ランサーに惚れていると気付いたのは、カルデアに召喚されて間もなくだった。
気付いた瞬間、アーチャーはその恋心を「寄生虫のようだ」と思った。
ランサーを見れば動悸がし、全身むず痒いような疼きに襲われる。言葉を交わせば、ぞわぞわと肌が粟立ち、時に眩暈すら覚える。そしてなにより――その不快感!
凡人の身からすると憧れるだけで畏れ多い大英雄に対し、極めて個人的かつ疚しい想いを抱くなど、それこそうねり這う虫けらのようにおぞましいことだった。
これは、異物だ。
自分の身に生じた異物を、アーチャーは排除できなかった。すでに全身に回り、脳味噌すら侵されているようだった。なにせ、暇さえあれば、暇がなくとも、ランサーのことばかり考えてしまうのだから。
気休めに虫下しを飲んでみたが、もちろん効くわけがない。時間が解決する様子もなかった。むしろ日に日に虫は増えていった。
口を開けば寄生虫がまろび出てくる気がして、アーチャーは必要以上に喋らなくなった。瞼の間から寄生虫が這い出てくる気がして、いつも目尻に力が入るようになった。視線にすら虫の影が落ちるかもしれないと、目を伏せた。
むっつりとするアーチャーの様子にマスターや幾人かのサーヴァントは首を傾げたが、幸いまだ追及はされなかった。
虫に侵されて数ヶ月ほどした頃、キッチンに立つアーチャーにランサーが声をかけた。
「お前、最近どうしたんだよ。なんだそのツラは」
「は?」
できるかぎり短く、「お前こそなんだ」という意味をこめて返事をする。とはいえ、言いたいことはわかっていた。
「は? じゃねぇよ。いっつも仏頂面してガン飛ばしやがって」
虫が出てこないようにときつく口を引き結び、目を細める。見るからに不機嫌そうな顔になっているのは自分でもわかっていた。
少し前までの自分であれば「美辞麗句を尽くして物語に記されるほどの美貌の持ち主だけあって、他人の顔にケチをつけることに躊躇いはないようだな」とでも言い返したのだろう。しかし今はそんなに長く喋れば虫が飛び出しかねない。おまけに相手はランサーだ。虫が今にも飛び出さんとばかりに体中でざわつき、口はむずむずとして軽くなりそうになっている。
「……悪かったな」
仏頂面のまま、短く一言。ランサーとしても皮肉で返されると思っていたのだろう、肩透かしを食らった顔でため息をつき、「マスターに心配かけるようなマネはすんなよ」と言い残して去っていった。虫は追いすがろうとしていた。
胸の奥でざわつく虫をなんとかなだめ、作業を進める。できる限り一定のリズムで包丁を叩いた。まだ虫は騒いでいる。ランサーに声をかけられただけで、浮かれそうになる手先。もし軽やかな調子で包丁を叩いてしまえば、虫の存在が知れてしまうのではと恐々とする。そう考えると、包丁の音ですらランサーを好きだと歌っているように聞こえて背筋が凍った。また少し、虫が増えた気がした。
数日後、レイシフト帰りのメンバーが遅めの夕食を摂りに食堂にやってきた。そこにはランサーもいた。
アーチャーは鍋を温めなおし、あとは焼くだけの肉に火を通し始める。キッチンから漂う香りに、ランサーはニコニコしながら腹が減ったと言う。その目はアーチャーに向いていた。虫が騒ぐ。視線を向ければ目の奥の虫に気付かれそうで、アーチャーは目を伏せたまま黙って手を動かし、視界の端で「そっけねぇヤツ」と唇を尖らせるランサーを捉えていた。
焼きあがった肉を食べやすいよう切り分けていると、不覚にも指を切ってしまった。幸い肉は無事なようだ。虫を抑えつつ一定のリズムをと意識しすぎたせいで手が滑ったらしい。ぷくりと浮かぶ血の玉は、まるでランサーの瞳に憧れて染まったかのようで、もしかしたらそのうち青になるかもしれないと思った。
ランサーは地蔵のようなアーチャーに構うのを諦め、すでに他のメンバーと談笑していたので、珍しく指を切るなどという失態を犯したアーチャーには気付いていなかった。サーヴァントの身であるため、小さな切り傷程度はすぐに治る。配膳の際にはすっかり塞がっており、誰にも気づかれることはなかった。アーチャーは少しほっとする。傷口から虫が這い出てくるかもしれなかったと思うと、恐ろしかった。
食事が終わると、ランサーは皿洗いをしているアーチャーに「ごちそうさん、うまかったぜ」と一声かけて帰る。虫たちは大騒ぎだ。ランサーが律儀なのは毎度のことなのだからいい加減慣れろと思うが、虫にそんなつもりはないらしい。歓喜にのたうつ虫が口から溢れ出しそうになり、アーチャーは唇にぎゅっと力を込めた。片付けをしているブーディカに「どうしたの、お腹痛いの?」と聞かれてしまったので、虫が溢れないよう返事をするのに苦労させられた。痛いといえば痛いが、腹ではなく胸だった。虫が暴れる胸の奥が、ぎゅうぎゅうと切ない痛みを訴えている。そして、もっと言うなら全身痛い。虫たちが騒いで、手の先までチリチリとしていた。皿を濯ぐ水は冷水なのに、ぽかぽかとしていた。
