自分について1:家族
※昨年はてなブログに投稿したものを修正したものである。ウケるためにどのようなブログを書いたらよいか知人に相談したところ、私小説的に通俗的で品のないものを書くのがよいと言われた。これはその一環として位置づけられる。本当はもっと赤裸々に書かねばならないが。ウケるのであれば次も書いてみる。
はじめに
・俺はどうしてこんなにもぼんやりしているのか。この謎を解くために、家庭についてメモ書き程度に記述してみた。まとまりがない文章だが、後から読み返して気がつくこともあるだろう。
・先日、みんなで話しているときに家庭の話になり、話しながらの内省に拠って、このぼんやり感のルーツが俺の家庭のありように一因を持つのではないかと思われた。家庭環境と態度の如何はもちろん単線的に繋がるものではなく、因果関係は文化的な発明にすぎないが、それをいったん措定してみることにはなにがしかの意義があるだろう。われわれは因果関係が自然を支配する近代に生きているからである。
テレビについて
・リビングの番組を選択するチャンネル権という概念があったとして、その権利は俺と母親の有するところであった。とくに母親はテレビ番組の「面白さ」について強固な価値判断を行い、その判断を個別具体的な行為として出力していた。それはすなわちつまらないチャンネルを変えるということである。母親のテレビに関する価値判断は次のようなものである。
・面白い:マツコ・デラックス、嵐、イッテQ、紅白、ダーウィンが来た、ワンピース、リーガル・ハイ、半沢直樹、しゃべくり007、音楽番組、ニュース番組、月曜から夜ふかし、ビフォーアフター
・つまらない:ガキ使、老いた大御所芸人、めちゃイケ、大河ドラマ、ぐるナイ、鉄腕DASH、下ネタ、芸能人の内輪ノリ、食レポ、昼の情報番組、イケメン俳優のトーク
・傾向として、比較的クリーンで普遍性をめざしているが、それでいてナイーブでないコンテンツが「面白い」とされていた(イッテQのツッコミのひねくれ方を想起せよ)。マツコ・デラックスはその点においてとてつもなく面白がられていた。
・逆に、文脈依存なものや露悪的なもの、食レポや昼の情報番組のようにナイーブなコンテンツは「つまらない」とされていた。そして「つまらない」とされた番組はひたすら冷笑されており、その冷笑癖は父と兄は与せず、弟の俺だけが関与するところとなったのである。
理念について
・俺の母親はすべてをひたすら冷笑しており、「ママ友」という概念はもちろん、自らの友人関係そのものも冷笑していたので、友達が一人もいなかった。常々言っていたのは、「あんたたち(俺と兄)が元気に一人立ちした姿を見たらもう死んでいい。介護で迷惑はかけたくない」ということであった。
・そしてそれらの言葉はまったくネガティブなニュアンスを帯びておらず、むしろ「生きる意味」を明確に持っている者のおそろしい強さと明るさを帯びていた。
・そんな母親が俺に与えた命題として、「楽しいことが一番だ」というものがある。とにかく、自分の人生を楽しむことが一番とされた。勉強をしろと言われたことは一度もなく、勉強をする人生のほうが楽しいなら勉強をするべきだし、そうでないほうが楽しいなら勉強はしなければよいとだけ言われていた。そのため、勉強を強制されることはなかったが、みずから受験をすることに決めて東京の大学に進学した。親族に大卒者がいないので、これは血統的に奇妙なことである。
いろいろなことについて
・食卓では、料理名に助詞の入っていない単純な料理だけが振る舞われていた。カレーライス、ハンバーグ、オムライス、カツ丼などである。テレビの選好と同様に、文化的にハイコンテクストなものを忌避する空気感があった。年末にガキ使を流してみると空気がヒエヒエになっていた。東京の芸人の内輪ノリとしか映らないからである。
・音楽はファンモンやゆず、嵐や流行りのポップスをよく聞いていた。これらの音楽とポケモンの音楽が俺の嗜好を規定しているようである。そして俺がいまだに外国の音楽をまともに聞けないのはこのようなことに拠るだろう。ロックですら聞くことに恥ずかしさを覚える。「賢しら」な感じがする。読書でいえば、家にある書籍はスラムダンク全巻のみであった。高三になって自分で三島由紀夫を手に取るまで書籍というものをまともに読んだことがなかった。それまでナルトやドラゴンボールのようなジャンプ漫画のみを読んできたということは、俺がよい詩人になることに非常に寄与しているように思う。
親族について
・親戚というものがいない。親戚が全員キチガイなので、「親戚の集まり」というのが存在しない。叔父と叔母は誰も結婚していないうえにキチガイなので集まらず、それゆえに当然従兄弟は一人もいない。祖父母で唯一存命である母方の祖母は失語症の障害を負っており、実家で介護を受けながら暮らしている。
・母親は息子たちよりもむしろ、頭のおかしくなった祖母に対して、悪さを含んだ「親」をやっていたように思う。母親が中学生のとき、祖母はくも膜下出血の後遺症で半身不随になり、失語症の症状でほとんどなにも喋れずそのうえ感情の振れ幅が超ヤバくなっている。その挙措に対して母親は遅れてきた反抗期をやるように毎日怒号を響かせている。
・祖母はほとんど「いいしょ(別にいいだろの意)」「えー」「わかんない」しか言わない。伝えたいことがどうしても形にならないようだ。そして泣き、笑い、キレる。伝えたいことを言葉にできず泣いた4秒後に箸を落として爆笑し、そして5秒後にまた伝えられないことにキレ始める。そしてそれに母親がキレる。その一連のアホくささに俺が爆笑するというのがいつもの流れである。
・祖母はいつも何かを伝えたがっている。母親はキレながらも話を聞き、俺と兄も、祖母の少ない発話や身ぶり手ぶり、あるいは麻痺している利き手とは逆の左手で書かれた汚く支離滅裂なメモを見ながら、あれこれ考察を巡らせていた。解釈をめぐる大議論である。このまえこのことを知人に話したところ指摘されたのだが、祖母の「テクスト」はまったく純粋な「零度のエクリチュール」であったのだろう。
・つまり、祖母は神託の詩人であった。仏壇に添えるリンゴをスーパーで買ってくるようにというお告げを得てそれを民衆に託す神がかりの詩人であった。母はそれに対して「そんなもんいらないでしょ!」とキレるのだが、キレつつも、いつも無言で買ってきて仏壇に供えているのであった。俺の母親にはそのようなところがある。
・ツェランや荒地派のそれのように、戦争で死んだ人々の声なき声を代行するという試みほど大ごとではないが、祖母の語られなかった想念に言葉という形を与えるのもまた詩人たちの役割である。〈言葉と息でつくるのは/かたちなきもののはじまりのかたち〉と大岡信はうたったが、祖母の内にあるかたちなきものをはじまりのかたちへと移すだけの言葉と息は俺にあったのか。それはどうでもよいことだ。
・ともかく、家庭環境に特に問題はなく、ずっと素朴でアホくさかったので、俺もアホくさく育った。みずからを複雑な人間であるとは思うが、やたらと深刻な悩みはピンと来ない。俺は北海道人だが、競争や革命や抵抗は本土の人の悩みという感じがする。俺の悩みはただひとつ、マージナル・マンとしての寂しさがあるということであり、みんなで楽しんでいきたいということだ。その場としてインターネットは適した環境である。


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