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【HF士弓企画】aroused/Novel by yosihito

【HF士弓企画】aroused

9,533 character(s)19 mins

HF士弓webアンソロジー企画参加作品。
企画の詳細は企画用記事をご参照ください。
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※当作品はFate/stay night[Heaven's feel]の重大なネタバレを含みます。

HFトゥルーエンド後、士郎さんに移植されたアーチャーの腕がその後どうなったのかを
好き勝手に妄想してみました。細かい設定等はふわっとお読みください。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。

ちくわぶさん、企画立案・アンソロ発行ありがとうございます!

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剣の丘だった。
実際には見た事ない筈のそれを、俺は確かに知っていた。
錆び色の荒野と軋んだ音を立てて回る中空の歯車。
そして、その剣の丘に独り立ち尽くす男の背中を、俺はやはりよく知っている。
「―――――っ!」
呼び声が届かないのか、それとも聞こえないのか、男は振り向かない。
けれど、なぜだろう、声はあいつに届いているのだという確信が俺にはあった。
そして、どんなに呼んでも男は振り向かないのだろうということも。
それでも、俺は男の名を叫び続けた。


「――ぱい、先輩?」
柔らかな音を声だと認識し、それでゆっくりと意識が浮上していく。
呼ばれているのは自分のことだと理解して、そこではっきりと目が覚めた。
「先輩?起きられました?」
「ん、ああ。おはよう、桜」
目覚めとともに、じっとりと肌に纏わりつく蒸し暑さと汗ばんでいる体を意識する。
外からは蝉の声もしていて、今は夏真っ盛りだと改めて実感した。
何か変な夢を見ていたような気がするが、目を開けた途端にそれは霧散してしまっていた。
「おはようございます、先輩。朝ごはん、もうできてますよ」
覗き込んでくる桜はもう制服に着替えていて、つまりは、もうそんな時間なのだろう。
「え?わっ、ごめん、寝過ごした!今日、俺の番だったのにすまん!」
「一応声はかけたんですけど、よく眠ってたみたいで。このところあまり眠れてないようだったし、せっかくだからって無理に起こさなかったんです。それに、朝ごはん遅れると藤村先生が大変でしょう」
「はは、それはそうだけど……。いや、うん、助かったよ桜。気遣いありがとう。明日は俺が作るな」
「どういたしまして、さ、お手伝いしますから着替えましょう」
「いや、一人でも大丈夫だよ」
「そうかもしれませんけど、この間もそれで大惨事になっちゃったじゃないですか。ごはん冷めちゃいますし、ここは私に甘えてちゃっちゃと着替えちゃいましょう」
「そこまで言うなら頼む」
「はい」
にっこりと笑うと、起き上がろうとする俺を桜が手を伸ばして介助してくれる。
実のところ、片腕が使えないとこうやって身を起こすだけでも結構不自由してしまう。
それは、着替えや食事などの日常生活でも同様だ。
桜の気遣いは心底ありがたかった。

聖杯戦争が終わって、間もなく半年になろうとしていた。
大空洞での戦いで、肉体も魂もボロボロになっていた俺を救ってイリヤは消えた。
イリヤによって復元された俺の魂は仮の器に入れられていて、それをようやく今の体に移したのが2ヶ月前だ。
とある伝説級の人形師が作ったというその素体は、移された魂に合わせて寸分違わない衛宮士郎の肉体へと変わっていった。
遠坂の話では指紋も血液ももっと言えばDNAレベルで『俺』になっているのだそうだ。
なんと、魔術回路もきちんと復元されていた。
いや、正確には完全に元通りではないのだけれど。
どういうわけか、左腕だけが全く動かないのだ。
遠坂がさんざん調べてくれたけれど原因はいまもって不明だ。

『左腕』という単語には赤い布と剣のイメージが付きまとう。
かつて、俺の左手にはある男の腕が移植されていた。
どこかの世界線の衛宮士郎が至った英霊エミヤという男の腕だ。
その腕は、結果として俺を助け、同時に俺を滅ぼした。
仮にも英霊の腕だ。
ただの人間と繋げればその霊格の違いからそうなるのは分かっていた。
だが、俺は守るべきもののためにその腕の力を解放し、その代償として英霊エミヤに食い潰されて消滅しかけた。
その、ほとんど原型を留めなくなっていた俺の魂を復元したイリヤの魔法には、ただただ感嘆と深い感謝を覚える。
そして、それをもう直接伝えられない事が無念でならない。

