【HF士弓企画】誰かの献身│Missing You
HF士弓webアンソロジー企画参加作品。
企画の詳細は企画用記事をご参照ください。
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謹賀新年、あけましておめでとうございます。
拙作は[Heaven's feel]のEDまでクリアなされた方々に楽しんでいただくことを前提としています。
重大なネタバレも多数含まれますので、
これから原作ゲームを始める方、現在play途中の方は、[Heaven's feel]をplayされてから閲覧することをお薦めします。
一昨年にアニメUBWを観てマッハで原作ゲームをクリア、去年このHF士弓企画へ参加を表明し、2019年はHF士弓作品の投稿から始まる年となりました…。
内容的には、私の[Heaven's feel]ルートでの士弓的なベストシーンと、色々と大変なことになっていた士郎さんの裏では、アーチャーさんもやはり色々考えていたんではないかという妄想で大きく振りかぶりました。
勢いしかない私に今出来る精一杯のHF士弓ですので、気に入っていただければとてもとても嬉しいです。
紙媒体アンソロジーの発行が楽しみでなりません…!
※表紙画像は、紙媒体とは全く関係ございませんので、ご了承ください。
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視界が、塞がれる。
全てが黒一色に染まる。
体が、ない。
異様な喪失感に襲われる。
左肩から先が、ない。
喰われるように、蒸発するように。
腕を丸ごと、もぎ取られた。
すぐさま、閉じ込められる。
熱い。
蒸した石室か、それとも蓋をした鍋か、ジリジリと焼き焦がされる。
極小の蟲が無数、 左肩の傷口へ這い寄ってくる。
喰らうように、埋もれるように、神経へと入り込む。
侵入してきた蟲は熱にかわり、体を内側から燃やす。
細胞が、遺伝子が、焼かれる。
書き直すように、熱は拡がっていく。
のみならず、心まで燃やす───燃やし尽くす。
熱の通った跡から、変わっていく。
得体の知れないモノに変わっていく。
知るはずのない知識が、頭に直接ブチ込まれる。
それはヤツの戦闘経験であり、戦闘情報だ。
脳裏に閃く、蓄積された無数のイメージ。
その全てが、英霊達の武具。
カラドボルグ。
グラム。
デュランダル。
ハルペー。
ダインスレフ。
中でも、黒白の双剣───干将・莫耶は、あいつにとって特別なものだ。
古の刀工が作り上げた宝剣を愛用するのは、同じく鍛冶を生業とする英霊だからだ。
ただし、その制作過程は大きく異なる。
目に見たもの、理解したものならばいくらでも複製する、術者の創造理念が真作を再現する特殊な魔術によるもの。
それを使いこなせと、熱が、心を燃やす。
同時に、呆気なく気づくものが、あった。
何故、入り込んでくる情報が読み取れるのか。
何故、明らかな異物が繋がっているのに、反発が拒否反応が起こらないのか。
この左腕の主は、自分と同じ魂から派生した英霊なのだと。
衛宮士郎の目指したもの───たった一人で、信じた道を踏破した、ひとつの結末。
それが、アーチャーの正体なのだと。
***
予感は、あった。
あの蜃気楼のような『影』と、直接遭遇した時だった。
冬木市に召喚されてから九日、イレギュラーばかりが起きていた。
抑止の守護者たる自身が召喚されたのは無論のこと、間桐臓硯の参戦、真アサシン、その影。
アーチャーの生前の記憶では、あんなものはいなかった。
吹けば飛ぶ様な影自体は別の力、単なる媒体に過ぎない。
だが、あの中にいるのは、危険なものだ。
自分だからこそわかる、直観だ。
アレは、英霊になってからの不倶戴天の敵。
世界から守護者として召喚された先で、幾度となく対峙し、殺してきた…人々の身命を脅かすものだ。
すでに、街の人々から魔力───もとい、生命力を吸い上げ続けている。
一定の魔力量における成長スピードは不明だが、どのみち吸収源に事欠かない街中でなら、さほど時間は要すまい。
待ち続けた好機がきたというのに、私怨にかまけている余裕がなくなるとは、どういう間の悪さか。
私怨───それは、四回目の聖杯戦争によって起きた大火災。
自らの始まりにして、英霊となった今でも忘れ難い、原点。
より多くの人々をその身命を救うため、正義の味方になると誓い、歩き続けた男の出発地点。
同時に、耐え難い過ちの始まりでもあった。
