他者論を乗り越えて⑨ ドゥンス・スコトゥス
今回は、ドゥンス・スコトゥスという哲学者に教えてもらいたいと思います。ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(Johannes Duns Scotus、1266年? - 1308年11月8日)は、スコットランドの神学者、哲学者。
スコトゥスの哲学は、主に個別化原理について照点を充てています。
Aという物体的存在の本質観を重視したスコトゥスは、Aという物体的存在をそれたらしめている性質を考慮しました。これを「A性」あるいは、「物体的存在のこのもの性」という表記として編み出しました。
今回は (ストゥスいい)
教えてもらいたい (ドゥンス・スコトゥスいい)
個別化 (スコトゥスいい)
個別化原理 (スコトゥス神)
このもの性 (スコトゥス神)
物体的存在 (ドゥンス・スコトゥス神)
性質を (スコトゥス神)
性質を考慮しました (ドゥンス・スコトゥスいい)
表記として編み出しました (ドゥンス・スコトゥスいい)
スコトゥスは、個別化原理の存立において、「物体のこのもの性」を性質の一帯あるいは二帯が”負う”という可能性を考慮しました。
「チューリップの花」の個別化を計ることにおいて、その「チューリップの花」の性質の一帯である花の形相ともう一帯の器官の水分の潤いが、分析されることによって、個別化を可能にするのです。
一帯あるいは二帯 (ドゥンス・スコトゥス神)
負う (ドゥンス・スコトゥスいい)
花の形相 (ドゥンス・スコトゥス神)
個別化を可能にするのです。 (ドゥンス・スコトゥス神)
何らかの「チューリップの花」と瓜二つの花もあることが懸念されます。瓜二つの花を目の前にして、左の花が右の花とはこのように違う、という一点が見出しにくいこともあります。しかし、素粒子レベルで考えることもあります。素粒子レベルでこの二つの花の差異を見出すことも考えられます。しかし、実際に花にミクロ的な解剖を行使することは、特殊な場合を除き、可能性がないこともあります。われわれは、物体の個別化原理を計るにあたって、本気で科学的解剖をしなければならない、という事態になりかねない。
人間においては、あの家で生まれたという性質、あるいは、あの人が育ててくれた人間であるという性質、そしてまた、あのミルクを飲んだ人間、といった、過去のしがらみが性質として浮かび上がります。人間Aのこのもの性は、多岐に渡っている性質のうちの一帯、あるいは二帯と考えられ、あの人が産んだという性質である一点が個別化を計ることになると思われます。
他者の個別化を計ることにおいて、他者性という概念が導入されるように要請される。他者性のうちの『他者のこのもの性』という表記が導入される。『他者のこのもの性』を語るさいに、他者性のうちの本来の性質、あるいは他者性のうちの特性が顕現される。他者と一概に言っても、存在の複数性を指すこともあれば、単一性の存在を対象にしている場合もある。(🌸)
(語は使用である、とウィトゲンシュタインが言うように、他者という語を複数者あるいは単一者を対象とするのであれば、存在の複数性を指すことも可能であり、単一性の存在を指すことも可能である。)
他者という概念は、その使用用途に神をも引きずり込むことができる。(デカルトは神を絶対的な他者性とみなした。)現在在の存在のすべてが他者という概念に内包されている。神が他者をわれわれ存在者と置くように、われわれの誰もが、われわれを他者と称する可能性があるのである。他者性という概念は、その他者性を被る他者の性質であって、必ずしも全員を指す概念ではない。これはカントのア・プリオリな判断である。(他者というとき、何らかの存在を除いた別の存在を指すはずであるとアプリオリな判断が下される。)


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