よだか……じゅん………
五輪、全日本選手権、海外大会など国内外問わず出場する大会すべて金メダルを取った日本を代表するフィギュアスケート選手であり__________
20歳という若さで引退したが日本のフィギュアスケート界に大いなる功績と変革をもたらし___________
(ってウィキペディア思い出してる場合じゃない!)
少年の頭には歴代コーチの名前欄まで浮かんでいたが、慌ててそんな場合でないと頭を振る。
男はずぶ濡れだが、相変わらずぼんやりこちらをながめている。
このままでは目の前の男は風邪をひく。間違いなく。
「あの!とりあえず中入りましょう!!」
少年は男の白い手をとって進みだす。
_____どこか知っている体温だと思いながら。
◯~◯~◯~
ロビーまで行くと慎一朗さんがいた。
慎一朗さんと彼は仲がいいのか『慎一朗くん』『純くん』と呼び合っていた。なんかあの金メダリストが誰かと仲いいなんて想像していなかったが。
ひとまず慎一郎さんにあの金メダリストのことはまかせて、少年はずぶ濡れになりながら荷物を取りに行った。
(慎一朗さんは『遅くても大丈夫ですよ。純君と話すことがありますから。』って言ってたけど………)
待たせていては仕事にならないし、筋が通らないと早足で荷物を運ぶ。
荷物を運びつつ今日はいつもと違うことばかりだと思った
いつもより重い荷物。
いつもより遅い時間。
いつもとはかけ離れた金メダリストとの遭遇。
とはいえ、もう明日になれば会うことはないだろう。
今日たまたま会っただけのこと。
俺のようにお金も、才能も、運も…『持たざる人間』が『持つ人間』に会っていいはずがないのだから。
(選手としてあの人に会いたかったな…)
喉元でひとりごちつつ、おそらく慎一朗と金メダリストのいるスケートリンクのある場所へと少年は駆けていく。
彼は氷上にいた。
テレビで見たあの加速を超えていく。
そして踏み切り、
__________クワッドアクセル…!
そのまま音もなく軽やかに着氷し、彼の金の双眸がこちらをむく。
「見た?やって。」
やって?やってってなんだ?
頭が追いつかず口がふさがらない。
「純くん、だめだよ。無理を言ったら。」
案の定慎一朗が止めにはいる。
少しホッと息をつき、言葉をつなぐ。
「お、俺まだスケート教室に通うようになったばっかりで……それに、スケート靴持ってないです。」
「慎一朗くんが持ってるでしょ。」
彼は氷上から降りるとツカツカとこちらに歩み寄る。
そして勝手に司からバックを取り上げ代わりと言わんばかりに肩にかけていたタオルを投げつけた。
「ちょっ、」
「それで拭いたらこの靴はいてやって。」
取り上げたバックから真っ白なスケート靴を勝手に取り出す。慎一朗さんはひたすらオロオロしつつ怒ってはいないのでいいのかとこちらが困惑してしまう。
心の中で少年はこの人話聞かないなっ!?と叫んだがどうにもならないようだった。
そうして困惑している間にもより不機嫌になる金メダリストの視線に耐えられず慌ててスケート靴を履き、タオルを慎一朗さんに渡して氷上へと足を入れた。
とりあえず氷を押し出し、進み出す。
彼のジャンプを必死に思い出す。
踏み切りは?
タイミングは?
姿勢は?
腕はどう動かしてた?
頭は目まぐるしく動くが、反対に頬が冷やされ冷静さを戻していく。
加速して、___________________________今っ!!
身体が宙に浮かぶ。
視界が、まわる。
「っ。!」
ずしゃっと彼の着氷とは似ても似つかない様子で氷上に転がる。
…ほんとに何やってるんだろう。
見事に大転倒し少年は死にたい気分になる。
当たり前の結果だがさすがに憧れの人の前で失敗したくなかった。
目の前の金メダリストは相変わらずよくわからない表情でこちらを見つめていた。
しばし、その沈黙が続くがやがての唇を開いた。
「君は…」
「氷上で死ぬ覚悟はある?」
…………な、にを。
音になりきらない声が喉で小さく震えた。
少年は彼の金の瞳を見つめた。
そこから言葉にできないような苦しみを見た気がした。
目の前の男は圧倒的強者で、相変わらずそのオーラに慄いているのに。
ひどく一瞬だけど不安そうに感じた。
男の視線がこちらから外れた。空虚に目を向け語る。
「僕はスケートのために全て代償は払ってきた。」
「スケートで生きることを選んですらいないまま。」
「もちろんその代償分僕は氷上の王になった。」
けれど、と男は続ける。
「僕は氷上以外で生きられない。氷上から離れて始めて分かった。」
「僕は氷上以外では死んでいるのと変わらない死に体だよ。」
ふと視線がこちらへ戻る
「………君は何歳?」
いきなり話が変わったことに驚きながらなんとか言葉をつなぐ。
「じゅう、よんです。」
「…ジュニアくらいか、ジュニアは持てる人間でも選りすぐりがたくさんいるし、すぐに消える。」
「確かにこのジャンプは最高難易度のジャンプのうちの1つだけど、とべる選手がいても不思議じゃない。そういう世界だ。」
「君が遅れているどころか土俵にすら立っていないのは君が一番わかってるだろう。」
ズキンと音を立てて胸が痛む。
少年がずっと気にしていたことだった。
「君は持たないものが多い。
金も、時間も、実績もない…」
「君は氷上で生きていけないだろうね。」