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凪の青、蒼天の緋(上)/Novel by gyoree

凪の青、蒼天の緋(上)

8,964 character(s)17 mins

槍弓で十二国記パロです。
最終的には王様槍×麒麟弓になります。

現段階ではまだ槍弓要素はありません。
ストーリーの大体のあらすじは風の海〜、をざっくりなぞっている感じです。ぼちぼち続けますのでお付き合いいただければ幸い。

十二国記原作の続編発売もうすぐですね。とても楽しみで仕方ありません!

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 いちにのさん。
 少年たちは手をとりあって青空に飛んだ。
 ジャングルジムのてっぺんから、どこまでも高い空に伸びあがる。日は明るくて、半袖のシャツから伸びたほそい腕には汗が浮かんでいた。
 エミヤは直前までとても怯えていた。バランスの悪い細い鉄の棒がグラグラと揺れて、きっとひどい怪我をすると思っていた。けれど、彼は、クーは、エミヤの恐怖心を笑い飛ばして、強く手を握り締めたのだ。
 青空は美しかった。まるで時間が止まったように感じた。なまぬるい風が頬を撫でる感触が、どういうわけか心地よかった。
 二人は高く盛られた砂場の山に飛び込んで、まき上がった砂塵に咳き込んだ。そして顔を見合わせると腹を抱えてゲラゲラと笑った。
「すごいね、おれたち空を飛んだよ」
「だから言ったろ、平気だって」
クーは笑いながら、落ちた衝撃で放したエミヤの手をもういちど握り直した。
「つぎはもっと高く飛べるかな」
「飛べるさ、もういっかい一緒にやろうぜ」
「大きくなったらもっと長く飛べるかな」
「そうだな、きっと世界のはしっこまでいける」
 クーはエミヤの手を引いて立ち上がると、塗装のはげたジャングルジムに、一目散に向かった。
「ーーなあ、えみや」
 鉄の棒に片足をかけて振り返る。
「大きくなったら、ふたりで世界中を飛んでまわろう」
 クーの笑顔に反射した日差しがまぶしくて、エミヤの胸はぎゅうと痛んだ。