生前は世界と契約して奇蹟を乞い、人々の身命を救うことに人生の全てを費した。
英霊になってからは、人類に重大で致命的な危機が訪れる場所に召喚され、その原因となっている誰かの命を、奪った。
多くのものに裏切られ、遂には自身の理想からも裏切られ尽くして、ここに来てしまった。
そんな魂は、信念は、きっと間違っているのだ────消し去れるものならばと、何度思ったかしれない。
間違いは、正されるべきだ。
終わらせねば、ならない。
もし、今からでも変えられるものなら、と。
いつか必ず、冬木市に召喚されることはわかっていた。
その時だけを希望にして、戦い抜いてきたというのに。
世界は余程───自分に、アレの相手をさせたいらしい。
ここに現界した今も、やることにあまり変わりがないとは…運が悪いのか、それとも悪運が強いのか。
それでも、あまり悲観的にならなかったのは、サーヴァントとして召喚されていること、まだ事が起こる前だったこと、全ての原因を摘み取れる可能性が残されているからだ。
後始末に回ることになるのか、直接戦うことになるのかはこの時点ではわからなかった。
何にせよ、あの影の中に潜む危険なもの、原因となっているものは、絶たねばならない。
***
巨人が、迫る。
暴風が、破壊が、近づいてくる。
見えなくなってもいまだ、敵を探している。
隣にいるイリヤは肩で息をしていた。
彼女の設計に、必要以上の運動能力は含まれていない。
彼女は聖杯だ。
本来の機能からすれば、人としての機能など不要なもので、組み込む必要もない。
俺自身の疲労具合からしても、限界だと悟る。
これ以上逃げることも、留まることも、出来ない。
そもそも、そんなことで今更迷うようなら、ここまで来ていない。
左腕に巻かれた赤布へ、手をかける。
魔力殺しの聖骸布。
魔力を正常化し、抑制するための魔布だ。
キツく巻かれたそれを、少しでも緩めれば、意識が持って行かれる。
肩口から全部を引き剥がせば、途轍もない痛みに襲われる。
だが、より精度の高い投影魔術を使う為には、練度も技量も足りない。
アーチャーの腕に蓄積された記憶情報が要る。
使いこなせるかどうか、ではない。
生き延びられるかどうか、ではない。
サーヴァントの腕を移植された時点で、これから先の身命の保証などないに等しい。
力が要ることは、確かだ。
そして、使えるのは俺だけ。
使えば、大事なものから壊れていく。
ヤツは、言った。
俺は俺自身に裁かれる、と。
あの影が、桜の力によるものだったことを気付きながら、たくさんの人が被害に遭った。
誰が何と言おうと、それは俺のせいだ。
けれど、悪いコトなんてしていない、とイリヤは言ってくれた。
出会ってからの俺のこととか。
公園で話した時の俺のこととか。
間違い続けたこれまでの俺に────ほんの少しだけ、寄り添ってくれた。
少なくとも、イリヤにとっての俺は、そう言ってくれるだけの価値があったのだ。
それがわかっただけで、もう、充分だった。
自分が助かった、助かることのできた奇蹟を、思う。
生存者を探して、炎の中を歩き続けた一人の男を、思う。
そこからの五年間。その男と暮らした、穏やかで楽しかった日々を、思う。
振り返ることも、思い悩むのも、ここで終わりにする───この先はそれすらも、意味がなくなる。
向こうがどういうつもりでこの腕を託したのかはわからないが、ここに残されたのは俺が望んだからではなく、あいつ自身の選択によるものだ。
あいつが、なし崩し的に力を貸すとは、どうしても思えない。
全てを承知で、託したということなら───おそらくは、あいつも状況の推移を黙って見過ごす気はなかったということなのかもしれない。
必要になるからこそ、残したのだ。
ならば、これを使うべき時は、今をおいて他にない。
***
決別の時は、すぐに来た。
状況の推移は、芳しくない。
間桐臓硯と対峙した際に現れた、あの影に潜むものの正体は、依然として不明。
冬木市街では、原因不明の昏睡事件が頻発している。
サーヴァントか、あの『影』の仕業には違いなかった。
大量の魔力を溜め込み、膨張し続けていくあれは、魂と精神を栄養とするサーヴァントに酷似した何かであるのは、間違いない。
間桐臓硯は存在を知っている素振りだったが、しきりに『有り得ぬ』と口にしていた。
影は、物質界にないものである。なら、属性は架空元素に相当するが、そんな使い手は記憶にない。
冬木市にいる魔術師の家系は遠坂家と間桐家の二つのみ、他にサーヴァントと契約できるだけの上位魔術師もいなかった。
