【小さな進路報告】厚生労働省に入省します。
あなたへ
お久しぶりです。山邊鈴です。4月より厚生労働省で働くことになりました。
このように国家公務員が就職報告をするケースはなかなか無いと思います。実名顔出しでSNSをはじめて約10年。Xとnoteが無ければ、決して歩めなかった人生を歩ませていただきました。
誰にも打ち明けられない悩み、社会にこうであってほしいという思いを紡ぐ、とても大切な場所でした。直接お礼を言えるとは限らない、本当に沢山の皆様からの社会的、経済的な応援がなければ、今の自分はありません。ほんとうに、ありがとうございました。皆様に感謝を伝えるため、インターネットから姿を消す前に筆を取らせていただきました。
動機
「権力」。大学4年間をかけて、その意味を何度も考えました。家庭内で、友人間で、会社で、社会で、そして世界で、誰の声が反映され、誰の声がやんわりと無視されているのか。そしてその差は、共同体内の規範とそれを反映した生活体験になにを及ぼすのか。
「この割れ切った世界の片隅に」という最も読んでいただいたnoteのタイトルは、執筆当時、17歳の私から見える世界とその権力の構造を表していたものと思います。あの文章は「分断」「格差」について問題提起をしているという捉えられ方をすることもありましたが、むしろ「①『生活体験には、その人が置かれた立場、生まれた場所によって大きく差異があること(≒格差)』②『その差異は、それぞれが抱える苦しみを主張してみると、対話が成立しなくなってしまうほどに大きいこと(≒分断)』。この2つを前提とした社会の仕組みづくりがなされていないこと」を問題意識の中心においていました。
「自分や自分の周りの声は、誰にも届くことはない。何にも反映されることなく、こんなはずじゃなかった、でも仕方ないやと思い続けながら生きていくのであろう」。そんなぼんやりとした、でも確かに足に絡まりつくような絶望が身体を覆うような実感がありました。だからこそ、年齢を重ねた、大学に行ったというだけで、誰かに酷い言葉をかけられたり意見を無視されたりすることが少なくなった(≒権力が手に入った)ことに複雑な思いを抱えながら、その特権を今後どう扱っていくかを大学4年間をかけて考えました。
社会のあるべき姿を論じる道も考えましたが、子どもの頃の私は、友人たちが抱えるあの救いようがない絶望に対して、仕組みを変える力がある人に実行責任を取ってほしかったのだと思います。この考え方は社会が過度に父性的になる可能性をはらんでいたり、そもそも「声を持たない人」「持つ人」という二分論を作ってしまう恐れもあります。それでも、少なくとも当時の私は、「しょうがない」なんて言わずに、声を持つことができない人のために働こうと積極的であってくれる大人がいて欲しかった。「こんな世界に誰がした」と問われたときに、自分なりに頑張ったんだと言える大人になりたかった(勿論それを言える職業は人それぞれだと思いますし、その目的のため国家公務員を選んだのが正しかったと言えるかどうかは、今後の私次第だと思います。)。そんな考えから紐解いていったとき、困った人が最後に責任を追求したり批判したりできる対象として働くことが、自分にとっては理想の社会への関わり方の形だと思うようになりました。
逡巡の末、制度を作る側に立ち「自分には市民生活のすべてが見えている訳ではないのだ」と常に謙虚であり続け、よく周囲をかえりみて、より多くの人の声を聞こうとすること。その場に声を届けることができない人の存在を常に考慮すること。その上で、この一億二千万国民がすむ国家全体として、どこに点を打つのがベストなのかを考えることに人生の時間を割き続けることが今の自分が最も納得できる選択肢であると考え、この進路選択に至りました。
厚生労働省は、最も自らの声を制度策定者に届けにくい場所にいる方々の人生を大きく左右しうる制度を所管する省庁です。だからこそ、自らが権力を持っているということに自覚的であり、そしてそれに対して常に恐怖心と、それを凌ぐ責任感を抱き続ける必要があると思っています。
