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#0【連載のまえがき】 書くことの喜びは書くこと以外で削られていく

10月末、子供が産まれた。会社員ではないので明確な産休というものは存在せず、初産につきおぼろげな見立てながらも、まあ普通に考えれば予定日の2ヶ月くらい前までにはハードな働き方は納めつつ、予定日の1ヶ月前までからは根をつめすぎないくらいに仕事をして出産を迎えようと思っていたけれど、結局そんな願ったようには仕事がまったく運ばず、入院前日の夜中1時まで仕事をしていた。

名前が決まった赤ちゃんはベッドの脇のネームプレートに名前が入り、多くの新生児は生まれてすぐにそんな状態になる。名前がまだ決まってない場合は、「山田花子ベビー」と母親の名前が代わりに記され、私の赤ちゃんは、産後3日が経っても、その状態だった。(まさか考えてなかったわけじゃないんだけど、漢字を最後まで迷っていて……)

とそんなマイペース妊婦(改め、新米母)が入院中のベッドの上にルーズリーフやファイルを撒き散らし、ノートに色々書いているものだから、「名前、考えてるの?」と検診に来た助産師さんが優しく笑いかけてくれ、話しかけられると予想だにしておらずに不意をつかれた私は、「あっ、仕事を……$#%&」と焦ってもごもご言い、彼女は怪訝な視線を向け、去っていった。まあ、そこから始まる会話は、「そうなんですよ、どっちがいいかな?」的に和気藹々と、検討中の名前を一緒にのぞき込むような場面のはずなのだから、あ、し、仕事が…なんて入院中の産後患者に言われたら、助産師さんも困惑するわ。

新生児(名前未定)を抱きながら私がなんとか完成させようとしていたのは、ある連載原稿だった。12半ばから国内で公開の始まった伊藤詩織監督映画#BlackBoxDiaries についての原稿である。本当は書籍原稿として書いていたのだけれど、そして理想の世界のタイムラインでは私は昨年9月にはそれを書き上げ、10月にはマタニティヨガとか通って出産に備えているはずが、実際のところは予定はずれにずれ、マタニティヨガとやらはついに一度も行くことがないまま入院前夜1時まで書いていたという経緯だった。そして奇しくも入院中に映画の国内公開が始まるという情報が入り、それが、どう考えても今すぐ執筆を再開するしかなくなった理由だった。

その瞬間の私は、書籍原稿の全容を完成させるということよりも、映画の国内公開の初週に合わせてその一部分の切り出したものを先んじてウェブメディアから公開する、それ以上に重要なことはどこにもないと思った。本は買って読まないとそこに書いてある情報は広まらないが、映画が公開されるタイミングで主要メディアからそれを出したら、少なくともそのことについて関心がある層には必ず届くと思ったからだ。「それに関心がある人たちには絶対に読んでもらえる環境」なんて、そうそう作れるものじゃない。だから、ある程度の意味のまとまりに切り出した原稿を仕上げ、それを一緒にやりたいと思ってくれるメディアを探さなくちゃいけない──。そう思って産後間もない時期に爪を剥がすような気持ちで書き続けた原稿がなんとか人様に送れるシロモノになったと思ったのは、11月も末のことだった。

12月中旬の公開に合わせて掲載したいんです、どうでしょう???といきなり連絡をした私に、ある媒体の編集者はぜひうちで掲載させてほしいと言ってくれ、ギリギリのタイムラインでなんとか無事に掲載先を確保できたことに本当に安堵していた。本当に。


……が、結局、その後デスク陣が最後反対したという理由で、その話は最後流れてしまった。通常の連載原稿ならその人の判断だけで通せるが、リスクが高い原稿になると、そういうことがあるのだという。やりたいと言ってくれた編集者からは、「通せずに本当に申し訳ない。どこにもないテーマ設定なのに……」と、とても丁寧に謝られた。

一度は「これで・・・!」と発射台に置けたと思った原稿が、再び宙に浮く。あの絶望と焦燥感はなかなか筆舌に難いが、掲載できなきゃしょうがないから、もっと手離れの良い原稿を出すことを優先させることに頭を一度切り替えることにした。その映画について、言わねばならないと思う観点は豊富にあって、どれだけ外に出せるかの戦いに思えたからだ。12月末には、連載原稿とはまた別の重要な記事を1本出すことができて、安堵した。