 けたたましい音がなる。目覚ましの音だ。
 石のようにかたい布団から、エミヤはのっそりと起き上がった。寝ぼけた眼で辺りを見まわす。日焼けで変色した畳と、ところどころシミのできた壁紙。格安の六畳一間は間違いなく、エミヤがひとりで暮らす家だ。
 懐かしい夢を見た。いや、この夢をもう何度も見ているので、懐かしいというには語弊がある。
 人生で最も輝かしかった日。
 想い出のなか、艶やかな黒髪をひとつにくくった少年は、白い歯をみせて屈託なく笑う。穂蘭空ほのらくう、それが彼の名前だ。その名の通り、青い空のような少年だった。エミヤは彼をクーと呼んでいた。家が近くで、小さなころからずっと一緒だった。どこに行くにも二人でいて、なにをするにも二人同時にした。
 大人になったら一緒に空を飛ぼうと、そう約束した。けれど、クーは大人にはなれなかった。
 最後に見たクーは、膨らませた浮き輪を持ってふてくされていた。一緒に海に行く約束をしたのに、エミヤが風邪をひいたからだった。次は絶対一緒に行こうと約束して、彼は海へ出かけ、突然の嵐にあい、家族共々波にさらわれ還らぬ人となった。クーの両親は数日後、隣の県で遺体となって見つかったが、クーの遺体だけは未だに見つかっていない。
 もしかしたら。期待する自分と、希望を抱くな、とたしなめる自分がいる。
 大人になったエミヤは理解している。奇跡なんてものは起こらないし、大人になったって空は飛べない。
ーー人間は空を飛べないんだよ、クー。
 自分たちのしていたことは、ただ重力に従って落ちていただけ。夢も希望もない現実に気がついたのは、彼を失ったから。
 重い足をひきずって、エミヤは洗面所の鏡を見る。ひどい顔だ。老人のような顔の男がそこにいる。色の黒い肌に、パサついた白い髪。医者が言うには、事故のショックだということだ。
 あれはクーたち家族を失ってすぐのことだった。悪いことは連鎖するとでも言うように、エミヤたち家族の乗った車が事故にあった。エミヤの両親は即死だった。後部座席にいたエミヤだけはなぜか無傷で、けれど、事故からしばらくして、髪や肌の色が見る間に変化していった。
 原因がわからないから医者は事故のショックとして片付けたかったのだろう。容姿の変化したエミヤを親戚は気味悪がった。両親の遺産で借りた安アパートに、最低限の生活費だけを与えられて放り込まれたのがその証拠。
 その時エミヤはまだ小学生だったが、そんなことはおかまいなしだった。幸い家事が得意だったので、今日までなんとか生きてこれたが。
 思い返しても、ろくな人生ではない。
 見た目のせいで中高ではイジメにあい、卒業してからもろくな就職にはつけない。おまけに最近は体調がすこぶる悪い。
 だからだろうか、鏡で自分の顔を見ていると、何もかもが嫌になった。
 まるでエミヤの気持ちを表すように、水滴が窓を叩きはじめた。雨が降って来たようだ。ゴロゴロと雷がなって、出勤前の憂うつな気持ちに追い打ちをかける。
 カランをひねって水を出す。浮かない顔を叩くつもりで洗った。外出するために必要な程度に身なりを整える。着古した無地のシャツに、同じく、生地ののびたズボンを履いた。身の回りにあるものは、なにもかもボロい。親戚からの仕送りは高校を卒業と共に切られた。両親の遺産はどうなったのだろう。考えたが、エミヤにそれを訴えるだけの力はなかった。
 今朝の仕事はコンビニのバイトだ。夕方から、夜間工事のガードマンも予定していたが、雨が夜まで続けば中止かもしれない。
 やすっぽいビニール傘ではしのげない雨脚に、肩のあたりがぐっしょりと濡れる。踏んだ水溜りが思いのほか深くて、靴底の薄くなったスニーカーに染み込んだ水が、靴下までビショビショにした。
ーーもういやだ。
 こんなにも強く思ったのは初めてだ。
 今までずっと我慢してこれたのに、どうしてだろう。傘を持つのも嫌になって、エミヤは手ぶらになって雨の中を駆け出した。
ーーもういやだ、もういやだ。
 なにがどうとは説明できない。ただわけもわからない感情に突き動かされて、やみくもに脚を動かす。波の音が近づく。エミヤは港に向かっていたようだ。雨はどんどん強くなる。空を見ると雲が渦を巻いて、まるでそこにはぽっかりと大きな穴が空いているようだった。
 顔中を伝う水が、雨なのか、自分の涙なのか判別のしようがない。
 エミヤは、ひとり防波堤に立った。一番端のぎりぎりのところにたって、荒れ狂う波をにらみつける。この波がクーをさらった。そこに飛び込めば、もう一度彼に会える気がした。この世界はひどく息苦しい。呼吸をするだけで肺が焼けたように痛む。
 怖くはなかった。未練もなかった。
 夏のあの日、ジャングルジムから飛び降りた時のように、エミヤは思い切ってジャンプした。
 波はすぐにエミヤを飲み込んだ。揉みくちゃにされて、自分の身体がどこにあるのか分からなくなる。このままバラバラになって水に溶けていくのだろうか。そんな風に思ってしまう自分は、まだ夢見がちな子供のまま成長していないのだ。
 身体だけが大きくなって、心はあの夏の公園に取り残されている。
 目を開けると塩水が沁みる。水面にわずかに見える光が、あの日みた彼の笑顔のように眩しい。
ーー塙麒こうき
 声が聞こえた。よくは聞き取れなかったが、なにやら必死そうだ。
 深海に沈んでいくエミヤの身体を抱きしめる腕。長い髪と白い肌。一瞬、ほんうとうにクーが来たのかと思ったのだ。けれど違った。女性だった。ただ、腰から下の身体は人間のものとは違って見えて、人魚か、それともセイレーンだろうか。
 どちらだってよかった。どちらにしろクーではない。そのことにひどく落胆して、目を閉じる。そこから先の記憶はない。
 ただ重力に従って、どこまでも、どこまでも沈んでいった。


