君のあとかた【web再録】
■2017年の春コミで出した文庫本のweb再録です。
■失われたと思っていたUSBが大掃除で発掘されたのと。(数年を経て)完売してそこそこ経ったので、そろそろええかなと思って出します。
■~センチメンタル現パロホモにすこし不思議を添えて~
■実際の本にはR18のおまけがついていたので表紙にはR18と銘打たれています。
■今回のweb再録部分にはR18要素は含まれません
■代わりにBOOTHの通販をしてくださった皆さんにお付けしたブックカバー風ペーパーに書いた小話も再録しておきます
■ちなみに表紙は己でかきました
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君のあとかた
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鍋の底でゆらゆらと鶏肉の欠片が沈んでいる。
東向きの台所。廊下に向かった窓から、細く風が入り込む。夏の前の香りがする。
上背の高い住人の額にぶつかったりしないようにだろう、棚の下、窓の程近くで干された白い布巾が乾いて硬く揺れている。良い炉端だと思う。手の届く場所に必要なものが置かれて、清潔に保たれている。正常な陣地のようだ。住人の為の正しい領土として機能している。
黒いシャツで包んだ背筋をぴんと伸ばして、色の濃い項だけを曲げた背中がそこに突き立っていた。
袖の捲られた手元の鍋の中には、なみなみとたゆたう薄いスープ。軽く焼いた鶏ガラ。まだ色味の薄い水面に、金の縁取りが丸い脂が浮いていた。その輪を乱すように投げ込まれる野菜はきれいに洗われた人参や大根の尻尾だったり、芯を取り除かないぶつ切りの玉ねぎだったりとずいぶん節操がない。
見ていれば、野菜も出汁が出るんだ、と男は言う。ふうん、と純粋に関心して相槌を打った。出汁というとランサーは真っ先に肉が出てくるが、丸く鼻をつく香りは彼の慣れ親しんだものとは大きく異なっているようだ。それも培地にしたら菌生えんの、と聞こうとして、またややこしい講釈を垂れられても応対に困るランサーは口をつぐむ。基本的に、どの培地で何が生えるとか、何を栄養にして何が生育するだとかは、彼の分野外なのだ。
沈黙を埋めるため、かわりに、野菜なら何でもいいのかと聞く。冷蔵庫に残っていた他の野菜をいれないのかという彼の言葉にうんと子供っぽく頷いて男は、特に青菜は入れないと言った。
「シュウ酸が水溶性だからな。ほうれん草とか、煮込むとえぐみが出るだろ。結晶化すると濁りが出るし、ブイヨンには入れないんだ」
「はあ」
「アク取りをまめにするならありかもしれないが……どうだろうな。やったことがないのでわからない」
ため息と相槌の合間のようなランサーの反応も省みずに、木べらを動かす。うつむいた目元に並んだまつげが柔らかい曲線を描いていて、今に鼻歌でも歌いだしそうだ。
この男は基本、料理をしている間は機嫌が良い。ついでにそれを誰かに教えたり、解説したりするのも大好きだ。料理に限らず掃除だとか洗濯だとか、家事全般で言えることでもある。そのくせ、好きなのかと聞けば顔を背けて否定するのだから良く分からない。一人暮らしなのだからとか、節約のため必要に駆られているだけだとか。勘違いするな、別に好きな訳じゃない、などと言い含められた日には、懸想した男に素直になれない思春期の女子かと半目になったランサーだった。人間相手に言っているならまだしも、対象は料理なのだから意味がわからない。
ともかくとして、先程の言は要するに、たかだかアクが出るということを述べたらしかった。わざわざ遠回りに言ったという自覚もないのか、彼は手慣れた様子で木べらを鍋から抜き取り、蓋をする。火を止め、途端にもうもうと湯気立つ程に温度の上がったそれを持ち上げた。
調理台を占領している専用の保温器に鍋ごと入れる。弱火で煮込むと良いんだけどな、と誰に向かった注釈なのか呟いて、冷めて来たらまた火を入れる、と黒い視線がランサーに向いたので、多分一連、ランサーに向かって言っていたのだろう。
次にコンロに座り込んだのは飾り気のないやかんが一つ。ガチガチとつまみを捻る。
切りそろえられた爪が律儀に十並んだ手はいつも一本一本の指先まで、持ち主の思い通りにならなった事などこの方ありませんという顔をして動く。
「コンタミみたいなもんか」
ひらひらと動くその手を眺めながら、先程の勿体ぶった料理講座でふと思い当たった言葉を空気に浮かべた。
その単語は、ランサーには口苦いものだ。実験の際に目的物質以外のものが混入することをいう用語である。それを聞いた相手は思いもよらないという様子で目を丸くする。
「いや、菌は……ああ、君の研究だとそういう使い方をするのか」
「あ? そっち違うの?」
「いや、うちだとどうもいらない菌が生えることを指すから。……ていうか、それ以外の意味あったんだな」
成程、そういう意味で取れば、食事を作る際に使いたい言葉ではないだろう。ふうん、と再度興味の薄い反応で、実際興味の無いランサーは肩を竦める。
男は長い腕を伸ばしてキッチン上の戸棚を開いた。プラスチックのトレイだのバスケットだの、几帳面に保存食の備蓄や調味料のストックが整理整頓されたそこから、インスタントコーヒーの瓶を取り上げる。
「何にせよ、コンタミは少し違うんじゃないか。というか、あまり料理でそういう用語を使うのはどうかと思うんだが」