そこまでは合っていたと思う。問題は、そこからだ。年末年始は、連載原稿をどう削れるか考え続け、出しやすそうな原稿と出しづらい原稿の間で、どちらを仕上げることを優先させるべきか悩み、私は「確実に世の中に出るものからやる」ことが大事と思い、出しやすそうな原稿を優先させた。そのことについては、間違っていたのかもしれない。あの時、もうメディアから出さなくてもいいと思って、noteから出していたら。

出しやすい記事と、出しづらい記事の間で

掲載させやすい、づらい、とはいろんな観点があるが、一つはサイズ感だ。ウェブメディアというのは、旬のテーマに対してサッと読めるいい記事が欲しい。だから、どういう程度の論証・情報がそのなかにあるか。言い換えれば、3000~5000字程度で言える話ですか、どうですか、という事(ウェブ媒体の中には1万字までを許容感とする媒体もあるが、それはとても稀)。

不幸にも、私が一番出したい連載原稿は、一本一本が、そのサイズには収まらないものだった。

12月には、映画に関して2本の記事を出した。いずれも5000字前後で、まさにウェブメディアから「出しやすい」記事。問題なのは、どうしたって「その後」だった。そう、一番出したい連載原稿の取り扱い。

「何を言っても炎上する」地平線を眺めながら

1月に入り、その映画関連の発信や記事がいかにXで火だるまになるかは、目を見張るものがあった。トレンドにはどこの監督がなんて批判してどうだとかGrokはせっせとニュースを生成し、連日のように映画や監督名関連のどうのこうのを目にした。しまいにゃ批判してる人の分析記事?だとか、批判している人の人間関係相関図(?)だとかをXで目にし、擁護派と批判派の応酬はエコーチェンバー化したSNSは地獄絵図にしか見えず、私は書く自分を保つために一時期Xにカギをかけた。


記事を出すことが怖くなったんじゃない。むしろ、一人、またひとりと、発言をやめていく人が増えて見えるXの中で、最後の一人になっても私は書くからな、と思う気持ちを強めていった。ただ、そういう激化した応酬の光景を見て、中途半端に、また断片的に出すことを拒否する気持ちは、むしろ濃くなっていった。中途半端に変なことを言ったら、飛んで火に入る夏の虫でしかない。この連載原稿を全部出したい、だが、丸ごと出せるところが見つからない。

最初の媒体がダメになった後、字数を現状の6割くらいに圧縮できるなら、と言ってくれた媒体があった。普通の記事だったら迷わずそういうふうに仕立て直す、書き直す最大限の努力を迷わずする。でも、その原稿に関してはどうしてもそれが難しかった。

いや、こんなにもセンシティブなテーマじゃなかったら、6割にするくらい、なんでもないはずだけど。
「ダメだ、これを削ったら根拠が弱くなる」
「こっちを削ったら言ってることが飛躍しすぎて見えるんだよな……」
「この会話を要約にすると、事実のインパクトが希釈されて見える……」。

ワードカウントを見つめながら、年末年始は、削っては戻しを延々繰り返した。

そのファクトを「公然の事実化」させるにはメディアが必要

ところで、私がそれをどうしてもメディアから出すことにこだわったのには、理由がある。

その連載原稿で最も重要なのは、私の「思考」ではなく、そこに編み込まれている「情報」であると思っていたからだ。映画評の形で私が記事の中で使う情報が、世の中で「事実として流れていくこと」に最上位の意味を見ていたから。それを玉石混交なネットにあるもの以上にするには、その記事をメディアから出すしかない。そこに載ってこそ、その情報をファクト認定させられ、1億人へ続くYahooポータルに転載されるという情報大河への道が開けると思うと、そのすり合わせポイントを必死に探すしかない。簡単にnoteで!とは、思えなかった。

物語の解体には、ある程度のかさが必要

“Demystify”── 私が連載でやろうとしたことを一言で言うなら、その言葉が合っていると思う。物語の解体。でも、5年、7年かけて浸透してきた社会が共有する物語を、3000字でほどけるか。私は無理だと思う。

ちなみに、あらゆることは「結果から端的に言うのがいい」なんて、私は大嘘だと思っている。「結果から言って、ハレーションなく人が受け入れられること」なんて、世の中にすでにある概念、聞き慣れた考えだから結果だけを1行で言って人が理解できるのだ。何も塗り替えないから。

でも、それまで信じてきたことが違って見えるような景色を相手に見てほしいと思ったら、人はそれを、それなりに自分の力で見にいくコミットをした先にしかその「視界」を受け入れたりしない。そのbefore/afterに跳躍があるものほど、人は「少しずつ認知の変容を促していった先に広がる地平」であって、最初からそんな地平のコンパクトサマリを見せたって、「何これ、オモチャ?」としか、思われない。だけど、「読者に一緒にたどり着いてもらう努力を求める文章」こそが、ウェブメディアには一番不要なものなのだ。もっと、わかりやすく、3000字で書いて。