2

 娃莉アイリ蓬山ほうざんで生まれた女怪にょかいだ。鹿の身体と蛇の尾、鳥の爪を持つ。
 女怪は、麒麟の卵果が生った同じ日に捨身木の根に生り、麒麟の世話をし、麒麟のために存在する。いわば麒麟の乳母である。
 娃莉の麒麟は『塙麒』という。十二国あるうちの『巧州国こうしゅうこく』に仕える麒麟のことだ、先代の王の悪政により、麒麟が失道し、塙麒と娃莉の卵果が、蓬山の捨身木に生った。
 塙麒は、麒麟の中でも特別だった。まだ卵果であったが、娃莉には分かっていた。
 塙麒は赤麒麟だ。
 麒麟の毛色は金だが、赤麒麟の毛並みは、艶やかなあけだと聞く。そして、赤麒麟には、他の麒麟にはない特別な力があるとも。空間を操り、己の望むものをその手元に引き寄せるのだそうだ。実際に赤麒麟を見たことはないが、そう聞いた。ならば、この子はきっと、その力で素晴らしい王を引き寄せるのだろう。王の崩御により荒れた功も、これで好転するだろう。娃莉は塙麒の卵果が育つのをいまかいまかと待ち続けた。愛おしい麒麟だ。この世でたった一頭の、尊い命。
 けれど、二十年前、大きな蝕がおきて、娃莉は塙麒を奪われた。蓬山で蝕がおきるなどと聞いたことがない。喉が裂けるほど叫び、後を追った。けれど塙麒の卵果を取り戻すことは叶わなかった。
 娃莉にはこちらとあちらを越える力はない。他国の麒麟の助けを借りて崑崙や蓬莱を探し回った。二十年という月日はあまりに長い。功州国は今や妖魔が跋扈ばっこし、民は疲弊している。国は崩壊寸前だった。
ーーああ、けれど。
 ようやく見つけたのだ。
 愛しい愛しい娃莉の麒麟が、蝕によって蓬莱から流れてきた。すっかり成長し大人になった塙麒は、やつれた顔をしていた。当然だ。麒麟に人と同じ生活など出来ようはずもない。さぞ辛かっただろう。
 もう二度と、この仔を手放すまいと、娃莉は大きな身体を腕いっぱいに抱きしめた。


「ここは、どこだろうか」
 目覚めて第一声。あまりにも、ありきたりなと思ったが、エミヤにはそれ以上の言葉は思い浮かばなかった。
「ここは、蓬山の蓬廬宮ほうろぐう。私は世良セラ。塙麒のお世話をさせていただく女仙にございます」
「その、塙麒というのは私のことだろうか」
「左様にございます。塙麒は功州国の麒麟であらせられるので、国氏の塙に、雄である麒、よって御名を塙麒と申されます」
「私には、真弓まゆみ笑弥えみやという名があるのだが」
「それは蓬莱での仮の名でございましょう」
 にこにこと笑う世良は、笑ってはいるが梃子でも考えを変えない様子だった。先程から言われる言葉の何一つも理解できていない。海に飛び込んだところまでは覚えているが、気がつけば質の良いシーツに包まれて豪華な部屋の中で眠っていたのだ。
 ここはもしや、死後の世界なのだろうか。
 エミヤは、先程から己の傍に立つ美しい女性をみた。上半身こそ人型であるが、下半身は鹿のようで、明らかに人間ではない。これが死後の世界であるというのであれば納得もできる。
「その、彼女は」
「娃莉は女怪です。塙麒のために存在し、塙麒の御身を守ります」
 にょかい、とはなんだろうか。アイリと呼ばれたその生き物は、エミヤが目覚めてからずっと、慈しむようなめでこちらを見つめていた。それがなんとも、むず痒い。
 エミヤは、ぽりぽりと頬をかいて、もう一度、世良の方を向いた。
「突然の事でまだよく分かっていないのだが、これは現実か。私は死んではいないのだろうか」
「ご冗談を、こうして話をしているのですから、塙麒は間違いなくご健在ですよ」
「ーーきりん、とはなんだろう」
「麒麟とは、王を選ぶ神獣の事。塙麒も、この麒麟にあらせられます」
「私は、人ではない?」
 世良の言うことを信じれば、つまりそういう事になる。
「人などではございません。天帝と王を除けば、この世で最も尊いお方です」
 己が人間ではないと言われて、驚かぬものなどきっといないだろう。例に漏れず、エミヤはとても驚いた。

