クイーン・アンのフェスティバルクルーズは後半となり、かつて造船で栄えた町グラスゴー、タイタニックの生まれた町ベルファストなど、客船ゆかりの地を巡り、いよいよリバプールに到着。
そこでは、全く予想を覆す命名式が待っていたのです。
■連載「上田寿美子 クルーズへの招待状」は、クルーズ旅の魅力や楽しみ方をクルーズライターの筆者がご紹介します。
造船で栄えたグラスゴー 明治時代に日本郵船が発注した熊野丸
このクルーズの四つ目の寄港地はグリーノック。かつてニシン漁などで栄えたスコットランドの港町です。ここから約35キロメートル離れた大都会グラスゴーで造船と乗り物の歴史に触れるオプショナルツアーに参加しました。
最初に訪れたのは、元フェアフィールド造船所だった建物を博物館のようにしたフェアフィールド・ヘリテージ。かつて、クライド川の両岸には多数の造船所が立ち並び、世界トップクラスの造船王国を築きました。
その中の一つで1834年に創業したフェアフィールド造船所は、100年を超える歴史の中でたくさんの客船を建造し、その中には大西洋横断の速さを競うブルーリボン賞を獲得した、キュナードのカンパニアやルカニアも含まれていました。
さらに驚いたのは、日本では明治時代の1901年に日本郵船の熊野丸が、日本からはるか離れたこの造船所で建造されていたこと。さらに、このツアーで講師を務めた客船史家から「熊野丸が世界初のフルエアコン船だった」と聞いて二度びっくり。
帰国後に日本郵船歴史博物館に確認すると、断定はできないが、1903年に竣工(しゅんこう)したほぼ同型船の日光丸(三菱合資会社三菱造船所で建造)には、サーモタンクと呼ばれる冷暖房装置が搭載されていたそうで、熊野丸、日光丸ともに豪州航路の花形客船として活躍したことが判明しました。
それにしても120年以上前に英国の大手造船所に最先端の船を発注していた日本郵船のスケールの大きな世界観には圧倒されます。
次に訪れたのはリバーサイド・ミュージアムという交通博物館。遠目にも目立つユニークな博物館を設計したのはザハ・ハディド氏でした。女性で初めてプリツカー賞を受賞した建築家ですが、奇抜で斬新なデザインに建築技術が追い付かない場合もあり「アンビルトの女王」と言われたこともあったそうです。
この建物も川に面したファサードが全面ガラス張りで、ギザギザの波打つ屋根が特徴的。館内には蒸気機関車、客船、バス、パトカーから馬車や霊柩(れいきゅう)車まで多数の乗り物が展示され、輸送や造船の拠点として栄えたグラスゴーを物語っていました。
ベルファストでタイタニックをしのぶ
大ブリテン島をいったん離れ、クイーン・アンは北アイルランドのベルファストまでやってきました。
ここは、ホワイト・スター・ラインの悲劇の客船タイタニックを建造したハーランド&ウルフ造船所がある町。そしてタイタニック沈没100年に鎮魂の願いも込めて建てられたのが、タイタニック・ベルファスト記念館です。
内部には、遊園地の乗り物風に建造の様子などを見て回るライド、進水式の時刻を表す時計、等級別の客室など、当時の世界最大豪華客船のデビューにまつわる高揚感が体験できる展示から、一転して沈没の様子、犠牲者の写真、事故後の混乱など胸の痛む展示へ。
その中で少しだけ救われたのは、ライバル社だったキュナードのカルパチアが約93キロメートルも離れた地点から全速力でタイタニックの救援に向かい、700人以上を救ったこと。カルパチアの船長だったアーサー・ロストロン氏は、後にアメリカ合衆国議会から議会名誉黄金勲章を受章しています。
その後、1934年、ホワイト・スター・ラインは、キュナードに合併されました。