「そういうもんか? でもほら、前読んでただろ、レシピがフローチャートになってる本。肉じゃがとかシチューとか載ってる奴」
「興味があったから借りただけだ。あれでレシピを確認しようとは思わん」
「ふーん?」
「ああいうものは文法になじみない人間の為にフォーマットを変えたってだけだろう。見慣れた画面だととっつきやすいからな。入門書みたいなものだ」
「はぁ」
「確かに料理は化学の一種、とは言うがな。実際のところは実験と違って何でもかんでもフローチャートどおりにすれば効率的という訳でもない。いや、味としては悪くはならないだろうが」
「あー、要するに、なに、愛情は最高のスパイスってやつ?」
肘先でつつきながらからかうように流し見れば、相手はしかつめらしい表情のままで深くうなづく。まぁそれも大事だな、などと言うので、つついたランサーの方が面食らうはめになった。料理は愛情とか、そんな険しい顔で呟く話ではないだろう。
「料理で言うところの愛情っていうのは、相手の好む味覚の分析と再現性、それにかける手間を言うんだろ」
「……可愛くねえ定義だな」
「愛情に可愛いも可愛くないもないと思うが」
可愛くないのはお前だよ、といってやりたい気持ちを飲み込んで、一息。気を取り直してランサーは冷蔵庫に向かった。
そもそも彼が台所にやって来たのは、向かいに座る自分を放って不意に立ち上がり、ふらふら部屋から出ていったこの部屋の家主を探しに行くためではない。つい二日前にこの部屋を訪れたときに、冷蔵庫に入れてそのまま忘れていったジュースのことを思い出したからだった。家主が何処に行ったのだか知らないが、喉が渇いた。さすがになんの断りもなく他人の家のものを飲み食いするのは少々気が憚れるし、そういえば一昨日置いていったジュースがあったなと。
そうしたらコンロの前で何やら鍋の面倒を見ている部屋の主がおり、何をしているかと聞けばブイヨンを作っていると返ってきた。
果たしてブイヨンはなんの宣言もなく、レポート作成の真っ最中に唐突に部屋を離れて作りだす類の料理か。問いただしたい気持ちもあったが、男が煮え詰まると台所に行きたがる悪癖があるのは知っていたし、やり取りの途中で突然席を立って小豆を煮だした春の日の記憶を思えば、今さらとやかく言うのもばからしかった。一時間前からノートパソコンとにらめっこをして、書き足してはデリートキーを連打する男の、文字どころか人でも殺すような顔も見ていたので、ランサーもへぇとか頷いたのである。
まだなにやら訥々とご教授なさっているらしい男の低い声は聞き流して、息継ぎをするように開いた冷蔵庫を見る。整理整頓された調味料や食材に、パッキングされた常備菜。もうこの男は食育の教師にでもなればいいと思うランサーである。
生温い視線を動かして、一昨日に置いていったスポーツドリンクは確か牛乳パックと作り置きの麦茶の間におしこんだはずだ、と手を伸ばす。しかしその手は冷蔵庫の冷たい空気の中、むなしく空振りした。
目的の二本の間にはペットボトル一本分の空白。冷蔵庫はぶん、と虫の羽音のような唸り声を上げる。早く閉めろと催促されているようなそれに応えて扉を閉めた。
「オレのスポドリは?」
「飲んだ」
顔を上げてキッチンの片隅を見る。常、ゴミの集荷まで一時的に空いたペットボトルを置いてあるそこでスポーツドリンクのラベルが薄っぺらく蛍光灯の灯りを反射していた。
「人の家に置いていく奴が悪いだろう」
せめていつものように皮肉げに笑っているならまだしも、悪気一つ無くすべて当然のことわりですとでもいう顔をしているのだから文句を言う気も失せる。それでも漏れた細い不平の声を聞き付けたのだろう。かたんと調理台に瓶を置く。
スポーツドリンクはもうないが、と前置き。
「コーヒーならいれてやるぞ」
「飲む」
いかにもわざとらしくため息をついてやりながら、ふと、口を付けたペットボトルは一日で雑菌が繁殖するだとか、そんな言説があったなと思う。
それはそうだろうなと考える。そのあたりについては一通りの基礎しか学んでいないランサーでもなんとなく想像がつく。
微生物の繁殖というのは、大ざっぱに言ってしまえば基本的には植物と変わらない。水があって空気があって栄養がある、適温の場所でよく生える。そうでない環境を好むものもあるけれど、人間の口内から流出するならそのあたりの条件はどれもたいして変わらないはずだ。人の舌先から、糖も水分もふんだんに含まれた飲料水へ。楽園みたいな環境のはずだ。温度がそれなりならばなおさらだろう。
少しばかり神経質な人間が聞けば眉を顰めそうな話ではあるが、生き物の体なんてどこもかしこにもその小さな同居人を携えている。それを一々忌避する程繊細な神経はいまさら持ち合わせていない。
まぁそもそも冷蔵庫に入れていたのだから、取り沙汰するようなものでもないだろう。要するに関節キスだなと気付いたわけであるが、それに関しても強く何かを述べたいとは思わない。それこそ意中の男に素直になれない思春期の女子ではないのだから、だ。
「……」
キスというのは口腔内の雑菌を交わし、相互の免疫能力を高める行為である、とか。
「モテねぇだろうなぁ、そういうこと言う奴」
「は?」
「何でも」
空になったペットボトルは綺麗に洗い清められている。
なんとなくそれを眺めてから、ランサーは家主に自分用のマグカップを押し付けたのだった。
うぐぅああすみません何かこの心に溜まったものを少しでも吐き出したくて、いや悪いものではなく薄らきらきらしてるのに重たい金色の鉛が…そんな物語に思えました。彼らの笑顔を見れてよかったです