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『パリに咲くエトワール』ED絵画の考察——フジコが描いた6枚の絵を読み解く

※ネタバレを含みます。

前回、三四乃べるさんの映画評をきっかけに、『パリに咲くエトワール』が意図的に額縁の外に置いた歴史的文脈について記事を書きました。

今回は、エンディングで流れてくるフジコの絵画について考察してみたいと思います。

フジコの絵のタイトル

EDで流れる絵のタイトルをまとめてくれている方がいました。ありがたや。

これによると、フジコの絵画のタイトルは以下の通り。

  1. 花に愁いつつも笑みし日々

  2. されども思うままに生き来たりしなり

  3. アミアン

  4. Vous êtes partout(「あなたはどこにでも居る」)

  5. 巴里に咲くエトワール

そして、それぞれの絵の画像は、以下の公式グッズページで確認できます。


エンディングの絵画は「逆順」である

エンディングで最初に表示される1枚は、映画のラストシーン——中庭に皆が集まった大団円——が、絵画のタッチへと切り替わったもの。大団円の余韻の中で、フジコが描いた絵が流れ始める。

その後、何枚か、印象的だけれど何を描いたものかすぐにはわからない絵が続く。そして最後に表示されるのが「巴里に咲くエトワール」——オペラ座で踊る千鶴を見て描いた、フジコが画家としてその才能を認められるきっかけとなった絵です。

ここで気づく。これまで流れてきた絵は、フジコがこの一枚を起点にして、その後の人生で描いていった作品だったのだと。つまり最初の大団円の1枚——「花に愁いつつも笑みし日々」——こそが、時系列的にはもっとも新しい、すべてを経た後に描かれた絵だということがわかる。EDは未来から過去へ、フジコの画家人生を遡っていたのだ。

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花に愁いつつも笑みし日々

エンディングは、すべてを経験したフジコが現在から過去を振り返るように始まり、時間を遡って、全ての原点であるあの夜のオペラ座に辿り着く、という構成になっていると考えられる。

6枚の絵画を読み解く

相変わらず教養のない私。いいんだ、今はAIがあるんだから!
ということで、それぞれの絵がどのような絵なのかを口頭でClaudeに伝え、藤田嗣治の画業との符合や時代背景も踏まえて解釈してもらいながら、それぞれの絵に込められた背景を読み解きました。以下はその内容です。


(6) 巴里に咲くエトワール(最古の絵)

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巴里に咲くエトワール

渦を巻くような墨の筆致でバレリーナを描いた一枚。オペラ座の舞台に立つ千鶴を見て、フジコがミューズを取り戻した瞬間の絵です。「わたしはどんな絵を描いたらいいかわからない」と慟哭した彼女が、ついに自分だけの表現に辿り着いた原点。まだ荒削りだけれど情熱に満ちた一枚。

映画のタイトルにもなっているこの絵が、EDの一番最後——つまり時系列の一番古い場所に置かれていることが、とても美しい。タイトル回収する作品は良作。なお、映画タイトルが「もののふバレリーナ」のままだった場合、この絵のタイトルも「もののふバレリーナ」だったと思われる。

(5) 紹

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毛色の大きく異なる一枚。色彩が中心から爆発するように放射する、鮮やかな抽象画です。

フジコのモデルと考えられる藤田嗣治は、実は抽象画の画家としては知られていません。しかし渡仏直後の1914年頃、ピカソのアトリエを訪れてキュビスムに衝撃を受け、前衛的な実験作を大量に描いた時期があります。約500枚ものキュビスム風の作品を描いたものの、困窮の中でそのほとんどを暖房代わりに燃やしてしまい、残ったのはわずか15〜16枚。その後「乳白色の肌」で独自の画風を確立して名声を得たため、この前衛的な模索期はあまり語られません。しかし藤田のキャリアには、確かに抽象的・前衛的な試行錯誤の時期が存在していました。

「紹」という字は「つなぐ」「受け継ぐ」という意味を持ちます。パリの前衛芸術——キュビスム、フォーヴィスム、やがてシュルレアリスムへと向かう潮流——に触れて、自分の画風を模索したフジコの変容期を表しているのかもしれません。あるいは、映画で描かれた雲母刷りの技法そのもの——光の粒子が乱反射してきらめく様——を抽象的に表現した絵という読みもできそうです。

(4) Vous êtes partout(あなたはどこにでも居る)

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Vous êtes partout(あなたはどこにでも居る)

様々な人の後ろ姿が描かれた絵。中央には赤いスカーフをした犬がいて、これは映画中にも登場した飼い犬のマメゾウです。

このフランス語のタイトルは、エディット・ピアフの「Tu es partout」を強く連想させます。1943年、ナチス・ドイツ占領下のパリで発表された曲で、作詞はピアフ自身、作曲はマルグリット・モノー。去ってしまった恋人への思いを歌ったもので、空にもあなたが見える、大地にもあなたがいる、あなたはどこにでもいる、なぜならあなたは私の心の中にいるから——という切ないラブソングです。