しかし、未だ、本体らしき姿を見せないのは腑に落ちない。
影そのものは、術者の能力が与えている端末みたいなものだろう。
サーヴァントであるならば、実体化出来るだけの魔力が不足しているのか、意図的に隠しているのか、あるいは───始めから、本体などないのか。
マスターたる遠坂凛の方も、あの影がイレギュラーなことは承知しているが、正体がわからない以上迂闊に手を出すことは却って危険というのは、お互いに認識している。
そんな中、最高位に位置するセイバーが、いなくなってしまった。
最も危惧すべきは、このまま聖杯が完成してしまうことだ。
覚えている。
かつて対峙した、その醜悪さを、禍々しさを。
アレは、実体化した呪いだ。
間桐臓硯が、アレの所有者となったら───。
自分の時には、セイバーがいた。
セイバーの宝具で、アレを壊し、最悪な事態を回避することができた。
セイバーがいない今、何の手立てもない。
自分に彼女の聖剣は再現出来ない。
何も出来ない────英霊となっても、また。
何が起こるのかわからないのは、日常であれ、非日常であれ、同じこと────聖杯戦争も例外ではない。
間桐慎二が妹の桜を人質に、衛宮士郎を放課後の穂群原学園へ呼び出した。
そこで、遂にライダー本来のマスターが間桐桜であったことも判明する。
魂食いの結界を使用出来るライダーを使役する限り、無関係な人々を巻き込む可能性は高い。
それだけでなく、『マスターとして戦う』という制約を破れば、間桐桜は体内に潜む刻印虫が暴走し、魔力を得られなければ、生命力を全て虫に喰われて、死ぬ。
マスターから降ろすことはおろか、戦い続ければいつまた暴走するかわからない、という判断も間違ってはいない。
その魔術的性質から推察するに、間桐家に伝わる秘伝は『吸収』だと思われる。
ふと、気付く。
間桐桜に令呪が点った瞬間のライダーの威圧感から、魔術師としての性能は実の姉妹である遠坂凛と同格である。
しかし、出力に差が出ているのはどうしたことか。
負傷したライダーへの魔力供給や、魂食いの結界、刻印虫の覚醒により暴走したのだから、魔力量が急激に変動するのはわかるし、当人への負担も大きい。
魔術継承の期間がどれほど続いたのかはわからないが、彼女が何故───今の今まで、耐えられたのか。
魔術師としての性質や、精神力だけで決して耐え切れるものでは無いとするなら、それを可能にしている外的な要因が必ずあるはずだった。
常に自前の魔力では足りないなら、生きていくためには、他から持ってくるしかない。
前提が、ひっくり返る。
もし───彼女の体内に流れている魔力が、彼女自身が生成したものだけではないのだとしたら?
吸収の魔術は、間桐の後継者である間桐桜にもある。
霊体であるサーヴァントを実体化させているのは、マスターの魔力だ。
彼女は、その逆のような状態なのだとしたら?
なにか、他のものが、彼女に魔力を与え、生かしている。
しかし、ソレ自身も与え続けるだけではいずれ枯渇する───だから、人々から奪っているのだとしたら?
脳裏に、あの黒い『影』が、浮かんだ。
あの影も、触れたものの魔力を、吸収していた。
今の時点で、まだ、何も確証はない。
間桐桜にそんな挙動は、見られない。
気付いたことを、凛に伝えるわけにもいかない。
確証の得られない今では、間桐桜を殺すことが最も有効で簡単な方法だ。
しかし、それは単なる対処療法的な一時しのぎにしかならないし、あの影に潜んでいるモノを絶つという目的も果たせなくなってしまう可能性が出てくる。
いずれ近い内に、彼女の傍にいる少年も、気付くだろう。
雨の匂いのする教会の広場で見た少年は、明らかに───迷っていた。
誰と戦うのか、誰を殺すべきなのか、少年自身も承知している。
身近にいた少女の境涯への同情と、彼女を苦しませるものへの怒りと憎悪、気付こうとせず何もしなかった自分自身への憤りと慚愧。
それらを感じてしまった顔を、していた。
分かり切った事柄を前にしても迷うのは、臆病だからでも卑屈だからでもない───信じた心が、不安になるからだ。
それこそが、より多くの人々を救いたいと願って、その為にずっと努力をし、励んできた少年の根幹を揺るがしている。
自身も、何度となく突き付けられた選択だ。
放置すれば、十人が死ぬ。
それを予め一人の命を絶つことで、他の九人が助けられるのなら───それは、衛宮士郎がずっと否定し続け、心の奥で、受け入れていた過去だ。
そうだ。