本日は素材集めのレイシフトで、運悪くランサーも一緒だった。しかしながら、さすがの虫も戦闘中にまで騒ぐつもりはないらしい。ただし、戦闘後になれば戦うランサーの背を思い返して、虫たちが一斉に騒ぐのには疲れさせられた。
マスターは少し息抜きにと、マシュと川遊びを始める。それを少し離れて見守っていると、なぜかランサーが近寄ってきた。
まだ落ち着いていない虫がさらに騒ぎ始める。勘弁してくれと思いながら、アーチャーは唇を引き結んだ。
「またそのツラしやがって。なんなんだっての、お前は。いいかげんマスターも気にしてんぞ」
呆れたように言うランサーは、身をかがめてアーチャーの顔を覗き込んだ。虫が潜む目をまっすぐ見られたくなくて、アーチャーは顔をそらす。不貞腐れている子供のような、稚拙なしぐさだ。
「……おい。アレだ、俺だろ。俺が原因なのかよ。俺がいると、なおさらむっつりしやがるだろ。何かした覚えはねぇが、関係ねぇとも思わねぇ。そんなに俺が気に食わんか」
その言葉に、虫たちがいっそう騒ぐ。バレてしまったと肝を冷やすアーチャーそっちのけで、ランサーに見られていたと大はしゃぎだ。迷惑極まりない。ただでさえ、この場をどう切り抜けるか考えねばならないのに、脳みそに居座る虫が浮かれて這いまわり、頭が回らない。
「……なんか言えよ」
黙ったままのアーチャーに腹を立てるかと思ったが、ランサーはどちらかというと困った様子で口をへの字にした。ランサーをそうさせているのが自分だと思うと、虫が嬉しそうに跳ね回る。どうやらこの図々しい虫どもは、ランサーに何かもたらすことができただけで喜ぶらしい。
「……何もない、とは言わない。だが、心配するようなことはない。迷惑はかけない」
なるべく口を開かないように、ぼそぼそと喋る。ランサーは探るように見つめてきたが、これ以上何も聞き出せないと諦めたか、ため息ひとつで了承の意を示した。
「なんか、俺にできることはあるか」
そう言われた途端、虫たちがぶわっと踊りだす。迷惑はかけないと言っているのに、まだ案じるようなことを。虫たちは何かを期待して皮膚の下でどくんどくんと脈打っている。
「…………手を、」
脳みそで浮かれてのたうち回る虫の仕業か、つい口をついて出た。ランサーは「手?」と怪訝そうにしながらも手を差し出してくる。
白い手。男らしい筋。ほんのり浮かぶ血管。思わず触れると、そこからざわざわと虫が増えていく。反射に近い衝動で、爪を立てた。
「痛って……! てめぇ、何すんだよ」
白い手の甲を引っ搔くと、ぷつりと赤い血が滲んだ。ランサーは不思議と手を引くことなく、されるがままにしている。虫がうるさい。
「……赤いな」
「は? まぁそうだな」
「私の血も、赤いんだ」
「そりゃそうだろ」
「……真似したわけじゃないぞ」
「当たり前だろうが」
何なんだお前は、とランサーが首を傾げる。虫たちはランサーの赤に引き寄せられるように、体中でざわめいている。胸の奥が引っ張られる。何かが、虫が溢れそうだった。
アーチャーは意を決して自らの手の甲を引っ掻いた。
「……お前、ほんと何やってんの」
「……違う色かもしれないと思って」
「んなわけあるかよ」
「いや、見ろ。違う色だ」
手を差し出すと、ランサーは引っ掻き傷をじっと見る。その瞳に引き寄せられ、血がじわじわと溢れ出る。
「……肌の色が違うから、そう見えるんじゃねぇの」
どうやら、ランサーには同じ色に見えるらしい。なんて能天気なんだろう、とアーチャーは思う。
溢れ出る赤い色も、反射する光も、丸く浮く雫の形も、すべてがランサーを好きだと言っているのに。
ランサーは理解を諦めたか、「マスターんとこ戻るぞ」と踵を返した。
アーチャーは手の甲の傷を舐める。虫の味がした。血はもう止まった。虫はいまだ騒ぎ続けて、全身から溢れ出そうになっている。唇を引き結び、目を細める。
ふと、ランサーが振り向いた。そしてふと、なんとなく、口角にこめた力をほんの少し上向きにしてみた。
「……ほんと、なんなんだよ、お前は」
ランサーが笑った。
思えば、自分に笑顔を向けられるのはいつぶりだろうか。虫はこれまでにない歓喜でざわめき、胸の奥でのたうち回る。しかしなぜか、いつもの不快さはなく、心地よい胸騒ぎだった。
――これは、いい薬かもしれない。
胸に手を置けば、虫が強く脈打ち、その音さえ虫に侵されていた。それすら心地よくて、アーチャーはほんの少し頬を緩める。虫が溢れ出してしまった気がしたが、ランサーはもう前を向いていたので、誰にも気づかれなかった。