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DM見てるよ、全部読んでるよ、あんたのことちょっとは知ってるよ。


 

あたい、もちぎ。

Twitterでものを書く人間。

そしてTwitterで人と繋がって、生きている人間。


Twitterーーそこには他のSNSと同じようにDM(ダイレクトメッセージ)の機能もあるが、あたいはそれを誰からでも送られるように常時開放している。

というのもそうしなければ、誰かがあたいにものを伝える時に取れる手段が、公開された形のリプライか、あるいは企業のような直接的に連絡手段を持つ方法しかなくなるからだ。

すると個人的にこっそりと話をしたい人は、あたいに関われなくなってしまう。

それは、自分のエッセイを発信して世間の反応を見たいだけじゃなく、いろんな立場の人の話を聞いてみて、たくさんの人の人生を知りたいと思ってSNSを始めたあたいからすると、自ら選択肢や関係を狭めてしまう良くない策かなと思った。


人は、誰かに話を聞いてもらったり、誰かに認めてもらったり、何かしらの分野や方法で目立ったりしたい生き物だけど、誰にだって見られたいわけじゃないし、誰にも見られたくない気分や話題だって抱える生き物だから。

だからあたいは、DMを開放した。

どこかの誰かが、あたいに対して個人的な話をしたいと思った時に、あるいは自分のことをとにかく誰かに話したい時に、ちょっとは役立って欲しいなって考えて。



と言っても、あたいはべつに、DMに対して返信をしたりもしない。

当初すべてに返信をしていた時期もあったのだけれど、作家をやらせてもらっている割には文章を書くのが下手なあたいにとって、言葉では伝えきれないこともあったし、相手の表情や実体を見て返事ができないと、自分がどうしようもなく無責任にも感じてしまうことがあった。

なにせネットじゃ相手の顔が見えないのだから。

それは顔写真ということだけじゃない。
相手の状況や感情、そして背景ーーそれらが全然分からない。
特にあたいまぁまぁ馬鹿だし、そこそこ察しが悪いから、対面してても相手の機微に対して鈍感なのに、ネット越しじゃなおさら無理だと感じた。

なのに返信するのは、無責任じゃないかという罪悪感があった。

そう思わない? 相手のことも、なんの事情も知らないあたいに言える言葉なんて、何もない。言えたとしてもありきたりなエールしか言えない。
もしかするとありきたりなエールでもいいから、あたいからなんか言われたいという人もいるかもしれないね。

だけど人によっては「がんばれ」という檄が欲しい時もあれば、そのがんばれが人を死に追いやることもあるのだから。

それなら個別には何も言わない方が、あたいの他の言葉や発信から勝手にエールを見出してくれた方が、きっといい。





いただいたDMについてだけど、誰にも見せずに自分だけですべて目を通しているし、さらに言えば基本的にあたいは相手の言葉を全面的に信用している。

DMを送ってくれた相手が説明してくれた内容や、その経緯、出自や環境、そして抱える悩みや被害をすべて本当にあったことだと信じるし、その人の言葉を全部真実として受け止める。どのようなものでも必ずそういう風に受け止める。

それはゲイバーで店子(従業員)している時からそうだった。
ずっとそういう姿勢でいた。
じゃないとせっかく打ち明けてくれた内容がどれだけ突飛で、自分の想像のつかないくらい壮絶なものであっても、それを「本当に? 嘘じゃないの?」と問い返すのは、要するに相手の言葉や気持ちを全部叩き落として無下にして、相手の心のシャッターを下ろしてしまうことになるから。


確かに人は起きたことを感情から事実を歪曲する弱さを持つし、あたいみたいに他人に本心を見せることが怖かったり、きちんと相談できない人間にとって、自分の弱さとは人に見せられない恥部にも思えることがあるのが常だ。恥ずかしいんだよね、自分の弱さと、弱い自分が。

だからあたいはエッセイを書くくせに心の弱さをまぁまぁ隠すし、泣きてぇほどの失敗談でもおちゃらけて話を盛ったりして話すこともある。
あたいはそういうしょーもない弱い嘘つきなのだ。
そして世間にもそういう強がりが多いことは知ってる。

なのでそう考えると「人の話は話半分に聞け」という理論もよく分かる。
人によっては、過去というものは他人に話せる時点で心の中でストーリーが出来上がっていることもある。自分の体裁や心を守るためにもそのように過去の表向きを構成することがあるだろう。
そういう背景を踏まえ、相談主から一歩離れて俯瞰的に話を聞いて、客観的な事実を確認しろって意味なのだと、あたいは思ってる。

だけどあたいはカウンセラーではない。
医者でも先生でもない。
立派な大人としての第三者目線なんて持たなくても、全部相手の目線に立ってしまって肩入れしまくっても咎められない無責任な立場にある。

