彼が病を患ったという。私にしか治せない病だと、憔悴しきった顔で今にも死にそうな声で、告げられた。ドクターやマスターにはと聞いたが、彼は首を振り匙を投げられたとぼやいた。体は健康そのもの、霊基に異常は見られない。どこが悪いのかもさっぱりだったそうで。ならばなぜ私なんだときけば、お前がといる時だけが痛みも何もかもなくなって心が穏やかになる。それに気付いたからだ。と返された。だから、嫌かもしれんがしばらくは共にいてくれと願われた。私は、彼の大英雄の役に立てるならばと彼の治療に付き合うことにした。存外彼は穏やかな日々を過ごしていた。一度戦闘となれば、苛烈で勇猛で一番に敵前に躍り出る姿とは一変して、書物を読み昼寝をして私と他愛のない会話をする。時に誰かとシュミレーターに手合わせに行くこともあるし、レイシフトも当然あるのだが、不思議と彼は私が煩わしいと思わない範囲で傍にいた。笑ったのは、カルデアでキャスターの彼と畑仕事をする姿だ。なんでもバレンタインの時にして、ハマったらしい。ちまちまと雑草を引き抜く姿が妙に笑いを誘って仕方ない。そのうち私もなんだかんだ傍にいる彼に慣れてしまって、気付けば小さな頼みごとをよくするようになっていた。すっかり馴染んでるじゃないかと我が身を恥じても、彼が丁度よく手を差し出すものだからついつい頼ってしまう。洗濯の片付けに食事時の準備と片付け、細々とした倉庫の整理では筋力値に物を言わせて彼に重たい物を運ばせたり、我ながら大英雄に対してどうかと思うような事ばかり頼んでしまっている。
「アーチャー」
「右から二番目」
「ここか」
なんて、どこの熟年夫婦だという会話も繰り広げる始末。だいぶ遅いが気付けて良かった。気を付けなければ、私は彼の治療のために傍にいるのだから。不思議がられないよう、彼の手を借りる回数を少し減らした。傍にいる時間はそのままに、会話することも変わらない。でも手を借りないようにした。彼に気付かれないように注意を払ったがそれでも時折、差し出された手が所在無さげに振られて引っ込められるのを見るのは、心苦しいものがあった。軽口は交わす、仲も悪くない、ニコイチではないが大概は一緒にいる。でも、彼の手を借りないようにするのは中々に苦労した。憧れた大英雄を、鮮烈な死を刻みつけた美しき青を、どうして無下に扱うことができようか!
「アーチャー、治らねぇんだ」
「これだけ一緒にいるのにか?」
「むしろ、悪化した」
「なに?」
「お前が頼らなくなるから」
しょんぼりと罰の悪そうに言われて、それでも拒める者がいたら聞きたい。どうやってこれをかわすのだと。ああ、しまったなと思ったが、私は結局彼を小さな事で頼らざるを得なくなった。また一時のように彼に物事を頼むと、心地よいほど絶妙な返事で彼は引き受けてくれる。むしろ、前よりもタイミングよく手を差し出されるから、何も言わずに作業を共にすることが増えた。驚いたのは、彼に酒のつまみの手伝いぐらいならさせてしまっていたことか。きっかけは、確か彼一人でも作れるつまみを教えてやろうとしたこと。きゅうりとマヨネーズに味噌とにんにくのすりおろし、それだけでできる。きゅうり以外の材料を混ぜ合わせて、乱切りにしたきゅうりに添えるだけ。それだけでいい代表的なつまみ。他にも、春巻きの皮でチーズとササミを包んでトースターで焼くだけのもの、少量のパスタ麺をフライパンで焼いて塩を振ったパスタフリット。前日から仕込みは必要だが、浅漬けの素にわさびを混ぜ込んで短冊切りにした山芋を漬け込むわさび漬け。使う器具がなるべく少なく手早くできるものを彼に仕込むとどうしてか、彼の晩酌に付き合わされる。部屋こそ別々だったのに、晩酌に付き合わされるとあまり強くない私は寝落ちることもあって、数回に一度、彼のベッドの中で目が覚める。そういう時彼はソファで寝ているから、申し訳なくて晩酌の誘いを断ろうと思うのに、断れず付き合って過ちを繰り返すのだ。しかし、彼の病はどうして治らないのだろうそんな生活が続いて、随分と、と自分でも思うぐらい腑抜けになった頃、彼が嬉しそうに告げてきた台詞は、私を容易く失意という底無し沼に突き落とした。
「病が治ったんだ」
「そ、れは、良かったな」
「迷惑かけたな」
「いや、構わないよ」
忘れていたわけじゃない。決して、忘れたことはなかったけれど、長く彼と共にいたからまだ先だろうと思ってしまった。まだ、治らないのだろうと。喜ばしい事なのに喜べず、上辺だけで祝い初めてレイシフト等以外で私の傍からいなくなる彼の背中を見送った。ああ、おかしいな、穿たれた胸が痛い。あの時の熱のようなサーヴァント特有の病にかかったのだろうか。
「伝染するようなものとは聞いていなかったんだがな」
でも、彼と同じものかはわからない。治療の為に長らく傍にいたくせに、どんな症状が出ているのかなぞ、ちっとも聞いていなかったことに気付いて、乾いた笑いが一人きりの真白の廊下に転げ落ちた。それまでのように共にいることもなくて、ふとした時に手伝いの手があると思って仕事を引き受けすぎてしまったり、手伝いの手を探したり、そんなことを何度か繰り返して。そういえばもう傍に居ないのだったなと思い出す日々が続いた。胸の痛みは相変わらず取れないが、それだけだったのでマスターには伝えることなどしなかった。それもいけなかったのだろう。マスターから戦力強化のためだとランサーに次いで頂いた聖杯があらぬ幻想を抱かせてしまった。
