文化の価値は継続にこそ 室内オケ補助金廃止方針、鈴木秀美さん語る
小編成ゆえの機動性で独自の活動を展開する室内オーケストラ、神戸市室内管弦楽団(神戸室内)への補助金を市が2027年度で打ち切る方針を決め、解散が検討されていることが波紋を広げている。21年から神戸室内の音楽監督を務める、指揮者でチェリストの鈴木秀美さんに今の思いを聞いた。
――補助金打ち切りの話を聞いたのはいつか。
2月初旬。(神戸市民文化振興)財団の理事長と東京で面会した。財団そのものの存続が危ない、解散はやむを得ないという話だった。
――補助金打ち切りの報道が出て以降、周囲からの反応は。
全国の方々が、SNSなどで神戸市の対応に疑問を投げかけてくれている。文化とは何か、という議論も深まっている。とても心強く思っている。
――鈴木監督はこの5年、神戸室内という楽団を、どのようなビジョンをもって育ててきたのか。
編成が小さいことを利点とし、古典派前後の楽曲を主なレパートリーに、ここでしか聴けないプログラムを積極的に提案してきた。お客様の驚きと感動を約束する演奏を、毎回提供してきたつもりだ。ホルン、トランペット、ティンパニを当時の楽器(古楽器)に変え、他の楽団にはない音色の多様さ、面白さも楽しんでいただいている。
しかし、それ以上に重視してきたのがこの楽団を「組織」として成熟させること。事務局、楽員、指揮者、音楽監督、そして聴衆、これらの豊かな循環と信頼関係なくして良い楽団は育たない。
それまでは市からの出向者が少人数で事務をやっているという特殊な状況だったため、まず事務局に音楽的素養とホール、楽団運営の経験のある人材を登用した。そうして事務局の体制が徐々に整い、楽員たちと事務局の信頼関係が築かれていくにつれ、みんな音楽に集中できるようになった。
市からの予算が毎年減らされ、給料が3分の1くらいになっても、私たちは神戸市の文化度の向上、そして何より公演に足を運んでくださるお客様に、常に最上の幸福を味わっていただくことを志してきた。
神戸から日本、そして世界へと響くクオリティーの音楽を届けている。私たちはそんな誇りを持っている。学校や施設などでクラシックの粋に触れてもらうアウトリーチ活動も増やしている。
――ホールと楽団の成熟には、どのような関係があるのか。
ホールは楽器と同じ。どういう音楽を、音をしみこませていくのかが、ホールと楽団、双方の成熟にとってとても大切。常駐する楽団があってこそ、ホールはその街の人たちにとって身近な存在となる。ハードとソフトを切り離して考えることは、結局いずれを育てることにもならない。
私自身、いつも公演が終わったら燕尾(えんび)服のまますぐロビーに出て、お客様とお話をするようにしている。顔なじみになり、率直な感想が聞けるし、これからの課題も見えてくる。本当はそのまま一緒にワインでも飲みながらお客様と交流を深め、より根強いファンを増やしていきたい。そういう試みも、できれば新しいホールでやってみたいと思っていた。
――就任後、神戸文化ホールの中ホール(904席)から大ホール(2043席)へと拠点を移したため、空席が目立つとの指摘がある。大ホールを使うことを決めた理由は。
中ホールの響きが、あまりにも砂漠のようだったから。オーケストラの固有の音は、拠点となるホールの残響と一体となって形作られ、成熟する。集客的に厳しいことは承知しつつ、レベルアップを最優先課題と考え、より残響のある大ホールを使う決断をした。その成果は、私自身も実感している。神戸でしか聴けない響きがあると、東京や九州から駆けつけてくれる聴衆が増えた。専門家の方々からも励みになる賞をいただいた。
――神戸市は、新ホールに外部オーケストラの招聘(しょうへい)も検討していると聞く。
コンサートホールは街の顔。そのオープニングは、自分たちのオーケストラが責任を持って担うというのが世界のスタンダードであり、もっとも自然なことではないか。三宮という、まさに神戸の文化の中心にせっかく良いホールができるのに、年がら年中いろんなオーケストラを取っかえ引っかえ呼んでくるというのでは、私たちには「顔」がないと宣言するようなものではないか。
自分たちの団体で採算がとれなければ存在する意味はない、という今の日本全体を覆う文化行政の風潮に、私は少なからず危機感を覚えている。芸術が育つには、どうしても時間も経費もかかる。器だけつくり、外から集客の見込める華やかなものを呼んでくればいいという発想は、そもそも文化的と呼べるのか。
世界に冠たるベルリン・フィルやウィーン・フィルにも、戦争や財政難のなかで市民に守られ、継続してきたからこその今がある。1回でも営みをやめてしまったら、すべてがゼロに帰する。文化とは、継続することの価値をみんなで分かち合うものだと私は考える。
神戸室内はベルリン・フィルのフルート奏者のエマニュエル・パユやクラリネット奏者のアンドレアス・オッテンザマー(25年に退団)ら、首席クラスの名手たちと共演を重ねてきた。5月にはウィーン・フィルのチェリスト、タマーシュ・ヴァルガも来てくれることになっている。神戸に特色のあるオケがあるということは、すでに外国にも広く認知されている。
――神戸市は、楽団をなくしても文化そのものをなくすわけではない、市民参加型のアマチュアの活動への支援は続ける、などと説明している。
プロの仕事を、アマチュアの活動と同じ土俵で語ることがそもそも間違っている。草野球があれば、プロ野球はいらないのか。文学が好きなら自分で書けばいい、大江健三郎も川端康成も要らないということなのか。
音楽に限らず、芸術を通じ、人々に人生の意味を感じていただくという大切な営みへの責任を、芸術家はみな人生を懸けて背負っている。そうした精神のプロセスが顧みられない場所に、文化は本当に育つのか。科学の現場で基礎研究に十分な資金が投入されないという問題と、根は同じ話ではないか。
良い聴衆を増やすことは一朝一夕にかなえられるものではなく、市の施策である教育との両輪で果たされるべきもの。公の自治体こそ、「数値」より「価値」という目に見えない指標を大切にするべきではないか。よく売れるライトノベルがあるから、もう漱石や鷗外は要らないということではないはずだ。
芸術は娯楽とは異なる。ひとつの交響曲を聴き通すには、それなりの忍耐が求められる。そういう力を育てることが、人間としての豊かな力を育てることだと私は信じている。芸術は娯楽や癒やしである以上に、人間性を鍛えるものであることをご理解いただきたい。
私は神戸に生まれ育った。子供の頃、良い音楽をききたければ大阪とか京都に行くしかなかった。なので、「一流の演奏を、神戸にいながらにして聴けてありがたい」という声をいただくのは、私自身もとてもうれしい。世界のどこに出しても恥ずかしくないクオリティーの音楽を、できるならばこれからも届け続けたい。
――いまの率直な思いを。
私たちは、新しいホールと一緒に、神戸市の文化の未来をこれからも築いていくのだと信じて疑わず、最上の音楽をつくる努力を重ねてきた。なので、当初の計画案にあったはずの神戸室内の名がいつのまにか消えてなくなっていたことに愕然(がくぜん)としている。
このオーケストラを神戸市に設置したのは神戸市であり、民間の楽団とは成り立ちが違う。今後の経営の在り方や補助金打ち切りの是非を論ずる以前に、私たちにも市民にもまず、そのような判断に至った経緯を誠実に説明する責任が、市にはあるのではないか。
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