中日二軍で壮絶な練習…寮で「死亡説」が流れた“ある選手”「それほど追い詰められているように…」野村克也から絶賛されるまで「前原1人にやられた」
中日で活躍した元プロ野球選手、前原博之は58歳の今、岐阜市の新聞販売店のオーナーとして奮闘している。華々しい現役時代から引退後の迷い、新聞販売の修行……NumberWebのインタビューに応じた。【全6回の2回目】※記録や肩書などは当時 【実際の写真】「元中日選手が新聞を配達中…カッコいい!」「深夜1時半起床、忙しい1日…実際の作業風景」桑田真澄・清原和博と同学年、前原博之さんの今を一気に見る 「将来の夢はプログラマーでした。兄貴もその道に進んだし、小学生の時から家でパソコンを使っていたので、県立岐阜商業の情報処理科に入りました。プロの世界から声が掛かるなんて考えられなかったし、通用するとも思えなかった」
桑田・清原と同学年…中日に入団
桑田真澄、清原和博と同世代の前原博之は岐阜商業3年の時、練習試合でPL学園と対戦。サードを守りながら、レベルの違いを痛感していた。 「0対15で負けました。めちゃくちゃ強かったですよ。清原の打球が三遊間に飛んで来たけど、速すぎて一歩も動けなかった。桑田のカーブはフォークのように落ちて、キャッチャーが補れず、振り逃げで出塁できました。手も足も出なかったけど、ランナー二塁の場面で、ツーベースを打てたんですよ。1点入ると思ったら、走者がホームで刺されていた。どれだけ速い中継プレーだったのか(笑)」 前原は県大会で打率.520をマークし、甲子園に出場。チームは初戦で敗れたが、85年秋のドラフトで中日から5位指名を受け、契約金2500万円、年俸360万円で入団した。 「プロ入りは実力じゃなくて、運ですね。当時、東邦の選手を取るか、僕にするか迷ったらしいです。でも、県大会の2回戦で優勝候補の岐阜第一と当たった時、スカウトの水谷(啓昭)さんが偶然、観に来ていた。その試合で、6打数5安打と打ちまくった。印象に強く残り、指名に至ったそうです」
二軍の猛練習「“死亡説”が流れた…」
3年目、星野仙一監督の発案で藤王康晴、神山一義らとともにアメリカの1Aに留学。5年目には自己最多の45試合に出場した。期待は高かったが、レギュラーを脅かすような存在にはなれない。翌年、福田功二軍監督は“未完の大器”にこう告げた。 「今年は徹底的に鍛え上げるぞ。二度とファームに落とされないような力を付けない限り、一軍には推薦しない」 鬼軍曹は、試合が終わると毎日2時間の居残り特打を命じた。他の選手が球場を後にしても、前原は一人で黙々と打ち込んだ。壮絶な練習量をこなす日々が続くと、同僚は不安げな視線を注いだ。 「二軍の試合で広島に遠征する際、新幹線のホームで『ここで飛び込んだら楽になるだろうな』と言ったら、周りの選手が手を横に広げて『早まっちゃあかんぞ! 』と叫んでました。冗談で言ったのに、本気だと思われてしまった」 ファームの本拠地・阿久比球場(愛知県)での3連戦の初戦、デーゲームを終えると、いつものように前原のバッティング練習が始まった。陽が沈む頃、撤収の準備に入ると、福田監督の指導が始まった。真っ暗な球場で、わずかな明かりの灯るベンチの中、背番号56は泥だらけのユニフォームのまま、耳を傾けた。気付くと、夜10時を回っていた。 「その日、ほとんどの選手はドラゴンズの寮に泊まっていました。僕も着替えを置いていたのですが、時間がないから、そのまま自分の家に帰ったんです。翌朝、『着替えがまだあるぞ! 前原やばいぞ! 』と寮が大騒ぎになったらしいです」 携帯電話のない時代、早朝の『昇竜館』で前原の“死亡説”が流れた。 「それくらい追い詰められているように見えたんでしょうね」
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