なので他人の話はすべて真実だと思うようにしている。
それでええねん。
人が嘘を言ってしまう背景や苦しみを知っているし、疑って裏切られるよりも、信じて嘘だった方が自分がスッキリする、だからそうする。それだけ。



しかし、いくらそのように自分なりに言葉を受け止めようとしても、あたいに相談してくれる相手の心の出発点はちょっと違う時がある。

例えば、ただの愚痴や世間話の延長線上の相談、あたいと同じセクシャルマイノリティーやセックスワーカーからの質問や、家庭環境に問題ありの人間があたいに求めてくれたアドバイスには対等な雰囲気を感じるし、あたいは経験者としての一般論を求められたんだな、と思っている。

この場合はきっと周囲に相談できる当事者がいなかったから、ネットでたまたま目について、なおかつ質問できる場所を設けているあたいにメッセージを送ったのだろうと思っている。
相談窓口、というよりは問い合わせ口のようなもの。
だから内容も応援が欲しいというよりも解決方法が知りたいとか実直的なものだったりする。

そういう時って、あたいに意見を求めなくても、そもそも彼らの中にすでに選びたい答えがあることのかなって思ったりするし、その場合その決断に対する後押しや現実的な手段へのアクセスが欲しいこともあるのだろうと感じ取れることもある。
「こうしようと思ってるんですけど、どう思いますか?」といった形式の質問が現在進行形で送られてくるからだ。もうそれはある程度答えが決まってたりするんだろう。
それに対してもあたいは返信もしないが、メッセージにそっとスタンプだけを返したり、あるいは今後の発信で自分なりに回答を示したりもする。
あたいは自分の選び取った道を示すしか、返す言葉が無いからだ。



しかし、相談主さんの中にはあたいに対して何らかの期待をしてくれている人もいる。
三年もTwitterをやっていると、そう感じる。

それはどんな期待かと言うと、たぶん、絶対的な救済だ。

あたいへの相談が、ただの個人との対話ではなく「なんか凄いやつ」という漠然とした相手への相談という形になっているんじゃないかなぁと感じることがあるのだ。

身近に存在する相談相手である医者やカウンセラーや、年配者に対するものとはまた違う、だけど何かしらの達観性や権威をあたいに期待している、ということなのかもしれない。それをあたいは光栄にも思わないけどね。だってそれくらい相手の周りには絶望まみれってことだから。
相談の内容によっては警察や弁護士、医者や役所に相談した方が解決に繋がりそうなものもあったりするが、そちら側に一歩踏み出せないことを察するに、きっとそういう人たちに期待ができなかったり、相談できない状況や環境に絶望感を感じてあたいにメッセージを送ったのだろう。

これってもはや、相談というよりSOSに近いのよね。

なんでそんな重大な物事を、ネットの先の見知らぬ存在であるあたいに? とも思うけれど、それはあたいが公開してきた生き様や作品に対する尊敬や敬意でもあるだろうし、何となく好奇心や憧れとかそういう好奇の感情を持っていてくれていることでもあるのだろう。

とにかくそうなると、あたいと対等であるはずの相談主さんが、他者に対しての過度な自己肯定感の喪失からくる卑下だろうか、自分を卑しいものかのように謙(へりくだ)りつつ、それでいて「あなたまで私を裏切らないでくれ」という縋るような、そんな過剰な期待が生まれてしまうこともあるのだ。

その気持ちも分かる。
相談をする人も誰にだって自身のことを打ち明かすわけじゃない。
この人になら、という希望を持ってメッセージや相談をするのだから、中には一縷の望みと今までの失望から培った自己無力感が同時に存在している相談主さんがいるのも理解できる。

「もう苦しい。誰にも助けを求められない。ダメなんだ、だからぜんぶ、あなたが助けてくれ」

そう願いつつもどこかで、

(どうせそんなこと無理だろうけど。でもそれだけはあなたは言わないでくれ)

と感じているのかもしれない。

その精神状態が求めるものが、絶対的な救済だ。
八方塞がりで、苦しくて、頭では解決する手段や、相談すべき窓口も分かっているし、加害者を憎んだり、生まれを呪ったり、もうギリギリのところにいるのに。
なのに体が動かないし、動けない環境にいる。


それから来る期待や相談はおそらく、相談相手の不正解を許さない期待でもあるし、ほとんど答えのない禅問答でもあるのかもしれない。

あたいが「警察や弁護士に相談を」「いち早く病院に行って」「逃げ出して」と返したとしても。

「それができないから、あなたにメッセージを送っている」
「あなたに期待して縋ったのに、みんなと同じことを言わないで」
「自分の背景を、想像して」

そういう絶望感を与えてしまう、とあたいは思う。

緊急に迫らない相談事であっても、相談主さんにとって、返ってきた相手の答えによっては「そんなこと分かってる」「そんなこと言われたくない」「そんなの話を聞いている無責任な他人だから言えるんだ」という反抗心も湧いてくるし、自分の心がしっくりきてなくても「失敗したらこの人のせいだ」と思いながら自暴自棄のまま失敗を求めて生きるようになってしまう。

