第5回正義を決してあきらめない ウクライナ侵攻の現場から考える国際秩序
【連載】ウクライナ 失われた正義
5年目に入ったウクライナ侵攻。ロシアによる侵攻前から長年にわたって取材を続けてきた記者が再びウクライナへ。多くの命が奪われた社会で暮らす人々の言葉から「正義」とは何か考えます。連載の最終回です。
国際社会における正義とは何だろうか。それは生まれた国に関わりなく人権が保障され、平和に暮らす権利がまもられることだろう。しかし、私がこれまでウクライナで目の当たりにしてきたのは、侵略戦争は許されないという原則さえ維持できない世界の現状だ。正義は現実の前に妥協すべきなのか。取材を振り返って考えた。
ロシアの「人間狩り」 止まらない住民の犠牲
ロシア軍にとって、これは何の意味があるのだろう。
そう思ったのは、この連載の初回で取り上げた、ウクライナ南部ヘルソンの小児病院で、10歳の子供の体から手術で取り出されたという爆発物の破片を見せられたときだ。私の手のひらの4分の1ほどの大きさだった。
この病院では過去3年にロシア軍の砲撃やドローン攻撃の被害に遭った子供300人が手当てを受けた。手足の切断を強いられた子も少なくない。
子供だけではない。私がヘルソンを訪れた日も、その未明までの24時間に州内で大人4人が犠牲になった。「人間狩り」と呼ばれる、住民を狙った小型ドローンによる攻撃の犠牲者も含まれる。
民間人攻撃の目的は、世論に厭戦(えんせん)気分を広げ、ウクライナ政府に自国の要求をのむよう圧力をかけることなのか。
出口のみえないウクライナ侵攻は我々に何を突きつけているのか。記事後半には、動画によるリポートもあります。
しかし、私が取材した過去4年、ウクライナの人々は逆にロシアへの反発を強めてきた。今年1~2月、ロシア軍の攻撃で各地に停電が広がり、気温が零下20度を下回る中で暖房が途絶えた。それでも3月の世論調査で、「いつまで戦争に耐えられるか」の質問に54%が「必要なだけ」との回答を選んでいる。
ウクライナの人々のロシアに対する感情は今後何世代にもわたって修復不可能なほど悪化した。それまで主にロシア語が話されていた東・中部の人々は、話す言葉をウクライナ語に切り替えた。多くがバイリンガルとはいえ、家族どうしでさえ使う言語を変える重みは私の想像を超えた。
ないがしろにされている正義
ただ、ウクライナの人々が「屈したくない」と考えるのは単にロシアへの反感だけが理由ではない。そこには、本来は認められなければならない「正義」がこの戦争ではないがしろにされている、との思いがあるからだ。侵略戦争に反対する国際社会の結束に期待したウクライナの人々にとって、この4年は失望の年月だった。
2022年2月24日、私はキーウにいて首都から必死で脱出しようとする人々を取材した。国連安保理常任理事国が侵略戦争を始めたことに衝撃を受けたのは多くの人と同じだ。だが、一方で「各国は今度こそ、あらゆる手段を使ってロシアを罰するだろう。世界の転換点になる」とも考えた。
14年にロシアがウクライナ南部クリミア半島を併合したとき、欧米はロシアに制裁を科したが、米国は次第に問題と距離を置き、エネルギーをロシアに頼る欧州の結束はゆるんだ。北方領土問題決着の好機とみた日本の安倍政権は制裁を形だけにして、逆にプーチン政権に急接近した。
その結果起きたのが全面侵攻だ。今度こそ、侵略は許されないという一点で国際社会が一致する、と私は予想した。しかし、それは甘かった。
ルールに基づく国際秩序 重大な危機に
たしかに欧米はロシアにそれまでよりはるかに厳しい制裁を科したが、戦争の拡大を恐れ、ウクライナに決定的な軍事支援はできなかった。
欧米主導の世界に不満を募らせていた新興・途上国は必ずしもロシア批判にくみしなかった。欧米も、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃で民間人の犠牲をいとわないイスラエルを支持し、ロシア批判との二重基準に陥った。
今年に入って、米国はベネズエラ、イラン攻撃に踏み切った。この攻撃は国際法を無視した点ではロシアのウクライナ侵攻と同じだ。
「ルールに基づく国際秩序」は今、22年2月以上に重大な危機に直面している。
ロシアや米国がルールを無視できるのは、国際法の根幹である国連憲章が「大小主権の平等」を掲げる一方、五大国に安保理での拒否権を与え、事実上行動の自由を許しているからだ。国際法もすべてが理想的にできているわけではない。
それでも「ルールに基づく国際秩序」が望まれるのは、二つの大戦を経て形作られた今の国際法が、その根幹に人権、人道主義、法の支配といった「正義」の理念を持つと考えられているからだろう。
私は冷戦末期に記者としてのスタートを切った。人権は属する国の違いに関わりなく尊重され、戦時でも民間人は保護されるといった、当時再確認されたモラルスタンダード(倫理基準)は時代が変わっても否定されてはならない、と考える。
国際政治のはざまに陥ったウクライナ
ウクライナはこの4年、国際政治のはざまに陥った。
ロシアとの取引を急ぐトランプ米政権は、侵略される側のウクライナにロシアへの領土譲歩を求める。ウクライナは米国の支援なしにはロシアの攻撃に抵抗できないのが現実だ。
「これ以上の犠牲を防ぐため譲歩してでも和平に合意するのか、あくまで『正義』に基づく平和を求めるのか」。今回のウクライナ滞在中、私は会う人ごとにこんな質問をぶつけ続けた。
「そんな選択肢はない」と言い切ったのは、政治評論家のボロディミール・フェセンコ氏だ。「ウクライナはトランプ氏からの受け入れ難い要求にすぐには『ノー』と言わないが、交渉の中で彼の考えを変えようとしている」という。
なるほど、ウクライナはこの1年、資源開発の権利などで米国に妥協はしたものの、法的にロシアの侵略行為を認めるような譲歩は拒んでいる。
大規模な汚職事件が起き、ゼレンスキー大統領も国内で無条件に支持されているわけではない。それでも世論調査で6割が「信頼する」と答えるのは、国際政治の現実の中で同氏がみせる、したたかともいえる外交手腕を多くの人が評価するからだろう。
「法の支配」 模索断念は犠牲者への裏切り
高市早苗首相は日米首脳会談で「世界中に平和と繁栄をもたらせる」とトランプ氏を持ち上げた。安全保障、経済で米国を頼るウクライナも日本も、トランプ氏を正面から非難できない。特に戦時下のウクライナは米国の支援を失えば、国民の命に直結する。
一方、ウクライナも日本も、ルールに基づく国際秩序がなければ米国やロシアの慈悲にすがるしかない。正義やモラルを基礎とする「法の支配」をどうやって実現するのか。その模索を断念することは、戦争で命を奪われた人々への裏切りだ。
【略歴】朝日新聞記者 喜田尚
1985年朝日新聞社入社。ローマ、ウィーン、モスクワ支局長などを歴任。91年の湾岸戦争やソ連崩壊、2001年に起きた米同時多発テロ後のアフガニスタン空爆、15年の欧州難民危機などを現場で取材した。22年5月より国際報道部記者。今年5月に65歳で定年退職を迎える。
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