『マリオのスーパーピクロス』もそうですけど +α
オモコロで記事が出ました。
出ましたね。いやいや。出たなあ。
サムネ凄すぎる。どうやって作ったんだ(作ったのは私ではない)。
一度パズルを解いてしまい、あまつさえ記事にまでしてしまったので、もうこの画像を見ても流石に全部わかってしまいます。
このボタンはここで、あのボタンはあそこで。
全部わかる。現場でも穴が空くほど見続けて、帰って記事にしてる時は本当にもう夢に出てくるくらいずっっっっとこのリモコンを見続けていたんですから。そりゃ全部わかる。
そのため、当時の瑞々しい「なんだこのリモコンはよォーーーッッ!!」的感覚は、もう永遠に失われてしまっている。
世界からパズルを一つ切り出すということは、世界から「パズルになり得たもの」が一つ消えるということなんだなあ。
少しずつ世界から原石が失われていく。では果たして、こうして原石を掘り尽くしてまで、リモコンをパズルにすることにはどんな意義があったのだろうか(当然、ない)。
ただ、『マリオのスーパーピクロス』もそうですけど、十分に時間を空けたらパズルはまた「パズル」として現前してくれるので、いつの日かまたこのリモコンが「謎」として再び現れてくれるだろうと思います。
しかし、『マリオのスーパーピクロス』もそうですけど、昔やったことのあるパズルって、どんなに記憶から失われたように思えても、やっていくうちに不思議と身体が「2回目」の動きをし始めるんですよね。
憶えていないのに、なぜか「ここの2 2 1 1は等間隔だと仮定して掘り進めたらうまくいきそうな"気がする"」という、直感という皮を被った眠れる記憶として勝手にせり出てきてしまうんだ。
そんな記憶要らないのに。なんで、どうして。
こうして、パズルを忘れた気持ちになって、またやってみて、なんだかんだ身体が憶えてしまっていて、失望して、それに気づかないフリをして、かりそめの達成感に酔いしれ、眠って、起きて、また眠って、思い出して忘れて思い出して忘れて、そして死んでいくんですね。
誰が?私が?
いいえ、パズルが、です。
とはいえパズルなり何なりはまたやりたいので、記事の末尾に書いたように「実家の電子レンジに書いてあるメニューを全部思い出す」とかも、やるかもしれない。1回だけ実家にテレフォンして良い。
今度はきちんとバーグの会議室に閉じ込めていただいて、全部ちゃんと一言一句当てるまで出れない、みたいな感じでやりたいなあ。なんで?
オモコロブロス!で記事も書きました。
男塾って『魁!!男塾』→『暁!!男塾』→『極!!男塾』→『真!!男塾』と、頭の一文字だけ挿げ替えて続編が連なっているので、Wikipediaを流し読みしてるとパッと見の区別がつかなくて混乱します。「えっ!?○○って『魁!!』で死んでたっけ?→なんだ、『極!!』か…」みたいな。
鎌倉時代→謙倉時代→膁倉時代、みたいな。こんなに極端じゃないけど、でもこんな感じなんだ。わかってほしい。
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お題箱に答えます。
お願いします!!!
https://store.steampowered.com/app/293900/Pivvot/?l=japanese
配信終了したPIVVOTがなんとSteam版で復活してました
マジ!???
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