他者論を乗り越えて⑫ ドゥルーズ
今回、ジル・ドゥルーズの哲学について見ていきたいと思います。ドゥルーズは、内在平面と欲望論という分野でその名を轟かせています。
一、内在平面としての言語解読性
内在平面には言語解読性という分野がある。言語の意味を解読しようととあるアイテムを使用したときに、言語の解読が可能になる。これは、不可思議な出来事であると思われる。誰も言語の意味を解読するように仕向けていないのに、誰も解読したときに言語の意味を表示するようにしていないのに、われわれは言語の意味を"わかったつもり"になる。簡略化するが、解読をしたらこうなると能動的に実行し、必然性のある仕組みを築き上げたという事象は内在平面には存在しない。狸すりっと、というのは、内在平面である、という意味である。このような女子語を導出する言語解読性が様々な方々に広がりつつある。この言語解読を意図的に妨害するデータ操作というものもありうるとわたくしは考えている。例えば、『内在平面』という語の意味は、「大丈夫」という意味内容であるのに、「カブトムシ」という意味内容であるかのように入れ替えることができるのである。また、データ外といって、意味内容のデータを削除することも可能である。欲望にかられた存在者は、他者に対して言語解読をして欲しくないと捉え、言語解読の妨害を実行する。ああ、彼らは、そんなことであくせくするのだ、と一般者は思いを募らせるであろう。言語解読の妨害をするのは、意味を知られるのが癪に障るとか、意味が載っているのが面白くないから、という理由で実行されうる。
二、欲望機械
『欲望機械』という概念は、欲望にかられた機械のような暴走が起きうるという印象を受ける。欲望機械によって社会が乱されることもありえそうな感じもする。オイル・ショックでは、石油とトイレトットペーパーの需要が高まり、一般者の欲望が膨れ上がった。一般者の中から欲望機械が生み出される可能性もあったであろう。われわれがまず気を付けねばならないことは、他者の欲望を気に掛けることであり、欲望の流れるままに行為する他者を取り締まることである。つまり、欲望機械になりうるか、ということと、欲望機械に対する処置をどうとるか、ということを考えてよい適者が気にすればよいのである。欲望に身を任せる存在者、および欲望の赴くままに妄想する存在者に対しては、ひとつの交渉的態度を実践することが考えられるが、それは、


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