それは、答えを求めるけれど、結局答えなんて必要なくて、実際求めているのがただただ救いだからなのかもしれない。


そんな相談、あたいは理解できるけど、不毛で、誰も救われないと思う。

どんな崇高な人間でも、誰かが求める答えを一言一句間違えずに与えられて、いつでも道を示せる人間なんていない。そんな都合のいい人間なんて本当は存在しない。
存在するならそれは相談主が自分の思考をかなぐり捨てて、その人の信者と化して、自分に都合の良いように相手を解釈しているだけの、ただの依存に過ぎない。

けれども、それでも権威に縋るくらい追い詰められている人の心境や、それが世の中にある往々としてある事実もわかる。
そして絶対的な相談相手を求める心情も、話が飛躍するが宗教や信仰を心の拠り所にする気持ちもわかる。

結局、そうすれば自身や抱える問題に対して無思考で無責任でいられるし、自身の失敗を道を示した相手や存在に責任転嫁できてしまうから。

これをあたいは悪いことだとは思わない。
いや、もちろん良いことでは無いけれど、人はとことん追い詰められれば思考や判断や感情という能力が奪われていくものだから。

だからすべてを何かに依存したり依拠するほど弱ってしまう人を、あたいは悪だと思わない。相談しながらも相談相手を責める人や、失敗や苦しみの最中で世界丸ごと恨んでしまう人のことを、あたいは同情するし、理解するし、共感する。そうしなければ死んでしまうほどの絶望の中で生きられないのだ。

ただ、そこに対して何らかの疑問も持たず、いつまでも人の責任を求め、自分だけを許すだけの人ならば、あたいは相入れないとは思う。

でもあんたは違う。
被害に遭って、苦しみの中にあって、それを言葉にしてきちんと救いを求められた。

だから、あたいはただ「逃げ出して。警察に行って、病院に行って、役所に行って、死なないで、生きて」という言葉を伝えるわけじゃない。

あんたがあたいにSOSを出す、そしてあたいにしかSOSを出せないその背景を想像している。
それでもあんたのことを考えたらそのことしか言えない。

あたいはあんたの被害を知っている。
ちょっとあんたの人生を知ってしまった。
そんなあたいが言うのだから、ぜんぶあたいのせいにして逃げていいよ。



話は変わるが、あたいはエッセイで、個人の抱える問題や被った差別に対して、対話を重ねて解決を促す手法を取っている。

元々あたいはお節介で首を突っ込みたがりなので、実際にそのように生きてきた。それを有り体に作風にも反映している。

そもそも過去をエッセイという形に書き起こし、大衆の目に触れられるような発信をするのならば、ただの愚痴や苦しみを暴露するのではなく、物語性や希望を持った情報にすべきだと考えていたから、作為的に漫画や文章に救いやオチを生まれさせた。
じゃないとあたいの心の闇を多くの他人に押し付けてしまう。
そこで救われるのはあたいだけになる。

それをする意図はまぁ、作品で他人を救いたいだとかそんな大義名分でもなくて、折角発信するならあたいや自分の作品がよく見られたいというだけの見栄っ張りな性分なのと、エンターテイメントが好きゆえに取っている手法だったので、こういうやり方は人にはお勧めしないし無理強いしない。
過去や傷は、傷のまま人に打ち明けられる世界が理想だと思うし、それがいい。

しかしあたいはゲイゆえに腫れ物にならない明るいやつにならねばと自身に課していた。それは偉くもないし凄くもない身勝手な心構えだ。結局は自分が争いや批判を避けたいだけの、自己保身のためだけに過ぎない。

さらに言えば相談を明るく着飾ってしまうのは、場合や人によっては相手に対して「過去を明け透けに話せないほどにあなたを信用していない」という軋轢になっちゃう時もあるし、それを見たーー弱さを打ち明かしたい人の口を塞いでしまうことにも繋がるだろう。

昨今のSNSや書籍をブームを見てても自己肯定感が高い人が素敵で、それがマイノリティでも輝ける手段、多様性の尊重みたいになってるけれど、べつにあたいは自己肯定感が低い人がそのままでもよくて、現状の自分を無理に認めず、今のままでもヤケクソにならずに生きられたらそれでもいいと思う。
弱い人が弱い人のままでも責められずに生きられる世界の方が、あたいは好ましい。

しかしなぜだろうか、あたいもそうなんだけど、弱いことが恥ずかしいと思う人もいて、自分が恥ずかしいくらいなら我慢したり、無かったことにしたり、生きるのを諦めたりする人もいる。