ただ、1943年のパリという文脈を重ねると、単なる恋愛の歌にはとどまりません。占領下のパリでは、ユダヤ人の友人が連行され、レジスタンスに加わった知人が消え、多くの人々が街から姿を消していた。「あなたはどこにでもいる」という言葉は、もういない人の面影がパリの街角のそこかしこに見えてしまうという、喪失の感覚とも重なります。ピアフ自身、占領期にドイツ将校の前で歌いながら裏でレジスタンスを支援していたとされる、複雑な立場にあった人でもあります。

そしてもう一つ注目したいのが、ピアフの曲は「Tu es partout」なのに対して、フジコの絵のタイトルは「Vous êtes partout」になっている点です。フランス語で「Tu」は親しい相手への二人称単数、「Vous」は丁寧な二人称、あるいは二人称複数。つまりピアフの歌が一人の恋人に向けた「あなたはどこにでもいる」であるのに対して、フジコの絵は複数の人々に向けた「あなたたちはどこにでもいる」になっている。

この一語の違いが、絵に描かれた「様々な人の後ろ姿」と符合します。戦争や時代の波によって散り散りになった、フジコのパリでの日々を共にした人々。亡くなった人、帰国した人、離ればなれになった人。映画の登場人物たちの「その後」が、後ろ姿だけで静かに語られている。フジコにとって、彼らは去ったけれど「どこにでもいる」——記憶の中に、パリの街角に。

(3) アミアン

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アミアン

明らかに戦争を描いた一枚。暗い色調の中に、オレンジに燃える地平が横に走り、兵士たちの後ろ姿や戦車が描かれた一枚。タイトルと兵士たちの背中から、これが1918年8月のアミアンの戦いを描いたものであると推測できます。第一次世界大戦の勝敗を決定づけた転換点で、連合軍がドイツ軍に大勝し、ドイツ敗北への「百日攻勢」の始まりとなった戦いです。

しかし気になるのは、絵の奥に描かれた砲台のシルエットです。以下のポストで指摘されているように、そのシルエットはパリ砲——ドイツ軍の超長距離戦略兵器——と一致しているように見えます。

パリ砲はアミアンに設置されていたわけではなく、パリから約120kmの地点、ランの付近にあるクーシーの森に置かれていました。1918年3月21日、アミアンを狙ったドイツ軍の春季大攻勢と同日に、パリ市街への砲撃を開始しています。約130kmの射程で成層圏を突き抜ける砲弾は、パリ市民を恐怖に陥れ、多くの人々が街から脱出しました。

ではなぜ、アミアンの戦いを描いた絵にパリ砲が同居しているのか。ここで思い出したいのは、フジコはパリに住む画家であって、前線の兵士ではないということです。フジコにとって戦争とは、前線から届くニュースであると同時に、パリ砲の砲弾が自分の暮らす街に降ってくるという恐怖そのものだったはず。この絵は軍事記録としての「アミアンの戦い」ではなく、パリに暮らす一人の画家にとっての戦争の記憶——遠くの前線で人々が死に、その同じ戦いの一環として自分の街にも砲弾が飛んでくる——を、一枚の絵に重ねたものなのかもしれません。

前回の記事で書いた「額縁の外」の文脈で言えば、これこそが三四乃べるさんが指摘した「EDに戦争画が混じっている」の核心です。ただし、ここで一つ立ち止まりたい。

藤田嗣治が描いた戦争画は、帰国後に軍の要請で描いた戦争記録画——「アッツ島玉砕」に代表される、国策としての戦争画でした。そしてそのことが、戦後に戦争協力者として責められ、日本の画壇から追われ、フランスに渡って二度と日本に戻らなかったという悲劇につながっている。

しかしフジコの「アミアン」は、それとは性質が違うように見えます。パリに暮らす画家が、自分の街に砲弾が降り、知人が散り散りになった記憶を、自分自身の体験として描いた絵です。軍に求められて描いた記録画ではなく、あくまで一人の画家の戦争の記憶。だとすれば、藤田嗣治が背負った「戦争画を描いたことの業」は、フジコの物語には必ずしも重ならないのかもしれません。

映画はフジコに藤田嗣治の影を重ねつつも、そこまで完全に一致させてはいない。フジコはフジコの人生を歩いている。そう読むと、EDの絵はむしろ希望のある方に開かれているようにも思えてきます。

(2) されども思うままに生き来たりしなり

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されども思うままに生き来たりしなり

紫がかった空の下、剣を手にした人や拳を掲げる人々が空を見上げている絵。背後から差し込む光が雲母摺りによる煌めきで表現されている。タイトルは「それでも、思うままに生きてきたのだ」という意味。