――話を戻そう。
こうして、俺は戻ってきたけれど左腕のことを含めてまだいろいろと万全ではなく、藤ねえとも話し合ったすえ、学校は現在休学している。
できれば、来春には復学して桜と一緒に卒業できればいいな、と三人で話しているところだ。
そうだ。桜といえば今は完全にこの家で暮らすようになっている。
もともとほとんどこの家の子みたいなもんだったじゃない、とは藤ねえの弁だが、それでも「おはよう」や「おやすみ」を毎日交わせる事に、いまだになんともいえない感慨を覚える。
こんなふうに、なんでもない日常を積み重ねていって本当の家族となるのだろう。

そういえば、左腕が動かないという点以外に、実はもう一つ出来なくなっている事がある。
投影魔術だ。
構造解析や強化はできるので、魔術自体が使えないわけじゃない。
だが、解析したものを投影で再現しようとイメージすると、形を成す前にそれが揺らいで消えてしまうのだ。
魔術を使いこなせるほど新しい体に馴染んでいないのかとも思ったのだが、強化に関しては以前よりもよっぽど精度があがっているので、何か別の要因があるのだろう。
こちらも遠坂には報告済みで、左腕の事とあわせていろいろと調べてくれているらしい。
らしいというのは、聖杯戦争の後始末であちこち飛び回っていて、このところほとんど顔を合わせていないからだ。
ちょうど今はロンドンにいるのだと桜に教えてもらった。

「そういえば、今朝、姉さんから電話があって……。台風の事、心配してました」
「台風?」
朝食の席、ふいに桜が思い出したように言いだしたのでテレビのスイッチを入れた。
『――大型で強い勢力を持った台風△号は勢力を保ったまま今夜半には最接近する見込みです。警報や注意報の出ている地域は暴風や大雨にご注意ください。避難する場合は各自治体の指示に従ってください。なお、交通機関の大幅な乱れも予想されます――』
タイミング良く天気予報が台風の情報を伝えてくれる。
「えー、この前来たばかりなのに今年は続くわねぇ。よし!今日の部活は中止して道場や射場の台風対策ね!そうと決まれば急がなくっちゃ!」
言うが早いが、藤ねえは猛スピードで朝飯をかき込み始め、あっという間に食べ終えてしまった。
「ごちそうさま!じゃ、桜ちゃん、またあとでね!お昼前には終わらせるわよ~!」
一瞬だけ手を合わせると残像が残るスピードで立ち上がり、藤ねえは部屋を飛び出していった。
すぐに玄関から「いってきまーす!」という声が届く。
「いつもながら慌ただしいなぁ。桜も食べ終わったならそのままにして行っていいぞ。後片付けはしておくから」
「でも、先輩……」
言い淀む桜に、これもリハビリだよと左腕に触れながら笑いかければ、不承不承といった様子で頷いて立ち上がった。
「では、今度は私がお言葉に甘えさせていただきますね。お昼までには戻ってきますから」
と、部屋を出ようとした桜が足を止めて振り返った。
「先輩。くれぐれも屋根へ一人で登ったりしないでくださいね」
釘をさされてぎくりとする。
ちょうど、この後に屋根の補修をやろうと思っていたからだ。
つい先日も台風に来襲され、古いこの家も少なからず被災していた。
その最たるものが屋根で、屋根瓦がいくつか落とされ、そこかしこから雨漏りするようになっていた。
補修するつもりだったのだが、このところ夏らしい晴天が続いていて、つい後回しにしてしまったのがまずかった。
「ライダーもお昼にはバイト先から戻るって言ってましたし、私も手伝います。だから、それまで待っていてください。絶対ですよ」
びしっと指を立てて強く言われてしまえば、素直に頷くしかなかった。

