第4回福祉が風俗に勝てない現実、それは女性の選択か 上野千鶴子さん問う

聞き手・大貫聡子

 「援助交際(エンコー)」「ブルセラ」……。女子高校生がお金と引き換えに性行為をしたり、下着を売ったりする行為は1990年代、社会問題になった。その構図は「JKビジネス」「パパ活」と名前を変えながら、いまも存在し続けている。「『セックスというお仕事』の困惑 商業化が進む中の人権」など、この30年間、多くの論考を発表してきた社会学者の上野千鶴子さんは性売買や売春防止法改正をめぐる議論をどう見ているのか。

 ――女性の性搾取が「パパ活」など、女性が自らの意思で好んでやっているような名前で呼ばれる源流には、90年代に「ブルセラ」や「援助交際」が、女性自身の「選択」や「自己決定」として語られていたことがあると感じています。

 (援助交際もパパ活も)男を免責するうまい言い回しよね。実態は少女買春なのに。

 性行為をサービスとして金銭と交換可能だとみなす「性の商品化」の是非をめぐる論争は80年代からありました。市場経済が拡大するなかで、「女性が性を売るのは主体的な選択だ」「資本主義市場では何もかもが商品になる」という声が大きくなった結果、歯止めがきかない状況になってしまった。

 さらに、「性を売ることはサービス労働だ」ととらえる「セックスワーク」という概念が登場し、この流れに力を与えたと思います。売る側に合意があるからいいだろうと。

 しかしそれから40年たって、日本は貧しくなった。社会は大きく変わりました。

 貧困や孤立、過去に性暴力を受けているなど、複数の困難を抱える女性が性産業に吸い込まれる現状がある。今突きつけられているのは、福祉は風俗に勝てないという現実をどう変えるかでしょう。

 ――当時は女性たちも、援助交際を「エンコー」といい、あたかも自分で選んでやっていると強調していた印象があります。

 「私はこの程度のことでは傷つかない」という「ウィークネスフォビア(弱さの嫌悪)」のあらわれでしょう。(市場を自由にして政府の関与を減らす)新自由主義の価値観である自己決定、自己責任を内面化していった結果だと思います。

 ――上野さんは1994年に朝日新聞に寄稿した「『セックスというお仕事』の困惑 商業化が進む中の人権」のなかで、性産業のすそ野のひろがりと、女性たちが自由意思で性売買をしているようにみえる現実について書かれています。性を売っているのではなく、「性的サービス」を売っているのであり、性産業で働く労働者として認めるべきだというセックスワーク論についてはどう思いますか。

 タイトルにあるように当初から懐疑的でした。昨今の状況にますます強い危機感を抱いています。資本主義の商品市場でも、商品にしてよいものには限界があります。

 性売買は、臓器の売買や代理出産と同様に、金銭と交換してはいけない、商品化してはいけない領域だと考えます。

 労働市場においても、労働者はお金を対価に「自分を売る」ことは禁止されています。そうした契約は、たとえ本人が合意していたとしても無効です。

 人身売買や、借金を担保(かた)にした債務奴隷化は認められていません。

 さらに異性間におけるセックスは基本的には生殖行為。ウクライナは代理出産を合法化しましたが、そこに参入するのは貧しく他に売るもののない女性たち。セックスワークが認められるのだとしたら、「リプロダクティブワーク(生殖労働)」は認められるのでしょうか。

 ――1956年に制定された売春防止法は、売買春を禁じながら、売る側だけを処罰の対象とし、買う側を「その相手方」と受け身の存在に位置づけています。

 売る側を主語にし、売る側が買う側を誘惑した、勧誘したとして責任転嫁する家父長制の言説ですよ。

 一方で、売防法を改正すればすむかというと、そうではない。

 日本は、挿入をともなう性交については、売春防止法で禁止していますが、風俗営業適正化法(風営法)で、男女の性交以外の性的行為を事実上認めている。セクシーキャバクラやおっパブなど多様な性風俗が存在し、ソープランドのように実際は性交をともなうものも野放し状態です。世界からは「買春天国」だと見られています。