 少しずつ、世良や娃莉から聞き出して分かったことがある。どうやらここは、エミヤが暮らしてきた世界とは別にあるということだ。
 この世界には、天帝と呼ばれる神がいて、十二の国に十二の王がいる。王を選ぶのは麒麟と呼ばれる神獣。天帝の導きか、麒麟には選ぶべき王が判るのだという。
 エミヤの暮らしていた日本のことを、ここでは蓬莱と呼び、あちらとこちらは、蝕という天災によって一時的に繋がることがあるらしい。そうして蝕に巻き込まれ、蓬莱から流れ着いた者のことを海客と呼ぶのだそうだ。
 荒唐無稽な夢物語のようだが、ここに来てから早三日。そろそろこれが夢でも死後の世界でもないのだと理解せざるを得なくなっていた。なにより、エミヤには、これが夢ではないと信じたい理由があった。
ーー蓬莱で蝕に巻き込まれた者は、海客として東の国に流れ着く。
 光が目の前に差し込んだ。
 クーは、もしかしたら、蝕に巻き込まれてこの国に来てしまったのではないか。彼の遺体だけが見つからなかったのは、そういうことなのではと。もし彼が生きているのならなんだってかまわない。人が木ノ実から生まれてこようが、人外のものが蔓延っていようが。自分が人ではないという事実さえ、些細なことのように思われて、エミヤは現状をすんなりと受け入れたのだ。

「それで。私は、その、麒麟として何をすれば良いのだろう」
三日間、この世界の在り方を学ぶ事に精一杯ではあったが、そろそろ慣れて来た頃だ。ただ何もせずに日々を過ごすのも落ち着かない。人にかしずかれるのも、正直苦手だった。
 朝餉を前にしてたずねるエミヤに、けれど世良は、いいえ、と首を横に振った。
「なにも。ただ、御心安くお過ごしくださいませ」
「何もすることがないのか?」
 驚いた。
 エミヤの価値観では、上に立つものとはそれ相応の責務を負うものだ。女仙と呼ばれる侍女たちに世話をされ、敬われるのだから、さぞかし重要な仕事が山積みなのだと。それが、何もせずに過ごしていろと世良は言う。
「まるでニートだな」
「にいと、でございますか?」
 世良はことりと首を傾げた。
「私の国、蓬莱の言葉だが、仕事もせず家に引きこもっている者のことをそう呼ぶのだ」
「まあ、そのような」
 女性らしいたおやかな手を口元に当てて、世良はくすくすと笑った。
「でしたら、塙麒は、にいと、などではございませんよ。麒麟の仕事は王を選ぶこと。そして病なく健康に生きること。塙麒は胎果であったため、蓬莱で麒麟としては無理のあることもなさっていたご様子」
 それは、血に触れたり、肉を食べたりということらしい。
 エミヤは、朝餉に並べられた精進料理に目をやった。たしかに、昔から肉や魚が好きではなかった。しかし、全く口にしないというのも難しく、いくらか食べていたように思う。殺生を嫌う麒麟にそれは毒となるのだと。
「春分になれば、北の令乾門が開き、昇山する者たちがここを訪れましょう。塙麒はそこで王をお選びになる。それまではお身体を休め、元気でいなければなりません」
 なるほど、とエミヤは思った。
 世良の言うことはもっともらしい。それに、何も知らぬエミヤより、彼女の方が麒麟のことに詳しいのだ。
「郷に入っては郷に従え、だな」
「それも蓬莱の言葉ですか?」
「ああ、いや、もとは崑崙の言葉だったそうだが。とにかく、私は君の言うことに従うと言う意味だ」
 少しばかり違ってはいるが、まあ良いだろう。世良はやはり口元に手を当て、塙麒は物知りですね、と言って笑った。