「風が出てきたな」
取り込んだ洗濯物を畳んでいると、窓枠がガタガタと音を立てるのが聞こえてきた。
「物干し竿もしまっておくか」
縁側から庭に下り、物干し竿や風に飛ばされそうな小物を屋内にしまっていく。
空を見上げると、まだ昼前だというのに随分と暗くなっていた。
「この分だと、すぐ降ってきそうだな」
降れば間違いなく雨漏りしてしまうのは免れない。
桜に言われた事が、チラリと頭をかすめたけれど、ビニールシートを掛けるだけだからとつい自分を納得させてしまう。
桜の心配は、この不自由な左手のせいだろう。
面と向かってそれを指摘しない気遣いは桜らしくて好ましかったが、それでも心配過剰だという感は否めなかった。
「ごめん、桜。ちゃんと気をつけるから」

物置から、はしごとビニールシートを運び出す。
次に土嚢を作って、その土嚢袋2つを1セットになるよう紐同士を結んでおく。
これを5セット用意する。
ビニールシートは畳んで紐をかけて背負うと、はしごを掛け、慎重に屋根へと登っていく。
間違っても怪我などしないように、一つ一つ段取りを確認しながら作業を進めていく。
該当箇所にシートを掛け、結んだ土嚢を棟を跨ぐように載せて重しとする。
片腕が使えないために思ったより時間はかかったが、なんとか目処はついたようだ。
ふう、と息をついた頬に、ぽつんと雨の粒が落ちてきた。
「良かった。間に合ったな」
さて降りるか、と目を向けたところ、ちょうどはしごを登ってきた桜と目が合った。
「先輩!まさかと思ったらやっぱり!」
「桜……」
反射的にごめんと言いかけて、場所が場所なのを思い出す。
「謝罪も言い訳も後でちゃんとする。雨降ってきたし、そのまま降りるんだ。ゆっくりでいいから」
「な、何言ってるんですか。先輩こそ早く降りてください。早くこちらへ……」
ここで俺はミスをしてしまった。
さっさと桜のもとへ移動して一緒に降りれば良かったのだ。
俺を心配した桜が屋根を登って寄って来ない筈がないのだから。
「馬鹿!危ないから来ちゃダメだ。俺もすぐにそちらに行くから」
慌てて近寄ろうとしたが遅かった。
屋根に上がった桜はこちらに向かってきていて、折り悪く、そこに強い横風が吹き付けてきた。
「きゃっ!」
雨まじりの強い風は一瞬だが視界を奪い、目測を誤らせた。
踏み出した桜の次の一歩は濡れて滑りやすくなっていたビニールシートの上で、案の定その体はバランスを崩してしまう。
そこからは、まるでスローモーションのようだった。
転びかけている桜へ、ほとんどタックルするように突進すると、右手でしっかりと抱きとめた。
けれど、それまでだった。
屋根が傾斜しているのは降った雨が自然に落ちるようにするためだ。
それは雨以外の物も同様で。
つまり、俺達は今その法則に則って屋根をころがり落ちようとしていた。
傾斜面の上の物が下に落ちるのは重力が働いているからで、もしそれを止めるためには強い摩擦力を持った何かがいるのだったか。
昔習った物理の授業を思い出す。
だが、桜を腕に抱き込み、もう片方の腕が動かない今の俺には、その摩擦力のようにブレーキになるようなものは用意できず、このまま落下するしかなさそうだった。
せめて桜の身だけでも守ろうと体をしっかりと抱き寄せる。
着地の際に、必ず自分の体が下側になるようにしなければと決心した。
幸い桜は優秀な魔術師だ。死にさえしなければ俺の怪我ぐらいなんとかしてくれるだろう、と少しだけ楽観もしていた。
それはともかく、こんな時だというのにピクリとも動かない左手に的はずれな恨み節でもぶつけたくなってしまう。
せめてお前が動いてくれればこんな事態は避けられたんじゃないのか?と。
ここまでが時間にして数秒。
やがて、斜面の終わりである屋根の端を過ぎて、俺達は完全に中空に放り出された。
そのまま、落下に備えようと身構えて――。
ふいに、体がなにかに引っかかったような急制動を受けて落下が止まった。
「……?」
思わず瞑っていた目を開けて、自分たちを支えているソレを視認して、ギョッとする。
「えっ!?」
それは、腕だった。
俺の動かない左腕、その肩のあたりから褐色の肌をした腕が伸び、軒先に突き立てた剣を握って落ちかけていた俺たちを支えていたのだ。
そのたくましい腕も、独特な形状をした双剣の片割れであるその剣も、俺には見覚えがあった。
「ア……」
そして、俺は確かに聞いたのだ。