 ――買春を暴力ととらえ、買春処罰法を制定したフランスの実態調査では、売る側は女性に偏る一方で買う側は男性に偏っていることが明らかになりました。日本も街中にあふれる性風俗店の看板や求人広告を見れば、女性が売る側に偏っていることがわかります。なぜ男性は買春するのでしょうか。

 私も知りたい。性を売る女性の研究はたくさんある一方で、買春者の研究はほとんどみあたりません。

 需要がなければ供給がないのはあたりまえ。

 私がある男性研究者に「なぜ買う側の研究をしないのか」と言ったら、「男性にとってはあまりに自明で、聞いても答えが返ってこない」と言いました。

 女は消費される対象で、消費する側の男たちは自分たちを省みない。マジョリティーであるということは自分が何者かを問われなくてすむ特権なのです。

 ――制定から70年。法務省に検討会が設置され、売る側だけを処罰の対象としていた売防法の改正が議論されようとしています。

 売防法は成立当初からその片面性が指摘されてきました。一般社団法人「Colabo」代表の仁藤夢乃さんら若年女性支援の現場にいる人たちが、買春は性搾取だ、と声を上げてきたことが大きいと思います。

 ――性売買をめぐる法規制はどのようにあるべきだと思いますか。

 性売買は、売る側は女性に、買う側は男性に偏るジェンダー非対称な行為です。そこで起きている行為は、買う側にとっては性行為であっても売る側にとっては経済行為。つまり金銭を対価にした性搾取と言ってよい。その非対称性を踏まえた法律にするとしたら、買う側を処罰し、売る側を処罰の対象とせず支援する「北欧モデル」が適切でしょう。

 ――北欧モデルは1999年にスウェーデンが導入して以降、フランスやカナダにも広がっています。

 両者処罰でも両者非処罰でもない、この法体系を知った時は目からうろこが落ちる思いでした。売買春は非対称な行為ですから、非対称な法理があって当然です。

 買春処罰に反対する人たちは、買春者を処罰すると「性売買が地下に潜る」と主張します。でも、国が性売買を公に認めていた公娼(こうしょう)制下でも、非公認の「私娼」と呼ばれた女性が増えました。組織化されたセックスワーカーはほんの一部、その周辺には膨大なグレーゾーンがあり、そこにいる女性たちを誰も守らなくなる。

 性売買から抜け出したい女性も、「自由な意思で選んだ労働者」としてみなされ、支援を受けられなくなります。

 買春は絶対になくならない、という意見もありますが、それを言ったら、殺人だってなくならないでしょう。だからといって殺人を犯罪に位置づけなくてよい、とはなりません。買春を非犯罪化すれば、「女の性を金で買ってよい」という「常識」が社会に定着することになります。

 ――上野さんが、今も性売買の問題に向き合い続けるのはなぜですか。

 困難な状況にある少女を支援する「若草プロジェクト」の代表理事を務めた弁護士の大谷恭子さん(2024年に死去)から、生前、自分の身体に商品価値があることを知った女の子たちが「売れるものを一番高く売れる時に売って何が悪い?」ということに反論できない、どうしたらいいかと相談を受けたんです。以来、大谷さんからの宿題だと思って、私に何ができるんだろうと考え続けています。

 フェミニズムの功績のひとつは暴力を再定義し、その概念をアップデートしたこと。暴力は身体的暴力や目に見える暴力だけではなく、人にノーと言わせない構造的な強制力も暴力と呼ぶんだと。

 性売買は経済的な非対称性を背景にした構造的な性暴力です。法律は社会的合意です。男性が女性の身体をお金を払えば自由に扱っていいという社会的合意を変えなければいけません。