3


 エミヤがこちらにやってきて、ちょうど十日だ。
 少しずつだが生活にも慣れ、この世界の知識も身に付いてきたと思う。蓬莱にいた時は悪かった体調も良くなり、今はとても身体が軽い。年甲斐もなくはしゃげば世良にたしなめられるだろうが、身体が元気なせいか、外に出たくてうずうずとした。
 娃莉と連れ立って、蓬廬宮の外を散策する。娃莉は片時もエミヤのかたわらを離れようとはしない。女怪というのは、麒麟の乳母だというが、話を聞く限り、事実上の母親といってもいい存在だ。彼女は多くを語りはしないが、二十年もの間、我が子を失った苦しみというのはどれ程だったのだろう。
「塙麒、今日は何処に行きたい?」
 明るい表情で振り返る娃莉に、少し考える。昇山の始まる春分までは、あと一月ほどある。外の空気はまだ肌寒く、行楽を楽しめる季節とは言えないだろう。ならば何か、自分にとって特別な何かを見たいと思った。
「そうだな、娃莉と私が生まれたという木を見てみたい」
 娃莉は頷いて、その背にエミヤを乗せ飛び上がった。
 蓬山の捨身木は、断崖絶壁の麓にある。葉はなく、柳のように枝が地に向かって垂れていた。木の幹に触れてみる。なめされた皮のように艶やかだ。神木と言われるだけあって、威圧感と、そして、なんともいえない安心感に包まれる心地がした。
「私は蓬莱の生まれだから、蓬莱にも母がいた。死んでしまったがね」
 捨身木の幹に触れながら、エミヤは言った。
「幼い私を慈しみをもって育ててくれた、優しい人だった」
 変わった子供だったと思う、頭に触れられるのを嫌がり、肉や魚を嫌い、血を見ると気絶する。今にして思えば、それはエミヤが麒麟だったからなのだろうが、そんなエミヤの変わった行動を個性だといって笑って受け止めてくれた、優しい母だった。
「ーー娃莉は、母さんに似てるんだ」
「塙麒」
 そんなつもりなんてなかったのに、目から涙がこぼれ落ちた。駆け寄った娃莉が、エミヤの頭をその胸に抱きかかえる。なぜだろう。ぼろぼろと、涙があふれて止まらない。母を失ったのはもうずっと前のことだ。エミヤがまだ十歳かそこらの小さなころ。背だって伸びた。血を見るのが嫌で、怪我をしないために身体だって鍛えた。もう立派な大人の男だというのに、母が恋しくて泣くだなんて。蓬莱に未練なんてないと思っていた。ろくな生活をしていなかった。友人も、家族もいなかった。
 でも、自分の生まれた国だ。
 もう二度と帰れないのだ。家族で過ごしたあの場所へは。そう思うと、寂しさが押し寄せて、エミヤは涙した。


