雑記:われわれはフェミニストの発言をもっともっともっともっと疑うべきである
大阪大学教授である島岡まな氏のインタビュー記事が発表され、そのあんまりな内容にXで衝撃が走っている。
この頁下段から3頁程の「息子の教育」の話、本当に最低なので是非読んで欲しい。
— ぎたべん (@guitar_ben) June 28, 2025
要約すると「息子が8歳まではフランスで私の理想どおりに育ってたけど高校生の頃には気に入らない育ち方をしたのでフランスに送り返して再教育してまともになった。間に合って良かった。」https://t.co/qOi07B4T39
最初期に話題になったのは、おそらくこちらのポストであろう。
他の部分はいつもの思い込みに基づく日本の司法へのデマ垂れ流しなので読む価値無し。
— ぎたべん (@guitar_ben) June 28, 2025
それにしても、自身の支配欲には全く気付かないからこんな酷いこともできるのだな。あらためて軽蔑します。
上記のポストは本記事に対する正当な評価である。記事の方向性としてはガンギマリ系のフェミニズムで、常人の理解を超えた異様な世界が展開されている。
フェミニズム論客にも、ある程度、客観視ができる者とそうでない者がいる。前者であれば、読者の反論を予想して説得的なテキストを差し込むなどの技術を使うが(「読者の皆さんがこう考えるのは自然な反応ですが、それも実は~」)、後者は客観視ができないので、そもそも自分の文章に対する反論が想像できないのだろう。
そのため、彼らは読者に対して手加減なしのフェミニズム濃縮液をぶっかけてくる。フェミニズムの家父長制ドグマはただでさえ異様な世界観なのに、それを何ら希釈することなく提示しくるのだから、読者からは「常軌を逸したカルト宗教」のように思われる。そういったガンギマリ系のフェミニズム論客の代表格が仁藤夢乃であり、北原みのりであり、島岡まななのである(他にも多数いる)。
というわけで、本記事も常人の感性ではとてもついていけない代物であり、まともな部分の方が少なく、叩けば無限に埃が出る。当然ながらX上では様々な批判がなされているので、私自身が行ったものも含め、幾つかを例示しておこう。
「女の子は逆らわないほうがいい」フェミニストも絶句…人権意識の高い息子が"超男尊女卑"な男に変貌した理由 性的同意とは、「『いいよ』と言うこと」ではない #プレジデントオンライン https://t.co/gN1orM9Z7W
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
カルト宗教にハマった母親の息子が可哀想過ぎる。 pic.twitter.com/ERVQqFEJ6r
いかんせん島岡まななので仕方がないのだが(諦観)、裁判官の性別で判決が変わることへの問題意識に客観視がまるでない。これは逆に「地裁は女性3人だから被害者有利の判決が出た」とも言えるだろう。 pic.twitter.com/XPRFEviNMx
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
本多平直氏はそういう文脈での話はしていない。少なくとも当人は否定している。なのに何らのエクスキューズなく、自分に都合の良い認識で政治的な意見に繋げている。これは活動家の振る舞いであって、学者のそれではない。 pic.twitter.com/ACmBAd5nKi
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
(注:島岡まな氏は元衆議院議員である本多平直氏の辞職事案を引き起こした人物である。島岡氏の一方的な言い分が世間に流布されて、本多平直氏は辞職に追い込まれた。本邦における重大なキャンセルカルチャー事案の一つである。まだ当時は島岡氏がいかなる人物か理解されていなかったし、本多平直氏が直後に批判したSpring(草津冤罪事件に関係)がどういう団体なのかも世間に理解されていなかった。これの詳細は以下記事をご覧頂きたい)
権力勾配がある関係性では自由恋愛は禁止だってさ。あのさあ、なんでそんなことを簡単に言えるの? 概観するなら推奨できないにしても、個別具体的なケースはどうなの? そこに本当の愛があっても一律で押しつぶすんでしょう? てか、本多平直氏はまさにそこを問題視したんでしょう? pic.twitter.com/9REY9PUEvg
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
あたまがお花畑すぎる。それで済むなら警察も軍隊もいらんわ。コミュニケーションだけでは様々なリスクを除外できないから性的同意でこんな揉めてるのに、何もわかってない。じゃあ法制化もやめて人権教育だけやってろ。 pic.twitter.com/KeF6RyTRqm
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
本多平直氏の件からそうだったんだけど、島岡まなはクソ雑な「べき論」しかしてなくて、全体にべき論を押し付けることで犠牲になる個別具体的なケースを完全に度外視している。最終的な法制化ではともかく、過程においてはそこを見逃すべきではなく、その議論をしてたのが本多平直氏だ。 https://t.co/b7t3dMK2PM
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