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この記事を書いた人
大貫聡子
くらし報道部
専門・関心分野
ジェンダーと司法、韓国、マイノリティー
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    杉田俊介
    (批評家)
    2026年3月31日11時4分 投稿
    【視点】

     本記事の上野氏の主張の対極に、次のような声があることは最低限、踏まえておくべきだと思います。  たとえば21世紀初頭から新廃止主義(ネオアボリショニズム)と呼ばれる潮流があります。女性の売春についても禁じる従来の廃止主義とは異なり、男性の買春を禁止することで、最終的には売買春全体を根絶しようとする、というもの。その場合、女性は性売買によって傷つき、尊厳を奪われているという犠牲者性が強調されます。  新廃止主義はひとまず売買春全面禁止よりも、買う側を処罰する法制度を要求します。売る側は処罰対象ではなく、支援や更生の対象になります。こうした流れはトラフィッキング(人身売買)対策において宗教右派とも合流しました。  しかしこうした流れは結果的に、現場のセックスワーカーの管理や取り締まり、暴力被害のリスク等を強化してしまう、ということも知られています。近年はSWERF(スワーフ、Sex-Worker Exclusionary Radical Feminist)という言葉もあります。「性労働者排除的ラディカルフェミニスト」という意味です。これに対しては、セックスワーカー当事者を中心に、「セックスワーク・イズ・ワーク」「セックスワーカー・イズ・ワーカー」というスローガンがあり、他の職種と同じく労働者としての一般的な権利と環境を守るべきだと主張されています。  もちろん上野氏が言うように、人身売買や債務奴隷の問題は非常に深刻です。また、買春男性側の問題は、それ自体として考える必要があります。しかしながら、トランスジェンダー当事者に対して一部のいわゆる「トランス排除的ラディカルフェミニスト」が排除的に振る舞っているように、近年、セックスワーカーに対して(共感的に見えつつ、じつは)排除的に振る舞う「ラディカルフェミニズム」的な言説が目立っているということには、憂慮を覚えます。

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    仲岡しゅん
    (弁護士)
    2026年3月31日12時17分 投稿
    【視点】

    タイトルにある「福祉が風俗に勝てない現実」はなぜなのかと問われたら、それは「福祉よりも風俗のほうが金を出してくれるから」に尽きるのではないでしょうか。 たとえばトランスの業界も、性風俗業を含む夜職とは切っても切れない関係にあります。 今でこそ昼の世界で働くトランス当事者は多いですが、私が子どもの頃なんかは夜の仕事のイメージが非常に強いものでした。 じゃあ性風俗業に従事している人が、その仕事が好きでやってるのかというと、大抵は嫌々やってます。そして実際に、心身への負担や危険も多いです。 だけど結局、昼の仕事ではそう簡単には得られない収入があるからやってるんですよね。 トランスに関して言うならば、何の資格もキャリアもない当事者が昼の仕事の賃金で高額な手術費用を貯めるのは至難のわざです。 あるいは、福祉の対象になって「管理」されるくらいなら、好きなものを買って好きなものを食べられる性風俗業のほうがマシ、という声も聞きました。 朝日新聞でも数日前に、セックスワーカー当事者のインタビュー記事がありましたが、「他の仕事はもっと嫌だから、セックスワークを選びました。高卒で資格もない私でも同じように稼げる昼の仕事があればすぐにやめます」という声が非常にリアルでした。 で、そういった性風俗業に従事する当事者たちの声を聞くたびに、弁護士という仕事をしている私が、他人の仕事についてどのツラ下げて語る立場にあるのだろうといつも複雑な思いになるのです。 私のように弁護士という資格のあるトランス当事者や、上野さんのように大学教授という肩書のある女性なら、性風俗業に従事せずとも食っていけます。 私たちは女性の中でも、所詮はマジョリティ側です。 福祉以上の経済的利益がそこに付与されている以上は、福祉より風俗を「選ぶ」女性は必ずいるでしょうね。 …そんなことをとりとめもなく思いながらこの記事を読ませていただきました。

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