding rocks at the Racetrack, Death Valley: What makes them move?" Geology, 23(9), 1995, pp. 819–822. doi:10.1130/0091-7613(1995)023<0819:SRATRD>2.3.CO;2
  • Bacon, David; Cahill, Thomas; Tombrello, Thomas A. "Sailing Stones on Racetrack Playa." The Journal of Geology, 104, 1996, pp. 121–125.
  • Messina, Paul; Stoffer, Philip. "Terrain analysis of the Racetrack Basin and the sliding rocks of Death Valley." Geomorphology, 35(3-4), 2000, pp. 253–265. doi:10.1016/S0169-555X(00)00042-8
  • Kletetschka, Gunther; Hooke, Roger LeB.; Ryan, Andrew; Fercana, George; McKinney, Emerald; Schwebler, Kristopher P. "Sliding stones of Racetrack Playa, Death Valley, USA: The roles of rock thermal conductivity and fluctuating water levels." Geomorphology, 195, 2013, pp. 110–117. doi:10.1016/j.geomorph.2013.04.032
  • Norris, Richard D.; Norris, James M.; Lorenz, Ralph D.; Ray, Jib; Jackson, Brian. "Sliding Rocks on Racetrack Playa, Death Valley National Park: First Observation of Rocks in Motion." PLOS ONE, 9(8), 2014, e105948. doi:10.1371/journal.pone.0105948
  • Jones, Ronald; Hooke, Roger LeB. "Racetrack Playa: Rocks moved by wind alone." Aeolian Research, 19, 2015, pp. 1–3. doi:10.1016/j.aeolia.2015.08.001

外部リンク

[ソースを編集]