戦前から続く佐賀県の老舗練り物メーカー、牛津蒲鉾が自己破産した。自己破産の10年以上前から資金繰りに苦しみ、金融機関が支援をする体制が続いた。古い設備でOEMを多く受けるなど低利益体質の中、原価高騰の波が直撃した。

 2025年9月1日、佐賀県小城市に本社を構える老舗練り物メーカー、牛津蒲鉾(うしづかまぼこ)が佐賀地方裁判所に自己破産を申し立てた。負債総額は8億6000万円だった。

 牛津蒲鉾の創業は1934年。蒲鉾製造を目的に中尾辰次氏が立ち上げた。太平洋戦争による中断を経て事業を再開した後は、日本社会全体の経済成長とともに牛津蒲鉾も発展。93年には新しい工場を構えた。

 牛津蒲鉾は蒲鉾だけでなく、ちくわや天ぷら(練り物を揚げたもの)など、練り物全般を製造していた。ミンチ天と呼ばれる佐賀県内では広く知られる、魚のすり身に玉ねぎを加えて揚げた製品も手掛けていた。佐賀県のローカル企業として豊富な商品構成を強みに、地元のスーパーやドラッグストアを中心に販売していた。それ以外にも熊本県の弁当チェーンなどのOEM(相手先ブランドによる生産)を積極的に受けていた。

練り物市場は40年で半減した

 佐賀県は練り物製造が盛んな地域だ。牛津蒲鉾のほかにも複数、中小規模の老舗練り物メーカーがある。そんな県内事情をよそに、練り物市場そのものは減少の一途をたどっている。

 農林水産省の食品産業動態調査によれば、「水産練製品」の生産量は1985年には98万トンあった。それが2024年には43万トンにまで落ち込んでいる。

 市場縮小の影響もあり、佐賀県内の競合だった池司(いけし)蒲鉾工場(伊万里市)が17年、浜蒲鉾(鹿島市)が19年に自己破産に至っている。牛津蒲鉾も市場縮小の影響で業績が悪化。その打開策として採ったのが、商品ラインアップの拡大やOEMの受注だった。

 さらに、11年には工場敷地内に直営店をオープンさせた。利益が見込める自社ブランド品を並べ、卸売りできない規格外品も工場直売のお得な商品として販売した。定期的に特売日やイベントを設けて会社や岩本豊社長がSNSで告知。しかし、佐賀市中心部から遠いこともあり来店客は伸び悩み、会社全体の売上高に占める割合は10%に届かなかった。

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