「Vous êtes partout」と「アミアン」——別離と戦争を経た後に、この絵が来る。剣を手に、あるいは拳を突き上げ、それでも空を見上げている人々。レジスタンス的な抵抗の精神とも、戦争や困難を経てもなお芸術と共に生き続けた人々への讃歌とも読めます。そしてフジコ自身の宣言でもあるのでしょう。パリで苦しみ、戦争に翻弄され、大切な人々と別れ、それでも自分の道を生きてきたのだ、と。

雲母摺りの光がここに使われていることも印象的です。フジコが「巴里に咲くエトワール」で見つけた自分だけの技法が、戦争を越えた先でもなお輝いている。

(1) 花に愁いつつも笑みし日々(最新の絵)

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花に愁いつつも笑みし日々

映画の最後のシーン、中庭の大団円をそのまま絵画にしたような一枚。花に憂いを感じながらも、それでも笑っていた日々。


エンディングが語ること

こうして6枚を時系列順に並べ直すと、フジコの画家人生が一枚ずつ浮かび上がってきます。千鶴のオペラ座での踊りに触発されて画家として歩み始め、パリの前衛芸術に触れて模索し、大切な人々との別れを経験し、戦争を目の当たりにし、それでも自分の道を生き、そして全てを経た目で、あの日々を振り返る。

前回の記事では、EDに戦争画が混じっていることを「額縁の外」の暗い文脈として捉えました。しかし今回、一枚一枚を読み解いていくと、少し違う景色が見えてくる。フジコの「アミアン」は藤田嗣治の戦争記録画とは性質が異なり、パリに暮らす画家が自分の体験として描いた戦争の記憶でした。そして戦争画の後には「されども思うままに生き来たりしなり」——それでも、思うままに生きてきたのだ——が続く。雲母摺りの光を纏って。フジコの物語は、藤田嗣治が背負った悲劇に収束するのではなく、その先に開かれているように思える

そしてここが本当に感動したポイントなのですが、映画のラストシーンの大団円から絵画のタッチに切り替わるあの1枚目——「花に愁いつつも笑みし日々」——は、単に映画のクライマックスを美しく絵にしただけではない別離、戦争、それを乗り越えた先の希望。その全てを経験したフジコが、最も輝いていた日々として振り返って描いた絵でもあるのです。あの大団円を見た観客の感動と、別離と戦争と苦難を越えた先で、最も輝いていた日々を振り返るフジコの——慈しみと、少しの痛みと、それでもという感謝が入り混じった——眼差しが、一枚の絵の上で重なる。

見終わった当初は「丁寧に作られた良い映画だな」くらいの感想だったのに、こうして一つ一つ紐解いていくと、どんどん奥行きが見えてくる。見終わったあとも考察したり語ったりすることが尽きない、本当に良い映画ですね…
これはもう一回観に行こうかな。


追記(2026/03/29):「咲く」と「花」

この記事を書いた後に、もう一つ気づいたことがあります。

映画のタイトル「パリに"咲く"エトワール」。エトワールはフランス語で「星」を意味し、パリ・オペラ座バレエ団の最高位ダンサーを指す言葉でもあります。星が「咲く」というのは、少し不思議な表現です。でも、フジコにとってオペラ座の舞台に立つ千鶴は「花」だった。だからこそ絵のタイトルに「巴里に"咲く"エトワール」と付けたのでしょう。星ではなく、花として。

そう気づいた上で、エンディング最初の絵——つまりフジコが最後に描いた絵——のタイトルを改めて読むと、はっとします。「"花"に愁いつつも笑みし日々」。「愁う」とは、悲しみや寂しさで心が晴れず思い悩むこと。花=千鶴に対して、愁いを抱いていた。でも笑っていた

映画を表面的に見ると、パリに咲くエトワールは二人の少女がそれぞれに頑張る物語です。ただ、千鶴の物語がバレエという明確な目標に向かって進む分かりやすいものであるのに対して、フジコの物語はずっと控えめで繊細です。フジコは誰の前でも笑顔を絶やさず、千鶴のバレエを純粋に応援し続ける。しかしその裏で、自分の絵が描けず苦しんでいたことが終盤でようやく明らかになる。千鶴の夢を全力で後押しした時間の分だけ、自分の夢からは遠ざかっていた。応援する気持ちは本心からのものだったはず。でも同時に、フジコはそのことを、絵を描けない——描かない——自分への言い訳にもしていた

「花に愁いつつも笑みし日々」——それは、まさにこのフジコの日々そのものを表したタイトルだったのです。全てを経たフジコが最後に描いた絵が、あの輝かしい大団円の光景であると同時に、あの頃の自分の心の裡をそっと告白するタイトルを持っていること。この映画は、最後の最後まで、フジコの物語を静かに、しかし確かに描いていました。

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考察しがいのある構成なのですね。 ちゃんと着地点に辿り着けるのがいいですね。

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