――何を呆けている小僧。早く腕を伸ばせ。長くは保たんぞ!

声はまるでその腕から聞こえてきているかのようだった。
「腕って言われても……」
確かに『声』が言うように剣を掴んでいるその手の輪郭が薄れてきているように感じた。
けれど、俺の左腕は――

――動くさ。さあ、伸ばしてみろ。この剣を掴め。

「!」
まるで、その声がきっかけになったように、あんなに動かなかった左腕が動かせるようになっていた。
そのままゆっくりと上に持ち上げる。
伸ばした手と剣を握っている手の輪郭が溶け合うように重なっていき、やがて俺が剣の柄を握ったのが合図になったかのように、幻の手は完全に消えた。
「ぐぅっっ!!」
そして、次の瞬間、その左手に二人分の体重が一気にかかってきた。
「せ、先輩……」
腕の中の桜が弱々しく見上げてきた。
「すみません、私、あの……重くて……」
「違……」
そういうことじゃないんだ、桜。お前が重いんじゃない。
俺の左手はこの2ヶ月動かせてない。だから筋力も握力もガタ落ちしてるはずだ。
そのせいなんだ。
と伝えたかったけれど、今は無理だった。
このまま体を持ち上げて屋根の上に戻れればとも思ったが、今の俺の筋力ではどうにもそれは叶いそうになかった。
謎の左手のおかげで転落は免れたけれど、結局は先送りにしかならなかったようだ。
ぶるぶると震え始めた腕が、もう限界なのだと伝えてくる。
だめだ。もう、これ以上は――。
完全に握力を無くした指が剣の柄から外れ、俺達はそのまま落下を始めた。
と、その時だ。
ぐいっと、今度こそ完全に体を屋根の上まで引き上げられた。
「よく堪えました、シロウ。桜もあなたも無事ですね?」
「ライダー!」
軽々と俺たちを片手で掴み上げているのは、桜のサーヴァント、ライダーだった。
「このまま、下まで飛び降ります。舌を噛まないように」
言うが早いが、ライダーは俺たちを両手で抱え直すと、ひょいと屋根から飛び降りた。

「ありがとう、ライダー。すぐに来てくれて」
そうか。あの屋根を転がっている間、桜はライダーを呼び寄せてくれていたんだな。
「俺からも礼を言うよ、ライダー。本当に助かった」
「いえ、桜のサーヴァントとして当然の事です。ところで、シロウ、左手が動くように?」
「ん、ああ、なんでか、さっき……」
言いかけて先程見たものを思い出す。
褐色の腕、そして、あの剣。
はっとして見上げれば、軒先に刺さっていた剣は粒子になって消えかけていた。
そうだ、それにあの声は――!!
「痛っ!」
ふいに、頭を殴られたような猛烈な頭痛に襲われる。
ガンガンと物理的な衝撃にさえ感じるその痛みに立っていられず蹲る。
「先輩!?」
そのまま倒れ込む俺を呼ぶ桜の声がどんどんと遠くなり、俺は意識を失った。


