エネルギー危機

私は日本のテレビを一切見ないので、日本で何が報道されているか、ほとんど知らない。新聞もコロナの時、”これは違うんじゃないか?”という記事が多く、とるのをやめた。

困るのはハブのグリスアップで、下に敷く新聞紙がないぐらいか(爆)。

いまイランの戦争で、最も困っている国、おそらくニュージーランドではないか?2番目はオーストラリアか。この2か国はネットゼロ計画で、『産業社会から脱インダストリアル社会』へ移行し、オーストラリアの左巻政権は8つの製油所で90%を自給できたが、いまはそのうち2しか稼働していない。自給率は17%まで落ちている。火力発電所に至っては、閉鎖だけではなくダイナマイトで爆破して壊しましたから。さらにガス田には”使えなくするために、わざわざセメントを注入して壊しているので、ガスの供給もままならない。インドネシアや韓国に供給を頼っていたのだが、その彼らも今回は自国のことで手一杯。

石油、とくに農業で不可欠なディーゼル燃料がなくなるので、今年の農業の収穫におおきな問題が出るだろう。備蓄は最長で37日、最短で25日と言われている。そのため『石油節約ロック・ダウン』をされる可能性が大きい。不要の自動車使用の禁止。飛行機による移動の禁止・制約。そうした土台をつくったニュージーランドの前首相は移住を検討中というのは数日前の記事で書いた。

英国、ドイツ、オーストリアも似たような状況で、通勤に使うガソリンの値上がりがひどいので、仕事を辞めて生活保障をもらったほうがよい、と仕事を辞める人もオーストリアでは出ている。そうした中、ロンドンの目抜き通りオックスフォード・ストリートを、車が通れなくして歩行者エリアにするということを労働党はいっているが、あそこをふさいだら、バスも通れなくなる。バス頼みの人たちはどうにもならないだろう。

昨日、用事で新宿まで出た。ずいぶん変わりました。『永久に工事をやっている新宿駅』という感じ。昔は高田馬場がそんな具合だった。高田馬場も古書店と喫茶店が壊滅的になくなり、ラーメン・ちょいな・タウンになった。しかし、新宿駅は人の流れが交錯していて、アリ塚を崩したように、無秩序に人が流れている。あそこで、関東に大地震が起きたら、大パニックなのではないか?

私は幼年時代、新宿のすぐ近くに住んでいたので、昔の新宿界隈をよく知っている。『オレは京王線の新宿駅が地上にあったころを知っている』と言うと、『戦前ですか?』という人がいる(笑)。西口の高層ビル街もなく、淀橋の浄水場のとなりに電電公社のケーブルをまく、巨大な木造の糸巻きのようなものがたくさんころがっていた。

そうした野原の中に、鬼子母神のお寺がぽつんとあった。高層ビルが建ち始める直前、あそこにあったガソリンスタンドの持ち主が、立ち退きで巨額の現金を手にしたのか、大型のファンタムかシルヴァー・クラウドのRRに乗っていたのを思い出す。

私は参宮橋のほうへ、祖父に生まれて初めての喫茶店に連れて行かれたのもあのあたり。私はまだこどもだったのだが、強烈に印象に残っている。私はこどもごころに、祖父は焼鳥屋へ行く人だと思っていた。いつも焼鳥屋にいるのを目撃していましたから。調べれば何年かわかる話だが、”ボリショイ・サーカス”が来たときにチケットをもらったのと同じ頃。『ボリショイというのは大きいというような意味だ』という会話の断片と、その喫茶店のあかりが『これはシャンデリアというもので、ウィーンのものだ』と言われたのを記憶している。ウィーンという名前は、その当時白黒の映画『未完成交響曲』を見ていたので知っていた。祖父はヨーロッパに住んでいたことがあるので、ヨーロッパのことに精通していたのは当然なのだが、私が祖父とヨーロッパのつながりを意識したのはその時だけだった。いまから考えると、そのシャンデリアはマリア・テレジアかなにかだったのだろう。そのころは、不二家のレストランで食べるロースト・チキンが贅沢と考えられるぐらいでしたから、シャンデリアというのは別世界だった。

新宿のデパートの屋上には遊園地になっているところがあった記憶がある。そこへゆくと、だいたい巨大な双眼鏡のようなものが置いてあって、滲んだような独特な色のスライドの紙芝居が見える機械が置いてあった。一回10円だったか?あれはもう一度見てみたい。

おもちゃ売り場には、ブリキのさまざまなおもちゃがあり、鉄道模型やジオラマもあった。木のおもちゃもあった。いまはほんとうにプラスチックの物ばかりになった。いや、それよりもおもちゃ売り場があるのだろうか?ゲーム市場がメインなのではないか?

ここへきて”町のおもちゃ屋”が絶滅しているようだ。”町の自転車店”も消滅してきている。町の新刊本屋もなくなり、私の時代、うしろにダボ箱を付けた実用車で、雑誌”少年”とか”冒険王”とかを家まで配達してくれていた。そういう本屋はいまやまず無い。それが読み終わると古本屋へまわり、洗濯物をつるすものほしを店先につるし、そこに雑誌やマンガがぶる下がっていた。みんな、それでうまく回って生活出来ていたわけですから、昔は昔で完結していた。

昨日、デパートの中を抜けたら、海外からの観光客がずいぶんいた。これも、エネルギー危機が進んで、飛行機のチケットも上がり、減って行くのだろうなと思った。そうすると、海外の高級なブランドの時計、ファッション、カバンなどが並んだこの市場も、ミラージュのように消えて行くのだろうなという思いがぬぐえない。砂漠の蜃気楼のような、どんどん先へ逃げてゆく。

私は昔の世界を体験して、今をまた同時体験しているわけで、公正に比較できると思うが、『進歩してよくなったものはあるのか?』。いまのカフェでウィーンのシャンデリアのぶら下がっているところはるのか?最高のオーディオで音楽を流しているところがあるのか?1985年ぐらいまでは、まだ、スポードやローヤル・ウスターで紅茶を出して、純銀のスプーンで(陶磁器にキズを付けないため)かき混ぜる世界が青山にもあった。一杯500円だった。当時カフェ・ラ・ミルが一杯1000円していた頃である。いま、そんなところはない。

渋谷にも、19世紀のクラウン・ダービーやスタッフォード、で珈琲を出す店があった。21世紀になってクオリティーは大量生産・規格品に置き換えられたのではないか?

中央線に乗れば窓がまだあいて、上野原では酒まんじゅう、笹子では笹団子のたぐいが、もっと先へ行けば釜めしが買えた。最後に買ったのは2004年ごろに6角形の陶器の土瓶に針金の取っ手のついたお茶を、諏訪だったか富士見だったかで買った。

これは英国でも同じ。1990年代までは普通に食堂車があった。駅の構内には19世紀そのままのステーション・ホテルとレストランがあって、パディントン駅でもブルネル・ホテルの食堂が駅構内にあって、アガサ・クリスティーの世界が愉しめた。

そういうものも、夢まぼろしと消えた。おそらく、漠然とだが、そうしたものは消滅して、二度と復活しない。それどころか、このエネルギー危機と大量移民の時代で、文化は世界中どこへ行っても同じ、似たようなチェーン店とワンコイン・ショップと高額ブランド店だけになり、文化の多様さも深みもなくなって行くだろう。

自分の生きている間だけは、クオリティーの高い自転車で、優雅なライフスタイルでやって行きたいと思っている。

プロフィール

roughton

自然と調和して、自転車の上のEthicalな生活をして、健康長寿。

月別アーカイブ