【キャリア】新卒就活失敗からの気づき
それなりに、それっぽい所に、着地すると思ってた
割とエスカレーターな人生を歩んできて、決まった道をするすると歩んできて、そんなもんやなと生きてきた。
果たして、25年も前の新卒就活話が、令和の今、どれだけ皆さんの役に立つだろうかと思いつつ、まぁ意外と20歳くらいの悩みなんて似たようなもんかと思い、やっぱり書いてみる笑。
あ、正直この話はあまり人にできなかった。色々と葛藤があったのです。
中学受験で栄光学園(当時神奈川No.1)と、慶應普通部に2戦2勝し、そこそこ自分はできる方だと認識していた。残念ながら、あんまり勉強に興味を抱けなかった自分は(バカナノ?!)、スポーツがしたくて、慶應普通部を選んだ。
ほぼほぼ、ラグビー(と、物理と科学の会?)だけやって、高校に進学した。勉強は手放していた。
高校でもラグビーを続けて、でも一年夏までに留年しかけて!ラグビー辞めて、一時期プー太郎して(部活をやってない意)、それからハンドボールやって。
勉強も、スポーツも、遊びもそこそこやってて、自分の持ってる力とか影響力も、まぁこんな位だよなと感じてた。
一方で、正直な所、野望とかやりたいことがハッキリしない自分の限界も感じてて、ほんとの一線級な人たちが持つビジョンとか能力とか気合とか、そこまでは無いよなと思いつつ、それなり人生を生きてきた。
慶應大学の経済学部を選び、体育会のハンドボール部を選んだ。なんというか、自分次第で何とかなるレベルの道を進んでいたように思う。ストレッチ度は高くない笑。
それなりに、部活もエースとしてチームの中心を張れたし、全国大会でて一回は勝てたし。70点くらいのイメージ。
就活の失敗
なので、まぁ就職偏差値65以上みたいな会社(なんというか、三井とか三菱とか住友とか財閥系)に入って、それなりに頑張ろうと思っていたけど、これがなかなか、うまくいかなかった。
商社、銀行、保険。それぞれ最終面接に進み、全滅した。全滅やで。マツオヤスヒロ(当時22歳)は、死にたい!(あ、嘘ですほんとは死にたくはない笑)ような挫折感を味わった。ので、ここでいう「就活の失敗」とは、当初狙ったゴールに辿り着けなかったことを指している。
それまでの挫折は、自動車免許で仮免落ちたことくらい笑。あぁ、良かれ悪かれ、私はあんまり悩まないタイプで、挫折も気にならないのです。「え、それが挫折?!」当時付き合っていた彼女(現在妻)に、呆れられた記憶。
今振り返ると、色々と思う所がある。そもそも就職氷河期で就活ルールが変わっていたのに、対応できなかったんだよな。先輩の教え通り、慶應体育会なら何とかなる雰囲気と思っていたけど(なんかバブルの頃はすごかったらしいよ笑)。何がやりたいか、何ができるか、よく分かっていなかった。
まぁ、平たくいうなら、世間知らずで、人生を真剣に考えたことがなく、幼かったということなのです。でも、きっと今の若者も、そんな感じじゃないかなとも思う。いずれにしても、あれが私の当時の全力だったわけです。
阪急百貨店への就職
捨てる神あれば拾う神あり。幸い、内定がでた。阪急百貨店という関西のデパート。
こんなこと言うと、きっと怒られるかもしれなし、ムカつく人もいると思う。ただね、正直、気が乗らなかった。自分は東京出身だし、百貨店にも関西にも、特段関わる理由がなかったからである。志望動機なんてペラペラでした(まぁ、20代の志望動機なんてそんなものかもしれん)。
とりあえず内定が出て、無職は回避できたものの、「ほんとにこの道でいいんだっけ?」というモヤモヤが残った。転職や起業する中で、意思決定を繰り返してきた今の自分からみると、内省が甘くて、軸が弱く、意思決定がうまくなかった。
