「すごかったです。言葉が出ないというか…」“史上最年少三冠王”村上宗隆が初めて感じた「大谷翔平、打撃練習の衝撃」<WBC侍ジャパン秘話>
'22年、NPB史上最年少で三冠王を獲得した男は安住を捨て、メジャー挑戦という荒野へ踏み出した。これまでも周囲の評価を自らのバットで覆してきた、そんな反骨の野球人生を振り返る。 発売中のNumber1139号に掲載の[三冠王の覚悟]村上宗隆「逆風に立ち向かえ」より内容を一部抜粋してお届けします。 【写真】「すごかったです」村上宗隆が衝撃を受けた大谷翔平の打撃練習&仲良さそう…じーっと村上を見つめる大谷&ベンチで村上を“特別指導”する姿まですべて見る
高校時代は日本代表にも選ばれず
村上宗隆は反骨の人でもある。 高校時代は1年生の夏に、一度だけ甲子園出場するもノーヒット。3年の夏は熊本県外出身者が多数を占める秀岳館に決勝で敗れた。全国で実力を示す機会がなかったこともあり、日本代表にも選ばれなかった。甲子園で活躍した同期生、清宮幸太郎(日本ハム)、安田尚憲(ロッテ)、中村奨成(広島)らの評価が高く、ドラフトでは清宮の外れ1位でヤクルトへの入団が決まる。 「日本代表は憧れでしたけど選ばれませんでした。でも、その経験はモチベーションにつながりましたから」
4番にふさわしい人材
2018年、ヤクルトに入団すると、村上のポテンシャルを活かすべく英才教育が始まった。当時、二軍監督を務めていた高津臣吾は「絶対に4番」と決めた。 「4番は育てようと思って育てられるもんじゃないです。ムネは4番にふさわしい人材でしたから、二軍戦ではどんなことがあろうと4番に固定。そして9月に一軍を経験することで、翌年につながるという算段でした」 9月16日の広島戦で一軍デビューすると、岡田明丈から初打席初本塁打を放ち、「未来の4番」のイメージはここで固まった。 村上にメジャーリーグへの扉を開いたのは、先輩の青木宣親だったかもしれない。アメリカで6年間プレーした青木が行うロサンゼルスでの自主トレに1年目のオフから参加した。青木のひと言、ひと言はアメリカの野球とつながっていた。 「体の柔軟性が基本だから」 「日本は下からフィードされるティーバッティングが多すぎるから、みんな、ダウンスイングになっちゃう。だから、シンカー系の球打てないでしょ?」 2年目の'19年から一軍に定着すると、'21年には39本塁打で初の打撃タイトルを獲得した。'22年には史上最年少で三冠王を獲得するが、「あの夏の村上」のことは忘れられない。 7月31日、広い甲子園球場で3打席連続アーチをかけると、8月2日に神宮の中日戦で初回に本塁打。そして3回にも打球をスタンドへと運び、なんと5打席連続本塁打。移動日を挟んでの快挙は、まさに「村神様」というニックネームがふさわしく、この夏の神宮では誰もが村上の打席を食い入るように見ていたことが思い出される。 外れ1位から5シーズン目、村上は日本球界最高の打者へと成長していた。
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