あたいにDMを送ってくれる人は面白いだけの世間話をしてくれる人や、ただ一方的に愚痴や近況を送ってくれる人もいる。あたいは密かにそれを見て楽しんだり、季節や日常を感じたりもする。あたいはこの三年近く自宅仕事をしているので、他人のわちゃわちゃとした人生と変遷、そこに憩いや癒しを覚えたりもする。

でも相談事も、実は嬉しかったりする。
もちろん内容は凄惨なものが多いし、そこに関しては不謹慎だからとかを抜きにしてもとにかく喜べないものは多い。だけど相談してくれたこと、救われたいと願っている人に出会えたことは僥倖だと思う。

知らないうちにくたばってしまう人間より、死ぬ前にもがいて、最後の足掻きで手を伸ばした人間がいる方が、きっとこの世に報いがあるのだと思えるから。だから相談事を聞けた方が、あたいも救われる。

世の中には相談事を言えずに一人で抱えて、人生を終わらせてしまう人も多い。周りから見ればいきなり死んだ、いきなりいなくなった、急に見なくなったと思えることもある。前兆やサインが見えずに、あるいは見せずにそのまま取り返しのつかない状況に身を預ける人も多いのだ。あたいもたくさん見てきた。

きっと「他人に依存したり相談するのなんて恥ずかしい」という観念があるから、あるいはそんな観念の言葉を周囲から受けてきたからだろう。

「大人なのに半人前、子供みたい。
メンヘラみたい。
だからお前はダメだ。
他責的で、責任逃れしている。
被害者仕草をするな。」

そんな風に言葉や概念を受けて、きっと閉じこもるのだ。

でもあたいは「人に相談するなんて恥ずかしいやつだ」なんて言って、誰かに相談する人の背景や環境、生き様を想像できない人の方が、とても恥ずかしくて、想像力の無い人だと思う。

想像力を持って欲しい、みんな所詮弱い。誰だって弱くなれるし、弱くなる。

だから、あんたは恥ずかしくない。

あたいはそれを知っている。



結局、あたいがこのコラムを通して伝えたかったことは、DMに対してすべて目を通していること、そして返信はしていないけれど、あたいが相談主さんに対して何かを考えているってこと。べつにそれに有り難みとか感謝もする必要ないよ。あんたが勝手にあたいを信頼してくれたように、あたいも勝手にあんたを考えているだけだから。

あたいはあんたの事情や言葉を無視していないし、それを受けて発信に少なくとも反映するように努めてたいし、何かを改めて伝えたいと考えていた。それがこのコラムって形であることは、相談主さん達が直接目にすることもないかもしれないから、ある意味自己満足なのかもしれない。

でも書きたかった。

まぁね、ただ考えているだけじゃあんたの人生の責任を引き受けるわけでもないし、無責任でもあるんだよ。本当は個人個人に向き合って、救済のために動いて、無理矢理でも団体や公的救済手段にアクセスさせるのがいいのかもしれない。

だけど、あたいも分からない。自分が家出してゲイ風俗で働いた人間だから分かるけど、人に頼って生活を預けるのも、勇気や決断を要するし、失うものがあるんだよね。

だから、あたいはただ考えている。

あんたの人生をちょっと知っているわけだし。
あんたの被害や生き様や、後悔や苦しみを聞いている。

あたいはあんたの言葉をすべて信じているし、あんたの人生の一部を聞いて、知ってしまっているから。

あんたは他人に何かを話せるすごい人だし、救われたいと願っている人だし、救われる為に動いていい人間なんだけど。
救われるためにどうすればいいのかは、結局自分で自分の心の本当に求めるものに対して動くべきなんだろうね。

でもね、もしそうする時に、動けない障害があるのなら、それを無理矢理の力づくで取っ払っていいし、その責任を環境のせいにして、ぜんぶぶっ壊すつもりで生きて、ほんであたいのダイレクトメッセージにぶちまけていいよ。

責任なんて、余裕が出てからでいいんだよ。
ネットの先のあたいなんかに頼る時点で、あんたはスッゲー追い詰められてるんだから。

だから何度も言うけど、あたいのせいにして逃げていいよ。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 そうなれるようなものを書いていきたい。

今ならあたいの投げキッス付きよ👄

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購入者のコメント

1
ヒロポン
ヒロポン

もちぎさんが意見を聞いてくれる…!

そう思わせるコラム。

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学生作家。 ゲイ業界で色々やってきた人。 ■ブログは基本的にはどこから読んでも大丈夫なようになってます。一つ一つのタイトルテーマで完結してます。
DM見てるよ、全部読んでるよ、あんたのことちょっとは知ってるよ。|望月もちぎ
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