殺害予告が来るかもしれませんよ

ところで、最初に相談した媒体の編集者は、「映画の公開が始まって1週間くらいしてこれを出したら、爆発すると思う。100万PV行くくらいの記事。でもこれ、全部出したら、殺害予告が来るかもしれないですよ」と言った。は?冗談でしょ?と少し笑った私に、その人は真顔で、「本当ですよ。この話はそれくらいセンシティブなものだし、これはそれくらいの原稿」と言った。私は今でもそれは未来で笑い話にできる話だと思っているし、今でも、それは半分ネタの話だと思っていて、それくらいメディアが過剰反応をするという証左として受け取っているけれど、映画公開前にしたその会話は、公開後のSNSがどんな様相を呈しているかを見るにつけ、その人の「そういう可能性だって頭に入れとくべきである」という言葉を反芻させるものでもあった。

映画公開前は、もしどうしても出せるところが見つからないなら最悪noteで出せばいい、と、思っていた。でも映画が実際に公開された後の光景は、改めて、世の中に対してそのトピックの喚起する力の大きさを目の当たりにするもので、その光景に対してこの抱えてる原稿が世の中に投げかける(と自分は信じている)問いの鋭利さ重さと、それを超ウルトラセンシティブなトピックであると思わせる光景の全部が、それを「えいっと手放す」ことと正反対の方向の圧力となって私にのしかかった。

結果、私は一番その原稿が読まれるであろう時に、それを出す決心ができなかった。noteで出す決意も、自分が書きたい形の半分にして、メディアから出す決意も。

12月、1月と連日戦争みたいな光景が広がっているSNS上で、その喧騒は映画が上映している限り、終わらないように思えた。だからこそ、覚悟が決められなかった。でも、終わりは来た。


選挙は確実にその予兆だった。選挙とオリンピック。

まあ、選挙の情報威力が97、オリンピックが3くらいのものに思うが、それらの台風が通り、静かなる収束を私は見届けた気がしている。

「今出したら、この映画に関心を持っている人には絶対に読んでもらえる」と思えた瞬間は、終わった。



この3ヶ月、本当にすり減った。


書くこと以外のこと、ことで。



どこから出すとか、どう出すとか、そんな調整にすり減ってバカみたい。

書いたことを伝えたい。読まれてほしい。ただ、それだけなのに。


でも、私の怖さも、私のこだわりも、あって当たり前のものだったと思うから。原稿を握りしめながら過去数ヶ月世の中を眺めながらこういう風にしかその時間を生きてこられなかったことを仕方なかったと思う気持ちで、でも本当にバカだな、とも思う。


自分を信じて出せばよかったのだ。無印で、「どこ」に載っていなくても、その「時」に出ることの方が重要な場合だって、ある。

「このタイミングで出せば、絶対に読まれる」という瞬間は過ぎ去った。でも、そういう地殻変動なんて起こせなくても、何十万人に届く媒体の上からその原稿が流れていかなくても。この意見を書いた先につながれる何かの感情、その一つの手、それを信じて出せばいい。

今はそう思うから、私はその連載原稿を自分のnoteから出すことにした。


まあ、それにメディア論戦は完全に終わった感があっても、不思議とその映画は、今も上映中なのだから。今言わないで、いつ言う?


と、これはまあ、その連載原稿にまつわる四苦八苦との歴史が産んだ、連載第0回みたいなまえがき、みたいなもの。


おっと、そして最後に、資料の重要性を理解し、メディアとしてその事実性を担保してくれるパートナーメディアをついに見つけられたことも添えておきたい。そんなこんなで、ファクト認定をされることに最も意味があると思う回はなんとか新書メディアから出しつつ、その前後は、表現の純度を譲らずにいられる場所を選び、noteから出すことにした。

と、これが連載の告知です。以上。


連載「映画BlackBoxDiariesとはなんだったのか」

第1回:note
第2回:集英社新書プラス
第3回:集英社新書プラス
第4~8回:note

という予定。


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にのみやさをりといいます。突然失礼します。 妊娠出産という大仕事をなさった後にこんな大変な状況になられていたのですね。本当に本当に、お疲れ様です。 私は30の時に最初の子を、そして43のときに二人目を産んだんですが、産後の無理がたたってとんでもない目に遭いました。どうぞ、あまりご…

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