鬱と闘った3年間のことで、忘れていたことがあった。
ハワイでのヨーガインストラクターコースを始める前のことだ。
長男はその当時アメリカの連邦戦争帰還兵病院のPTSD及びBPD患者の治療ユニットで臨床心理学博士として帰還兵のセラピーに取り組んでいた。
「このひどい鬱、なんとかならない?」と母がメールで相談しても、親のセラピーをするのは、conflict of interests (利益対立)になるので無理、とつれない返事をよこしただけだったと前に書いたが、その当時のノートを先日見つけて読んでいたら、長男が関わってくれていたことを思い出した。
「今日、感謝することを3つ書いてメールで毎日送ってくること。僕も送るから。」というのが、彼が提案してきた治療的関わりだった。
O月O日「お母さん。今日僕は3つのことに感謝です。朝から雪が降っていることに。昼食べたりんごに。仕事のクライアントが宿題をしてきたことに。お母さんの感謝は何?」
O月O日「3つも感謝することないので、一つでいいかな。朝、起きれたことに感謝。母より」
O月O日「お母さん。今日僕は3つのことに感謝です。朝、最初に聞いた鳥の鳴き声に。愛用のティカップに。お母さんからの返信メールに」
O月O日「感謝しているかどうかわからないけれど、とりあえず、夕方の空にかかっていた虹に。母より」
感情を失っていた私には、感謝すること、すなわち嬉しいことは皆無だった。ひとつ考えるのも苦しくて、キーボードの手が止まったまま動かない。それでも長男が毎日送ってくるので、返信しないわけにはいかなかった。
半月続けて、お手上げになった。「もう無理、嬉しいことなんか何もないんだから」
「嬉しくなくても感謝することあるんじゃないの?」と彼から言われた。
「深く考えないで、何でもいいから感謝することを考えて送ること」
マインドフルネス練習の一つだ。
マインドフルネスも活用するマルシャ・リネハンのDBTプログラムの全国トレーナーの彼は、そんなエクササイズをクライアントとしているのだろうか。
2001年に私が開発した虐待に至ってしまった親の回復のMY TREEプログラムでは、最初に15分間、瞑想と簡単なヨーガの動きをする。家では自分の木を決めて、それをただ観察する練習を宿題にしている。日本の各地で20年間実践を続けてきて、この木を見るという単純な瞑想が効果を発揮していることを経験してきた。思考や感情を介さない「見て止める」という禅で言えば「止観」と、この感謝することとは相通じるところがある。(「「虐待・親にもケアを」森田ゆり編著 p109 を参照)
O月O日「今日感謝することは、あなたからのメールが届いたことだけ。母より」
嬉しいことと感謝することを分けても、感謝したいことはそのことしかなくて、毎日同じメールを送った。それでも長男は、3つの感謝することを送り続けてきた。
3ヶ月ぐらいは続けただろうか。
彼の出張が続いて多忙になったために、彼からのメールが来なくなると、私も送らなくなった。
このエクササイズは、鬱の私の病状に何か良い効果をもたらしただろうか。わからない。何も考えずに、何も感じずに、目につく事柄をただ書くという訓練は、鬱の人がちょっとしたことですぐに陥ってしまう絶望感から私を遠ざけてくれたのかもしれない。
I am Maris というアメリカの映画が今、Netflixで見れる。パニック障害、摂食障害、自傷などに苦しんだ15歳のマリスが、ヨーガに出会って、症状を克服していくドキュメンタリー映画だ。長期入院をしても一向によくならなかったにも関わらず、ヨーガインストラクターコースの中で彼女は回復へ向かう。
あのうつの苦しみの日々から10年目の私。今年からは、少年院でヨーガを教え始めた。自閉傾向の強い少年と職員たち。どんな効果をもたらすか。期待せずただ無心に教えに行く。