さらさらと柔らかい毛先が頬をかすめる。
くすぐったくて身じろぎすれば、くすくすと楽しそうに笑う声が聞こえた。
「お兄ちゃん、そろそろ起きて。悪いけど、あんまり時間がないの」
どこか舌っ足らずな喋りにもその声にも覚えがあった。
「……イリヤ」
「やだ、狸寝入りだったの?シロウの癖に生意気よ」
きゅっと頬を抓られて、イテッと顔をしかめる様子が面白かったのか、ケラケラと高い声で笑う。
膝枕をされているのだろう、真上から覗き込む赤い瞳は俺が知っているあの少女のものだった。
妹で、でも本当は姉で。その生命と引き換えに俺を助けてくれた少女。
「そんな顔しないで、シロウ。イリヤは心底から満足していた。だから、シロウが悲しむ事はないんだよ」
「でも――」
起き上がり向き直る俺が何か言おうとする口を、指を当てて遮った。
「いいから。あのね、シロウ、聞いて。私はイリヤの姿をしているけど、本当のイリヤじゃない。時間がないから詳しい説明は省くけど、私はシロウの中に施されていた封印みたいなものなの。
あなたの魂を復元した時、どうしてもシロウであってシロウでない部分が残っちゃったの。左腕って言えば察しはつくかな?そう、アーチャーの腕よ。
彼の腕を移植されたシロウは、腕の封印を解いたことをきっかけにどんどん英霊エミヤに侵食されていった。あの大空洞であなたをサルベージした時、元のシロウの部分のが少なかったくらい。
それでも、イリヤはシロウを知っていたから、あなたをあなたとして取り戻すことができた。でもね、イリヤの魔法を以ってしても、どうしても完全にシロウに戻せない部分があった。それがその左腕。
その腕はシロウであってシロウでない、でも、アーチャーであってアーチャーでもない。
シロウとアーチャーの混ざり合ったものになってしまっていた。
その腕と英霊エミヤとの接続は完全に切れているから、ある意味本当の本当にアーチャーの分霊とも言えるわ。アーチャーの記憶と固有結界を持った、ね。
だから、そのまま復元してもあの時のようにシロウの魂が侵食されることはないだろうと推測できたけど、イリヤは不安だったのね。
念の為にとシロウの左腕にアーチャーを封じ込めたの。
あなたの左腕が動かなかったのはそのせいよ。
でも、イリヤはシロウのことだからきっといつか封印を解いちゃうだろうって予想してた。
だからその時のために私をここに残したの。イリヤの記憶と人格を付与して。
そして、その時はこうして訪れた。
ちなみに、封印解除の条件は、シロウが自身を顧みずに行動しようとしたときですって。ふふ、身に覚えが有り過ぎるでしょう?
ねえシロウ、最後の確認をするね。
サクラとともに生きていくシロウには、もう投影魔術も固有結界も必要ないはず。
アーチャーの記憶は邪魔でしかないんじゃないの?」
少女の問いかけは静かでまっすぐだった。
問いはもっともだろう。
腕を移植されて封印を解いた時、英霊エミヤの生前も死後も、その後悔も何もかもを俺は知った。
俺が辿ったかもしれなかった、俺とは違う人生を歩いた男。
あいつは俺ではないけれど、自分がかつてなりたいと願っていた正義の味方を貫いた奴だった。
そんな男の得たものが、経験が、記憶が、邪魔なことなんてあるわけがない。
「そんな訳ないだろう。あいつは『誰にも理解されない。その生涯に意味はない』と詠じていた。でも、そんなあいつに俺は助けられた。結果的には桜も、遠坂も、この町の人間だって、言ってみれば世界だって。あいつが救ったんだ。意味がないなんて言わせない。だから、そんなことはないって俺だけは言い続けないといけないんだ」
俺の返答に、イリヤの姿をした少女は嬉しそうににっこりと笑った。
「ありがとうシロウ。シロウならきっとそう言うんだろうと思った。……あっちのシロウにもよろしくね」
少女の輪郭がだんだんと薄くなっていく。
「イリヤ……!」
「じゃないってば。でも、また会えて嬉しかったよ、お兄ちゃん」
ばいばい、と手を振りながら消えていくイリヤへ伸ばした手は空を切った。
「……!」
伸ばしたままの手で何もない空間をぎゅっと握り込んだ。
その手を額に当てて、またしても伝え忘れた感謝の言葉を口に乗せる。
「ありがとう、イリヤ……」