 朝、エミヤが目覚めると、心がとても晴れやかだった。
 いつもと同じ部屋なのに、窓からの日は眩しく、清涼で、明るく見えたのだ。
「他の麒麟に会いたい、でございますか」
「ああ、そうだ」
 朝餉を前にしながら、エミヤは、世良の言葉に強く頷いた。
「私は未熟な麒麟だ。蓬莱での生活が長かったから、自分が麒麟だという自覚すらない。だから知りたいんだ。麒麟というのがどういうものなのか」
 いざ王を目の前にして、気が付かず、違うと断じてしまったら。
 唯一の務めを果たすことのできない己が恐ろしい。だから少しでも、麒麟という生き物について学びたいと思った。
「駄目だろうか」
「そうでございますね、こればっかりは、お相手の都合もございますから」
 世良の言うことはもっともだ。話に聞く限り、麒麟というのは高貴な身分らしい。おいそれと面識願えるものでもないのだろう。ならばどうすれば、とうつむいたエミヤに、世良が、こほんと咳払いをした。
「ですが、滅多とない塙麒のお願い事、聞かないわけにはまいりません。世良に心当たりがございます」
「ほんとうか」
「ええ、お任せくださいませ」
 世良は胸を張り、頼もしく頷いた。こうした時の世良はとても行動が早い。エミヤの願い事を叶えることに迷いがないのだ。それがなんともむず痒く、また、同時に申し訳なくもある。彼女らの誠意に報いたいと思う。春分まではあと、一月ほど。それまでには立派な麒麟になれるだろうか。


「塙麒、こちらは劉台輔」
 思っていた通り、世良の行動は早かった。エミヤが願い事をしたその翌週には、白亀宮という、応接間のような場所で柳北国の麒麟だという少女と面会をすることになった。
「はじめまして、塙台輔。私は柳北国の麒麟、劉麟。主上は私の事をイリヤと呼ぶわ。よければあなたもそう呼んで」
 イリヤと名乗った劉麟は、折り重なった着物の裾を摘むと、片足を下げ、西洋の令嬢のような挨拶をした。
「はじめまして、劉台輔。差し支えなければ、イリヤと呼ばせていただきましょう。私の事もよければエミヤと。蓬莱ではそう呼ばれていたのです」
「そうね、あなた胎果ですものね」
 少女は穏やかに笑っている。見た目こそ年端もいかない子供のように見えるが、その表情は落ち着きがあり、慈愛に満ちている。麒麟と王は、国が安寧である限りは老いることも病むこともないと聞いた。きっとエミヤなどよりも何年も、下手をすれば何百年も長く生きているのだろう。
「劉台輔はこの二十年間、塙麒を探すことに、ずっと協力して下さっていたのですよ」
「そうなのか」
 世良の言葉にエミヤは驚き、イリヤの顔を見た。
「麒麟は、あちらとこちらを行き来できるの。キリツグ、私の主上も蓬莱の生まれだったから。だから私が探すのが適任だったのよ。まあ、結局は見つけられなかったけれど」
 やれやれと首を振るイリヤに、慌てたように世良は言う。
「とんでもございません、劉台輔のお力添えあればこそ、こうして無事に塙麒をお迎えする事ができたのです。どうか御謙遜召されませんよう」 
 こうして話を聞いて、自分が蓬莱で暮らす間に、多くの人が動いていたのだとエミヤは知った。麒麟というものは、それだけこの世界の人間にとって、大切なのだ。王を選ぶと言う事は、その国に生きる人々にとって、生きるか死ぬかの大事なのだ。ずしりと肩が重くなる。
「それで、蓬莱育ちのあなたは麒麟について学びたいのでしょう」
「劉台輔は、130年もの間、柳を支えてこられたお方。塙麒、どうぞ色々教えていただかれませ」
 イリヤも世良も微笑んでいる。この微笑みを曇らせる事は許されない。出来損ないの麒麟のままでは、許されようはずもない。
「ありがとう。どうか、ご教授願います」
 真っ当な麒麟にならなければ。
 でなければ、きっとこの国にすら、エミヤの居場所はないのだから。

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Comments

  • わんわんお
    January 29, 2025
  • フロー
    May 30, 2021
  • 森永ちよ
    July 19, 2020
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