「やあ、ランサー。すまない、巻き込んでしまったな」
「おい、何かわかってるなら説明しろ」
「私にわかるのはここが私を基準に展開された特異点という事だけだ」
「はぁ?」
「なあ、その槍で私を殺せば出られるぞ。私が特異点を生み出しているのだから」
ほらとわざと手を広げてみせる。差し出された獲物を彼が好まないと知っていても、差し出さずにはいられなかった。きっと彼に心臓を穿たれたらむねの痛みが消えるとわかっているから。
――――――
あの弓兵が倒れたのだという。どうしてかは分からなかった。ただ人のように夢を見ている状態で目を覚まさない。どんな夢を見ているのか分からないが、ただ穏やかに笑う姿を見るのはなんでか嫌だった。マスターから聖杯を賜った直後、聖杯はアレが最初に実験的な意味合いも含めて渡されていた。マスターはすっかり落ち込んでしまって、ダ・ヴィンチも優男のドクターも大わらわ、どこそこに手を貸していた弓兵がいないせいか、カルデア内部は火が落ちたように、日頃の騒がしさがなくなってしまっていた。アレがいなければ回らないというわけではないが、どうしてもアレが仔細に管理していたものもあって、あれそれを使うのに在庫がいくつあるのかをすぐ知りたい時に困る事が多々起きた。オレは弓兵が何をしているのかを全く把握していないから、あわあわしている奴等を落ち着かせる側に回った。どこに何があるのかわからなくて、正直オレ自身も困ったことがある。あと、困ったことと言えば、晩酌の酒のつまみがないことだ。弓兵が寝てしまって(こうとしか言いようがない)から、夜中に食堂にいる者はいないために、美味いつまみにありつけなくなってしまった。しかたないから、チーズを少量ちょろまかす事ぐらいしかしない。何品か、弓兵に教えてもらっておけば良かったか、と思わなくもない。弓兵はまだ起きない。そんなに夢の中の世界がいいのだろうか。カルデアは少しずつ歪みが大きくなりだしている。どこで何が爆発するかわからない状態にもう少ししたらなってしまうだろう。たったの一騎、たかが一騎の行いが、大きすぎる影響を生み出してる。お前さん、そんなにこちらが嫌なのか。夢の世界に溺れるほど嫌なのか。
――――――
「殺さねぇけど?」
「なぜ?」
「だって、お前とずっとここに入られるんだろう?」
「らん、さー?」
「お前を閉じ込めたくてな、オレが作ったんだ。お前に与えられた聖杯を使ってと言ったら、どうする?」
「どういう、」
「ああ、アーチャー、ずっと一緒だな?」
「君は誰だ」
「お前の“運命”さな」
彼の笑った顔が気持ち悪くてしょうがなかった。抱きしめられたのにその体が恐ろしいほど冷たくてゾッとした。どこからだ、どこからがおかしかったのだ。わからない、なぜ、どうして、彼が化物のように思えてしまうのか。彼の霊基そのものなのに、気持ち悪くてまるで聖杯の泥を触った時のような嫌悪感が、聖杯の、泥?どうしてそんなものと彼を同じように感じてしまったんだ?アーチャーと猫なで声で呼ばれるのに耐えきれなくて、突き飛ばす。それで、それの皮が剥がれた。
「ってて、お兄様ったらひどーい」
「アンリマユ、貴様っ」
「オレってば、アンタの迎えに来たんだぜ?」
「迎えだと?」
「妙なのに捕まってるからって、ちょちょいと行ってこいされたんだよ。青いのに」
「青いの、ランサーか?」
「うんにゃキャスターの方、ほーんと面倒くさいったらありゃしない。で、どうすんの?」
「帰るんだろう」
「アンタ、自分の足元見てみなよ、そんなに雁字搦めにされたまま帰るってか?」
示されて足元を見て、理解してしまった。何がどうしてこうなったのか。なぜ、キャスターの彼がアンリマユを迎えに寄越したのか。確かにこれは普通のサーヴァントには辛いものがある。だが、ここまで捕まってしまっているのなら、私がこれを連れたまま帰るのは、カルデアに宜しくない。かと言って、ここまで醜く膨れ上がったコレを今更引き剥がすこともできん。なんて無様な、からかうこと、余計な事はするが、口出しはあまりしない悪魔が嫌そうに顔を歪める。全く察しの良いことで。
「お前の宝具の効果はアレだったな」
「ええ、あれちょー痛いんだけど」
「いいじゃないか、皮を貸した好みだろう」
「いや、借りたのはアンタであってアンタでないっていうか、はいはい分かりましたよ。やればいいんでしょやれば」
全く変な悪魔だ。こちらが黙って武器を構えれば渋々応じてくれる。死ぬことはできないが、緩やかに死ぬ事はできるだろう。ああ、全く度し難い。どうせなら彼の槍でこの命の最後を迎えたかった。
―――――――
弓兵が目覚めたそうだ。なにも変わらず迷惑をかけたなとしきりに謝って、結局原因は分からずじまいだったが、一つ変わってしまったことがある。
どうやらオレは、アーチャー相手に恋の病とやらを患ってしまったらしい。
つきりと傷んだ胸に笑うしかなかった。