地域によって立地・構造・役割も多様な「チャシ」
さて、関連する城として根室半島の「チャシ」を紹介しておこう。
チャシとは、北海道で500以上確認されている北海道地方の城のことだ。16〜18世紀の築造とされるが、13世紀とされるチャシもある。これまではアイヌの砦(とりで)とされてきたが、本来は祭祀(さいし)の場で、情勢や目的の変化にともない見張り場や軍議の場、軍事的な砦などさまざまな役割を担ったと考えられている。集落や祭祀の場が城館化・城塞(じょうさい)化していった、沖縄のグスクと同じような発展の経緯があるのかもしれない。
釧路地域や根室半島、根室海峡沿岸では多くのチャシが見つかっており、そのうち根室市内で確認された32のうち24のチャシが「根室半島チャシ跡群」として国史跡に指定されている。
この地域に多いのは、和人やロシアとの抗争で築かれたり、改修されたりしたためだろうか。1798(寛政10)年に成立した「夷酋列像(いしゅうれつぞう)附録」には「クナシリ・メナシの戦いの際にクナシリアイヌの首長・ツキノエが国後島でチャシを築いて毒矢や槍(やり)の準備をした」「シャモコタンの首長・ノチクサが五つのチャシを築いて和人との戦いに備えた」と記されている。
チャシは海・川・湖などに面した急峻(きゅうしゅん)な場所にあることが多く、崖や壕(ほり)で郭(区画)を独立させているのが特徴だ。土塁で郭を囲んだものもある。おもに「丘先(きゅうせん)式」「面崖式」「丘頂式」「孤島式」の四つに大別される。
根室半島チャシ群で見学できるチャシは二つ。一つは、ヲンネモトチャシだ。温根元湾の西岸に突き出す岬の上にあり、台地に壕をめぐらせて二つの郭をつくり出した面崖式のチャシで、郭は盛り土がされひときわ高くなっている。
もうひとつは、ノッカマフ1号・2号チャシだ。ノッカマップ湾に突き出す岬の上にある面崖式のチャシで、崖上に半円形の壕がめぐる。1号チャシは幅5メートル×深さ約3メートルの半円形の壕が70メートル×25メートルの範囲で二つ連結し、壕の内側には土塁がある。2号チャシの壕は1号チャシに比べると浅く、幅約3メートル×深さ約0.5メートル。未完成である可能性も高いという。
根室海峡沿岸にも多くのチャシがある。日高や十勝地方のチャシを歩いていると、内陸に多く、河川の中流域で支流の合流点付近に築かれていることに気づく。川筋にコタン(村)を置き、河川を交通路として生活していたのだろう。
これに対して、根室海峡沿岸のチャシは海岸線に沿った河川の河口付近にある印象が強い。海への意識が強く感じられ、河口に湊を置いてコタンを形成し、根室海峡を通じた交通網を擁していたようだ。
国道244号線沿いにある床丹1チャシ(北海道別海町)も、根室湾をのぞむ、ライトコタン川左岸の標高10メートルほどの独立丘上にある。かなり崩落しており単郭のチャシに見えるが、コの字形の壕で区画された北・南郭を置く複郭のチャシであることがわかっている。
タブ山チャシ(北海道標津町)も、野付湾に注ぐ茶志骨(ちゃしこつ)川の河口にあり、野付半島以北の海峡沿岸一帯を一望できる小高い丘の上に築かれている。望ヶ丘チャシ(同町)、タチニウス川北岸チャシ(羅臼町)も同様だ。
タブ山チャシは、丘陵の崖側に「コ」の字形の壕で囲まれた区画が四つ並ぶ。案内板によれば、江戸時代末期から明治初期まで場所請負人のもとでアイヌ語の通訳をしていた加賀家が記した「加賀家文書」(別海町郷土資料館所蔵)に、タブ山チャシを舞台とした物語の絵図が描かれているという。
この描写からも新しい時期まで使われていた可能性があり、その一方でその構造から、増築や改造を繰り返しながら長期間にわたり使われた可能性が推察されている。
チャシは地域により立地も構造も異なるが、同じ根室地域でも根室半島のチャシとは様相が異なることが興味深かった。日高や十勝地方では和人の改修を感じさせるチャシもあり、部族間抗争や和人との抗争などさまざまな理由で存在したらしい。性格も構造も成立も不明なところが多く、チャシの世界は奥深そうだ。
(この項おわり。次回は11月17日に掲載予定です)
#交通・問い合わせ・参考サイト
■根室半島チャシ跡群
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/6677.html
(根室市)