「プロ野球引退“3年後”に貯金ゼロに…」大金を失い、会社員生活を経て…元中日・前原博之の“引退後”「フリーターがいきなり大仕事を」コーチ打診の電話
パチンコ中に電話「コーチやりませんか」
守道:おまえ今、何やってんだ? 前原:独立リーグのコーチを辞めて、何もしていないです。 守道:そしたら俺がドラゴンズにお願いしようか? 前原:ぜひ、お願いします。 数日後、岐阜市正木北町のパチンコ店で遊んでいると、携帯のバイブが震えた。慌てて外に出て、受話器を耳に当てると、佐藤良平球団代表から「二軍の内野守備走塁コーチをやりませんか」と誘われた。 「驚きました。まさかコーチの依頼が来るとは……。道具係かなと思っていたので。綱渡りの人生ですが、困っていると救世主が現れるんです」 落合博満は連覇しながらの監督退任。その後釜を、一次政権の4シーズンで一度も優勝なしの70歳が務める。チームの空気はどうだったのか。 「そんなことを考える余裕がなかったですね。フリーターがいきなり大きな仕事を任されるような感じでしたから。このタイミングで、天の声が降ってきたなと」
「よし、今日も5万稼ぐぞ」給料は貯金
コーチの年俸は落合監督時代のまま高止まりしており、二軍でも1500万円が支給された。 「球団の仕事は10カ月だから、月150万円ですよ。30日で割ると、日当5万円。朝起きたら『よし、今日も5万稼ぐぞ』と言って、現場に向かいました。敢えて口に出し、自分を叱咤したんです。すごい金額ですから、責任を持って取り組まないといけないと感じました」 現役の15年で、2億円を稼ぎながら無一文になった前原は失敗から学んでいた。 「心のなかで『絶対おかしいぞ。こんな状態が続くわけがない』と感じていました。いつかクビになるとわかっていたんで、契約金の1000万円は全て住宅ローンに充て、給料の大半は貯金に回しました」 高木政権2年目、中日は12年ぶりにBクラスに転落し、監督、コーチ陣は揃って退団。だが、前原は球団職員として雇用され、小学生の選抜チーム「ドラゴンズジュニア」の監督に就任した。 「普通なら、そのまま球団から去りますよね。代表が気を遣って、ポストを用意してくれたんです。何百回も野球教室で教えていたので、すんなり入って行けました」
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