お先真っ暗って、いいよね
──不安が平等に配られた時代の、経営の話
「お先真っ暗って、いいよね」
そう言ったのは、
甲本ヒロトだった。
普通なら、避けたい言葉だ。
希望がない、詰んでいる、もう先はない。
そんな意味で使われるのが「お先真っ暗」だ。
けれど彼は、
それを少し笑うように、「いいよね」と言った。
お先が見えない。
何が起きるかわからない。
正解も、成功ルートも、保証もない。
それでもヒロトは、こう続けた。
「真っ暗ってことは、みんな平等だ」
誰も先を知らない。
誰も地図を持っていない。
誰かだけが、有利なスタート地点に立っているわけでもない。
だからこそ、
そこにはまだ、誰のものでもない可能性が眠っている。
──何も見えない、ということは、
何にでもなれる、ということかもしれない。
いまの日本の経営環境も、どこかよく似ている。
「先が読めない」
「人が足りない」
「この判断で合っているのか分からない」
そんな言葉が、あちこちで聞こえてくる。
景気の話をしても、
人手不足の話をしても、
DXだ、AIだ、という話をしても、
最後はだいたい、同じところに落ち着く。
不安だ。
だから経営は、どんどん「守り」に寄っていく。
失敗しない選択。
前例のある判断。
誰かが正解だと言ってくれそうな道。
でも、ここで一度、立ち止まって考えてみたい。
本当に、
「守り」に入れば、不安は消えるのだろうか。
町工場の朝は、相変わらず早い。
シャッターを開けながら、
今日の受注と、人の配置を頭の中で組み直す。
昨日は一人、急に休んだ。
来月の仕事は、まだ全部は見えていない。
設備を更新するかどうかも、決めきれずにいる。
正解があれば、楽だと思う。
でも、そんなものはどこにもない。
「この判断、間違ってたらどうしよう」
「動かなかったら、もっと悪くなるんじゃないか」
誰にも言えない不安を、
作業着のポケットにしまったまま、今日も現場に立つ。
──これが、いま多くの中小企業の「現在地」だと思う。
ここで、さっきの言葉が戻ってくる。
真っ暗ってことは、みんな平等だ。
これは、希望的観測の話じゃない。
むしろ、かなり冷たい現実の話だ。
大企業も、中小企業も。
ベテラン経営者も、若手経営者も。
誰ひとり、「正解」を知らない。
市場は読めない。
技術の進化は早すぎる。
人の価値観も、働き方も変わり続けている。
つまり今は、
「分かっている人」がいない時代だ。
それなのに、
自分だけは「正解を選ばなければ」と思い込んで、
身動きが取れなくなっている経営者が、あまりにも多い。
もしかすると、
問題は「不安」そのものじゃない。
問題なのは、
不安を“消そう”としてしまうことなのかもしれない。
不安を消すために、
挑戦をやめる。
問いを閉じる。
現状にしがみつく。
でも、不安が平等に配られている時代に、
それは本当に「守り」なのだろうか。
ヒロトの言葉を借りるなら、
真っ暗な場所で立ち止まることと、
真っ暗な場所を手探りで進むことは、まったく違う。
経営に必要なのは、
未来を見通す力じゃない。
見えないまま、動く力だ。
完璧な計画がなくてもいい。
失敗しない保証なんて、最初からない。
それでも一歩踏み出す。
やってみて、ズレたら直す。
うまくいかなかったら、問い直す。
それを繰り返すしかない。
実はこれ、
多くの町工場や中小企業が、ずっとやってきたことでもある。
景気が良いときも、悪いときも。
制度が変わっても、技術が変わっても。
誰にも答えを教えてもらえない中で、現場は動いてきた。
「お先真っ暗」という言葉は、
絶望の宣告じゃない。
それは、
スタートラインが揃った、という合図かもしれない。
誰も正解を持っていないなら、
誰かの真似をする必要もない。
誰のものでもない未来なら、
自分たちの手で、形をつくっていい。
不安は消えない。
でも、不安があるからこそ、考える。
不安があるからこそ、対話が生まれる。
不安があるからこそ、現場は進化する。
最後に、問いをひとつ置いておきたい。
あなたは今、
「お先真っ暗」という言葉を、
どんな意味で使っていますか。
もしそれが、
立ち止まる理由になっているなら、
少しだけ見方を変えてみてもいい。
真っ暗な場所は、怖い。
でも同時に、
まだ何色にも染まっていない場所でもある。
そこから、何を描くかは、
まだ決まっていない。
それが、
この時代の経営の、いちばん正直な希望なのだと思う。
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