人間的で健全な関係性を築くことが重要なのであって、われわれは概念的な「差別」に抵触しないことを第一義として生きているのではない。概念的な「差別」で頭がいっぱいの連中にはこの人生の機微がわからない。 https://t.co/mDkBPui8HM
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
あいつらは生身の人間を見ていない。概念上の集団しか思考してない。取引先に恋するサラリーマンや、グラビアモデル、AV女優、彼らすべてに個々の人生があり感情があるが、奴らはその具体性を全て捨象する。私がずっと怒ってるのはまさにそれなのだ。
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) June 30, 2025
内容もさることながら、島岡まな氏のご子息も人格、人権を持った一人の個人であり、こうしたプライベートな内容を世界に発信するならば、ご本人からの同意が得られていることを願うばかりです。 https://t.co/ibVPOCJiMl
— 松本ときひろ 品川区議・弁護士 (@matsumoto_toki) June 28, 2025
島岡まな氏執筆のプレジデントオンライン記事https://t.co/ZOkGeDYBNn
— 要 友紀子☂️ (@kanameyukiko) June 29, 2025
を読んで、ひっかかったこと以下3点。
①…
「この世には正しい思想と間違った思想がある」「間違った思想は正しい思想に矯正されなければならない」みたいな考え方がナチュラルに迸り出ている記事だ。思想統制とか思想矯正とか、本来リベラルが最も嫌っていたもののはずが、結局ただのポーズだったことを隠しもしない。https://t.co/bCISIpc9Hx
— すずもと (@aruto250) June 29, 2025
思ったよりやばかった。
— ゆきと (@6yhsdsiswmcd) June 29, 2025
「そこで彼を、教団が運営する学校に送り返しました」「再度教育され、世界の真実を理解できる人になりました。間に合って本当に良かったです。」と何が違うのか…。 https://t.co/JdSLbQyP7S pic.twitter.com/fMb63zyLQL
島岡まな先生が息子の成長過程におけるプライバシーを全世界に向けて公開する前に、息子の同意を得たのか、同意があったとして、親子関係という権力勾配に基づく同意であることを考慮して執筆公開に至ったのか興味津々である。https://t.co/rsqS013xBE
— 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン (@otakulawyer) June 30, 2025
今ごろ読んだが、なんというか「宗教二世」を批判するなら「リベラル二世」はどうなんだといういつもの感想なんだよね。自分の子どもに対するインドクトリネーションを公然と語れるとかそういうのを、「宗教っぽい」とかいって揶揄してなかったですか、というね。
— 河野有理 (@konoy541) June 30, 2025
こういうレトリック、フェミニズムの文章でよく出てくるんですけど、「「えっ」という顔」「当惑」とかは客観的事実じゃないんですよ。主体(島岡まな)が「こう思われそうな自分」を相手の表情に読み込んでるだけなんです。https://t.co/Fu0FfuFy2K pic.twitter.com/wJKj9jO6Jf
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) July 1, 2025
Xではないが、ヤヤネヒロコ氏はnoteで長文の批判記事を執筆している。
(補足:ヤヤネヒロコ氏は島岡インタビュー記事中から読み取れる情報から、やや問題意識を広げすぎているように個人的には感じる)
*
このくらいで良いだろうか。問題視すべき箇所はまだまだあるが、しかし、今回、私が特に取り上げたい箇所がある。というのは、これは本記事に留まらず、フェミニズム界隈全体に関わる大きな問題ではないか……と思ったからだ。
同じ年代の母に聞いてみたのだが、「どちらでも結構です」は知らないとのこと。
— きれいなかがみ⋈ (@cagami_pica) July 2, 2025
おかわりを一度遠慮するのはあったかも? だそうです。 pic.twitter.com/5HVnX4uxGE
上に書いた通り、フェミニズム書籍を読んでいると、自分の観察にも肌感覚にも実感にも合致しない「差別の状況」が示されることがしばしばある。それに対して、私は従来、こう考えていた。
「この本が書かれた昔の時代はそうだったのかもしれない」
「この著者の住む国ではそうなのかもしれない」
「私が知らないだけでそういう人もいるのかもしれない」
当然ながら、ある時代、ある国、ある人々のリアルな感覚を私が全て知る由もない。だから、「このような実態がある」と書かれたら、知らない以上は「そうなのかもしれない」と考えて、そこは一応信じて理解するように心がけていた。
だが、今回思ったのである。
「これ、まるっきりウソなんじゃない???」
と――。
いや、流石にそれは言葉が強すぎるだろうか。
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