ので、当時の俺を拾ってくれた阪急百貨店の人事や経営陣の方々は、かなり凄いと思う。俺が面接官なら採用迷う笑。
ポテンシャルはそれなりに高かったと思うけど、プライド高いし、言うこと聞かないし、なかなかにめんどくさいタイプだったと思われ。
そういう意味で、阪急の懐の深さを感じるし、感謝しかないです。阪急大好き笑。でも、当時の俺的器の小ささでは、そういう風に感じなかったし、言えなかったな。
あの頃のストレスは、「なんで阪急なの?」と質問されること。誰も悪気はないんよ。でも、俺には「採用してくれたから」以外の答えが見いだせず、そう答える腹の括りもなく、「昔、大阪に住んでた」とか、「梅田阪急が凄いから(あ、これは本当)」位の、芯を外した返答をしていた。それをする度に、自分のなかの大切な何かを失う感覚があった。
覚悟
今でも新幹線で新横浜?から大阪に行ったあの日のことを思い出す。彼女と、友人のやまぐと信ちゃんが見送ってくれた。これは切なかったよ。当時の新幹線は、のぞみより確かひかりが多かった頃で、ゆらゆらと揺られながら、不安と悲しさと、なんとなく島流しというのか都落ち感があった。
だからこそ、「俺は社長になるぞ!」と根拠なく頑張る気持ちだった。勉強はやる気起きなかったけど、仕事が部活と同じなら、やっぱエースになりたいし、そのための努力は惜しまぬと決めた。
ので、20年以上前から、車買ったり贅沢もせず、しがない給与を切り詰めて自己投資に充ててきた。まだベンチャー味のあった、2000年前後のグロービスに通い、ビジネススキルを学んだ。頼まれてもないのに、日経新聞の社説を要約した。海外行く予定もないのに、ベルリッツで英語勉強してみた(これは大学院の合格につながった)。
何を隠そう、入社時のTOEICは315点。なお、満点は990点らしいよ笑。ひどいにも程があるな!あ、念の為、あれから勉強して、700点を超えるようにはなったよ。ただ、英語話すと子どもたちから、「え、今のベトナム語?」など揶揄されます。発音が悪い笑。
でも、そんな覚悟で人生と向き合ったので、今の自分を創り出せたと思う。労働組合のNo.2に選んでもらい、転職して海外で起業したり、コンサルファームで管理職したり、外資系でvice presidentやったり、日本でも起業して40人ほど一緒に働く仲間ができたり。
きっとあのまま財閥系で働いていたら、俺は傲慢でどうしようもない人間だったと思う。だから何事も意味があるよな!
感想
あれから25年経ち、改めて振り返ってみると、やっぱり俺にとって必要な経験だったな。
最初の配属となった食品売場の泥臭さや、自分を理解してもらえない苦痛や葛藤、やりたくないことやるイヤな感覚。怒鳴られたり。納得いかないことを、納得したふりするウソツキ感。
けれど、それ以上に、自分を発揮して、認めてもらって、身につけた自信や感謝の気持ち。これは今でも自分の基礎となり、役立っている。
そして、出会った人の多くは(全員ではないよ笑)、素敵で良い人で、優秀だった。そんな気持ちが、年取ったせいか、年々深まってゆく。
今は、あの頃と真逆にやりたいことばかりやって生きてる。きついことも多いし、先は見通せないんだけど、日々自分を活かし、貢献し、感謝され、自分を生きてる実感。人生を本気で生きてる実感と自信。
やっぱりそれは、阪急百貨店と、そこで共に働いた方々の影響。ある種のエッセンシャルワーカー味と、人をインスパイアして方向感示してく役割と、人や組織にかかわる仕事をしている今の基礎が、阪急にあったな。あと信頼できる先輩や後輩や同期。
うむ、人生何が幸いするか、わからんな笑。明日もがんばろ!


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