なんのしがらみもなく、脳内をそのまま模写するような形で言葉を届けられる時期に、たくさんの方に文章を届けられたことは本当に幸運なことでした。(この文章自体も、12月から何度も書いては消し、ついに10分の1以下の長さになってしまいました。官僚になって作りたい社会像についてもたくさん書いたのですが、それについては一生をかけて政策として届けよう、と一気に消してしまいました。)
これからは、顔も名前も世の中に出ることはぐっと減ってくると存じます。自分が考えたことを伝えたいと思ったときにそれができる場所がないことに寂しさを感じることもあるかもしれません。しかしながら、それは自分の言葉に責任が伴う場所にやってきたという証拠であり、その不自由さが心地よくもあったりするんですよ。
国家公務員を目指す中で感じたこと
海外から国家公務員を目指す
アメリカの大学に行って良かったなと思うのは、ひたすら机に向かって勉強をしたことです。自分が問題だと感じたことがなかった物事、自分には直接的な影響がない・原体験の無い課題に関して何時間も費やして論文を書くこと、世界の裏側で全く背景を共有しない方々とお話しすること(その分の資金を奨学金財団からいただけたこと、心から感謝しております)を通して、沢山の苦しみの現場に立ちあうことができました。自らの社会に対する問題意識に固執せず、様々な視点から物事を見る力を養えたことは、最も貴重な財産であったと思います。
顔の見えない人々
今年入省同期の男女比が半々だったことは、自分の中で大きな出来事でした。就活で説明会に訪れても、女性のほうが多いことも多々あったほどです。勿論その傾向は若い年次になればなるほど強まるもので、より意思決定に近い年齢になったときその割合を維持できるかは未知数ではありますが、「政策をつくる人々」が、顔の見える友人、関係性がある人々になったとことは私の中で非常に大きな出来事でした。
指摘してくれる人がいなくなる
権力のある人のふるまいを揶揄して「おじさん」という言葉が使われることがありますが、人は年をとって急に「おじさん」になる訳ではありません。若いころから、そして性別に関わらず、働く中でゆっくりと確実に、でも無自覚に「おじさん」になっていくのです。自分が短絡的な欲望や妥協を優先しかけているときはそれを指摘してくれる、私たちが譲ってはけないポイントは何かを問い続けてくれる人が必ず周囲にいる必要があるとの気づきから、同世代の繋がりを強く意識した学生生活でした。
すべての人が望みたい人生を歩めるように。
省庁について学べば学ぶほど、国家公務員が国の「あるべき」姿を描くことは無いのだということが分かってた気がします。育児・介護休暇を例にとっても、マーケティングの手法を用いて国民の行動を変容させることは仕事ではないようです(そうすると、旧優生保護法等を用いて人口を減らそうとしてきた負の歴史と、なんら変わりはなくなるのですから)。様々なニーズを抱えるすべての国民が、それぞれの望みたい人生を歩めるようその選択肢を守り続けること。これだけが仕事なのだと気づいたとき、国の制約によって大きく進路や命運を左右されてきた国出身の友人たちの言葉が浮かび、この姿勢でささやかにこの国の生活を下支えする仕事をしたいという覚悟を一層強くしました。
幼いころからの問題意識はあれど、その課題感をどんな職業を通して解決できるのかが未知だった中、ボストンに公費留学に来ていた官僚の方との出会いのお陰で厚労省という選択肢を知り、そこで納得してからは一直線の4年間でした。
あなたへ。
わたしは、あなたに誇れる選択ができたでしょうか。
その答えは、これから作っていくものなのでしょうね。
日々のはたらきの一つ一つに、あなたを思い浮かべながら行われないものは無いと思います。だから、全然さみしくないんですよ。
あなたが「生きてやるか」とおもえる明日を、ようやく支えられる人生に踏み出せること、心から光栄に思っています。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートをぜひよろしくお願いします🙇♀️ 

コメント