「ん……」
「先輩、気がつきましたか?お体、どこかおかしな所はないですか?」
目を開ければ自室の天井が見えた。横から覗き込む桜とライダーの姿も。
大丈夫そうだ、と伝えるとほっとした様子で息をついた。
桜が言うには先ほどの俺の頭痛は、急激に魔力を消費したためだったらしい。
つまり、左腕への負荷と投影魔術が原因なのだろう。
そういえば、と左手を動かしてみれば、何ヶ月も動かなかったのが嘘のようにスムーズに動かすことが出来た。
ぐーぱーと開閉を繰り返してみるが、目立った麻痺や遅滞もない。
「今朝までと違って、現在は血液の中を魔力が指先まで巡っているのを感じます」
ライダーが説明してくれた。
今までは左腕にだけ、魔力が全く循環していなかったのだそうだ。
イリヤが『封印』といっていたのはきっとそういうことなのだろう。
俺の魔術回路は神経と一体化しているそうだから、魔術を封じるイコール神経を封じる、つまり腕の麻痺という状態を作り出してしまっていたのだと推測できた。
その左手に、そっと桜が触れてくる。
「ちゃんと温かいです。……先輩、良かった」
「ああ、うん。その、ごめんな、桜。心配かけるどころか、あんなふうにお前を危険にさらしてしまった。俺の身勝手のせいだ。本当にすまなかった」
頭を下げる俺に慌てたように桜も頭を下げてくる。
「わ、私の方こそ余計な事してすみませんでした。かえって先輩を危ない目に合わせてしまって……」
いや俺が、いえ私が、とぺこぺこと頭を下げあっている俺たちに呆れたように、ライダーがぽつりとこぼした。
「それ、いつまで続けるんですか?」

「さっきまで藤村先生もいたんですけど、これ以上天気が悪くなる前に帰っていただきました」
言われて、風の音や雨の音に混じって、窓や網戸が揺さぶられるガタガタという音が耳に届く。
「台風、きたのか?」
「はい。直撃は免れたんですけど、それでも雨と風がやっぱり凄いです。先輩がシートをかけてくれてたお陰で今のところ雨漏りもありません」
「そうか。だったら良かった。腕も直ったし、明日から本格的に修繕していくよ」
「まだ夏休みですし、部活がない日は私もお手伝いしますね」
「うん、よろしく頼む」
「はい。じゃあ、遅くなっちゃいましたけど、晩御飯にしましょう。もう下拵えは済んでいるのですぐに準備しますね」
「俺もなんか作るよ。片腕使えなくてまともに料理できないの結構ストレスだったんだ。しばらくは思いっきり腕を振るわせてもらうから、明日からの飯は期待しててくれよな」
俺の宣言に桜とライダーが歓声をあげて嬉しそうにハイタッチしていて、その様子に思わず笑ってしまった。


その夜、夢を見た。


俺は頬に当たる風を感じて顔を上げる。
そこは、剣の丘だった。
実際には見た事ない筈のそれを、俺は確かに知っていた。
錆び色の荒野と軋んだ音を立てて回る中空の歯車。
そして、その剣の丘に独り立ち尽くす男の背中を俺はやはりよく知っている。
男へ向かって歩を進める。
じゃりと足元の砂が音を立てて、それに気づいたように男がゆっくりと振り向いた。
振り向いた男は俺の姿を認めると、呆れたような顔でかすかに笑った。
苦笑というやつだろう。
「本当に仕方のない馬鹿だ、貴様は。一度死んだくらいでは治りようがないな」
「そんなの、お前自身がよく知ってるだろ?」
俺の指摘に目を丸くすると、次の瞬間肩をすくめて口の端を小さく上げた。
「違いない。私達はいつまでたっても馬鹿のままだ。どうあっても治しようがないほどのな。だが、それがどうした。どうせ治らないのなら、最後までそれを張り倒してみせろ。私はずっとここにいる。ここも私も好きに使うがいいさ」
「ああ、生前、お前が切り捨てた『人としての幸せ』ってやつを俺が全うしてやるよ」
「よく言った。その言葉守れなかった時は笑い飛ばしてやるぞ」
「は、言ってろ!……じゃあ、またな」
「ああ、またな」
そう晴れやかに笑う男の背後には青空が広がっていた。

END


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