「国会の運営につきましては、国会においてお決めいただくものと承知しております」
2月24日の衆院本会議で、中道改革連合の小川淳也代表の質問に高市早苗首相は答えた。「2026年度予算案の審議時間が短すぎるのではないか」という問いだった。
この答弁は小川氏に対してだけではない。参院本会議や衆院予算委員会で質問に立った複数の野党議員にもそうだった。首相が衆院解散に踏み切り、異例の2月選挙となったことがこの状況を招いたのではないか―。追及はいろいろな角度からなされたが、答弁の内容は変わらなかった。
国会論戦をつぶさに追うと、高市首相の答弁にははっきりしたパターンが見て取れる。「サナエノミクス」など自身の政策を語るときには、大胆なビジョンを力強い言葉で示す。一方、追及が鋭くなると定型句のような言い回しを繰り返し、巧みにかわす。
強気のビジョン提示と「テンプレート答弁」による防御。この二面性こそが、首相答弁の際立った特徴と言ってよいだろう。(共同通信編集委員兼論説委員 内田恭司)
▽高いコミュニケーション能力
前段から見ていきたい。
国会における首相の発言を聞いて、恐らく多くの人の印象に残るのは、日本経済の構造を変えようとする「強気の改革者」としてのメッセージ性だ。首相は「日本列島を強く豊かに」という政権のスローガンを繰り返し、「責任ある積極財政」というフレーズで経済政策の方向性を説明してきた。
看板政策の成長戦略投資や危機管理投資については、人工知能(AI)や半導体、フュージョンエネルギー(核融合)といった先端分野を挙げ、「国家として成長のスイッチを押し続ける」と言い切る。伝えようとするメッセージは明快だ。
財政政策の転換についても同じことが言える。野党議員が「歴代政権は基礎的財政収支(プライマリーバランス)の改善に責任を持とうと努力してきたのではないか」などと質すと、首相は即座に答弁した。
「単年度のプライマリーバランスの黒字化目標のみに縛られない。政府債務残高の対国内総生産(GDP)比を安定的に引き下げながら、成長投資を進めていくことが重要です」
政策の方向性を歯切れよく示すこのスタイルを頼もしく感じる人は多いだろう。比較的分かりやすい言葉でメッセージを発信している点に、政治的コミュニケーション能力の高さもうかがえる。
▽議論深まらず平行線に
しかし、追及型の質疑になると様子は変わる。冒頭の審議日程を巡るやり取りが、まさに象徴的だ。
一連の論議の中で野党側は、政府と与党が実質的に日程の組み方を主導しているのではないかと食い下がった。だが首相は、三権分立を理由に行政の関与は限定されるという趣旨の答弁に終始した。結果として議論は深まらなかった。
外交分野でも似た構図が見られた。米国とイスラエルによるイラン攻撃について国際法上の評価を問う質疑がそうだ。中道の西村智奈美氏や浜地雅一氏らが、ロシアによるウクライナ侵攻について当時の岸田文雄政権が「国際法違反」であり「侵略」だと断じたことを引き合いに出し、今回の攻撃について「政府の法的評価はどうなのか」と迫った。
しかし首相は「詳細な事実関係を十分把握する立場にないため、確定的な法的評価を行うことは困難だ」と述べ、言及を避けた。質問は繰り返されたが、答弁の趣旨は変わらなかった。
トランプ米大統領との関係や、近づく訪米日程を踏まえ、慎重な対応が必要だと判断したのだろう。そういう考え方もあるとはいえ、国会論戦としては、実りがないまま平行線で終わった感は否めない。
「食料品の消費税率2年間ゼロ」と給付付き税額控除制度を議論する超党派の国民会議を巡っては、興味深い質疑があった。3月2日の衆院予算委員会で、参政党の豊田真由子氏が「憲法適合性」を問うたのがそれだ。
豊田氏は、立法府でも行政府でもない「法的根拠のない合議体」が国家の重要な政策を事実上決めることは、憲法41条の「国会は国権の最高機関」との規定を空洞化させるのではないかと問題提起した。
首相は違憲性を否定した上で、多党化している昨今においては「常態化した協議体だ」と理解を求めた。だが豊田氏は「民主主義はプロセスこそが大事だ」と反論。政府側は釈明的な答弁に終始し、論争は生煮えのまま、次のテーマに切り替わってしまった。
▽「私は昭和のおやじ社長」
高市首相の答弁には独特のレトリックも見られる。衆院選で当選した自民党所属全議員へのカタログギフト配布が問題となった際、首相は「昭和の中小企業のおやじ社長みたいなところがある」「私は飯会が苦手な女でして」と語った上で、議員へのねぎらいの気持ちから行ったものだと説明した。
法令違反には当たらないとの立場を強調しつつ、自らの人柄を前面に出して理解を求める答弁だった。
だが、この説明への批判は少なくなかった。「政治とカネ」の問題に絡む政治倫理が問われている場面で、あえて自らを「女」として語ることは、女性政治家に関するステレオタイプを強めるのではないかという指摘だ。
日本の政治は長く男性中心の文化の中で営まれてきた。会食や根回しといった慣行に違和感を示すこと自体はあってしかるべきだ。しかし、それを「女なので」というニュアンスで説明すれば、政治の場における女性像を狭い枠に押し込める危うさも伴うのではないか。
▽民主主義を支えるのは言葉
政治的に敏感な問題や責任を問われる局面でリスクを回避するのは、政治指導者には必要な能力だろう。だが、レトリックや定型句が続けば続くほど、国会審議は実質的な議論ではなく、形だけの応酬に見えてしまう。
高市政権は衆院で定数の3分の2を超える圧倒的多数を持つ。だからこそ本来なら、厳しい質問に対しても言葉を尽くして説明する余力があるはずだ。
26年度予算案が13日に衆院を通過したことで、国会論戦の舞台は参院に移った。ここでも答弁がこれまでの〝高市流〟にとどまるなら、国会は政府の責任を明らかにする場ではなく、単なる手続きの舞台になりかねない。
ビジョンを語る政治は、時に熱狂を生む。だが民主主義を支えるのは熱狂ではなく、問いに誠実に向き合う言葉の積み重ねだ。高市首相が日本の政治史にどう刻まれるのか―。それは、答弁でどこまで言葉を尽くすかにかかっているのではないか。
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内田恭司 1991年共同通信入社。千葉、岐阜支局などを経て99年政治部。郵政政局や民主党による政権交代、「安倍1強」政治のほか、日朝交渉を取材。政治部担当部長などを務め2022年から現職。共編著に「証言 小選挙区制は日本をどう変えたのか」(岩波書店)。