アスリートたちを傷つける行為が後を絶たない。誹謗(ひぼう)中傷、盗撮、パワーハラスメント…。理想的な競技環境の創出は喫緊の課題だ。リスペクト(尊敬)をアクション(行動)へと変えることが第一歩となる。その一歩を踏み出してみよう。
ゴーグルにたまる涙、高校時代の記憶
「プールから上がれ」
言われるがまま水中から上がると、ストップウオッチで頭を強くたたかれた。「遅い。最初からやり直し」。ゴーグルに涙がたまる。力を抜いていたつもりはないのに。泣きながらプールを往復した。明るかった空は暗転していた。
当時私は、世界での表彰台を目指していた。2000年代に突入する前の高校時代の記憶だ。
チームには〝怒られ役〟のような子もいた。キック板が飛んだり、プールサイドで長時間立たされていたり。「指導は愛情の裏返し」という言葉があった。かつての指導は心を鬼にして厳しく育てることが正解とされていた。
潮目が変わったのは、2012年12月。大阪・桜宮高校バスケットボール部で主将を務めていた男子生徒が自ら、命を絶った。顧問による体罰が原因だった。そのころ、柔道女子日本代表らが指導陣による暴力を告発。日本スポーツ界の〝闇〟に批判が集まった。
「環境づくりこそ指導者の腕の見せどころ」
日本オリンピック委員会や日本スポーツ協会(JSPO)など5団体は13年4月に「暴力行為根絶宣言」を出した。23年には「NO!スポハラ」活動を始め、JSPOは指導者向けのカリキュラムなどを通して予防、啓発に取り組んでいる。
それでもJSPOに届く相談(通報)件数は競技全般で増加。今年度も昨年度の536件を上回る見込みだ。「バカ」「お前のせいで負けた」といった言葉で選手を追い詰める行為が目立ち、信じがたいが「死ね」と言い放つ指導者もいる。
スポーツ法務の第一線に立つ弁護士、堀口雅則によると、「スポハラ」はスポーツの指導に必要な範囲を超えた場合と定め、物理的な接触は当然のこと、言葉の暴力もハラスメントに当たると指摘。「人格を尊重することは社会生活の基本」とした上で、「選手がスポーツを楽しみたいのならば、楽しめる環境をつくる。それこそ指導者の腕の見せどころでは」と話す。
「スポハラ」の背景を探ると、「指導者の引き出しの少なさ」を指摘する声が多い。現代の強化では選手の「主体性」を育むことが重要とされ、暴力指導根絶のためにも、心と科学で伸ばす文化への転換が不可欠だ。
変わる競泳界、選手中心のコーチング
それを競泳界が体現しようとしている。今年2月、競泳日本代表のヘッドコーチに新潟医療福祉大監督の下山好充(54)が就任。科学的データを活用した強化育成で実績を持つ。
下山も選手だった中学時代に暴力的な指導を受けた経験があるが、米国研究者が書いた指導書で、科学的根拠に基づいたトレーニング論に触れた。「勉強すれば速くなれることに興味を持った」。進学先の筑波大で指導者を志し、アシスタントコーチをしながら生理学やバイオメカニクス(生体力学)を研究。30歳で博士号を取得した。
05年創設の新潟医療福祉大水泳部をゼロから作った。科学とプレーヤーズセンタード(選手中心)のコーチングで、教え子の水沼尚輝が22年世界選手権100メートルバタフライで銀メダルを獲得。下山は、平泳ぎ王者の北島康介を育てた平井伯昌(62)からもメンタル面や戦術を学び、海外指導者ともつながった。次世代の指導者育成が急務と感じている。
24年パリ五輪で競泳陣はメダル1個に終わった。28年ロサンゼルス五輪に向け、「強い水泳ニッポン復活へ、強化体制の構築に取り組みたい」と下山。科学の力を武器に、水泳界の英知を結集させる。そこには暴言も、体罰もいらない。=敬称略、おわり
(青山綾里=競泳元日本代表)