それは───小手先で済ませられるような、楽なものではないのだ。
責任の所在。
善悪の有無。
それを問うことに、何の意味もない。
そんな決断など、出来るわけがないのだ。
それが出来たのなら、自分は英霊などになっていないのだから。
少年が今までの信念を守るのなら、それでもいい。
だが、もし───それ以外の、異なる道を選ぶというのなら、未来などない。
それは、肉体的に死ぬという意味だけでなく、精神的にも少年がそれまでの少年ではなくなる、ということだ。
失われたもの、引き継がれた夢、尊く美しいもの、それら全てが等しく無価値になる。
もう一度、心が、死ぬということだ。
そして、十年前の奇蹟のような復活が望めないことも本人はわかっている。
だから、迷うのだ。
少年の姿を見て、その全部が、わかってしまった。
同時に気付く。
生き方を変えられなかった自分とは違い、 少年は少女を殺すのではなく、共に生きることを選択するのではないかと。
自分には決して選べなかった道を、少年が歩くのではないかと。
この聖杯戦争は自身が経験した顛末とは、全く違うものになる、そう思った。
それによって齎される結果も、きっと、別なものになるだろう、と。
確証のないものは、伝えられない。
結局のところ、どちらを選んでも、どちらを捨てても、後悔はする。
善悪も、責任も、関係ないなら、あとは好みの問題だ。
今決めるべきことは、どうすればいいかではなく、今どうしたいのかだけになる。
好きにしろ───とは、そういうことだ。
決別は、終わった。
終わったのなら、可及的速やかに始めなくてはならない。
殺して断ち切るための戦いではなく、生かして流れを変えるための戦いを。
英霊になってから、ずっと感じていた義憤を胸の片隅に追いやる。
諦めたわけではない。
かつての自分を殺すこと以上に────譲れぬものが、魂の奥底で燃えているからだ。
***
赤布を取った瞬間、世界が崩壊した。
向かってくる強風の中を、進む。
前へと。
吹き付けるそれは、鋼そのものだ。
肉体が押される。
眼球が潰れる。
手を上げることも、指を動かすことさえ出来なくなる。
血液が逆流し、精神は漂白されていく。
抵抗する苦悶も上げられず、痛みを感じることさえ遠のいていく。
身体が、意識が、無感動に崩れ、白く白く、とける。
身体が敗れても、負けるものかと食いしばっている心を、保てない。
一部でも動けば、その感覚を足場にして前に出られるというのに、動けない。
左眼が、潰れる。
風鳴りに、鼓膜が破られる。
薄れていく意識と視界の中で、
────有り得ない幻を、見る。
赤い外套が、大きく翻った。
立っている。
立って、向こう側へ行こうとしている。
当然のように、鋼の風にも圧されることなく、前へ。
力が、湧く。
右手を握り締める感覚。
それを頼りに、再び、歩き出す。
隔たりを砕く為に、進む。
赤い騎士は、俺など眼中にない。
僅かに振り向いた容貌は厳しく、何の関心も見られない。
当然だ。
この結果は、判りきっていた。
自分を裏切り、手に余る望みを抱いた、その罰だ。
決して、届かないとわかっている───それなのに、その背中は明らかに。
─────俺の到達を、待っていた。
蔑まれているのか、信じられているのかは、わからなかった。
ただ、ひとつだけ、確信がある。
俺が壊れたとしても、死んでしまうのだとしても。
美しいと思ったもの、尊く感じたもの、俺の目指したもの───信じていたものは、全部あいつが持っている。
理想の果てに、英霊という形で辿り着いた赤い騎士が。
だから、大丈夫だと。
大事だったはずのものは、なくなったりしていないのだと。
壊れることも、死んだ後のことも、それさえあるのなら、関係ないのだと。
俺がこうなることをも、あいつはわかっていて、そうしたのだとしたら。
応えないわけには、───いかなかった。
いつしか、足が、駆け出していく。
赤い背中に辿り着き、突破する。
***
冬木市東側にある、アインツベルン所有の森。
イリヤスフィールを守りバーサーカーは黒い剣士────黒化したセイバーに敗れ、その亡骸はどこからともなく現れた『影』に取り込まれていった。
のみならず、瞬間的に膨張し、弾け、視界を黒に染め上げる。
心臓を貫かれ、魔力は根こそぎ持って行かれ、大した大食らいだと、どこか他人事のように思った。
敵の姿は、既にない。
マスター…遠坂凛に外傷は見られない。
あの影が放った魔力の衝撃波で、気を失っているだけだ。
自身の容態は深刻というより、決定的だった。
霊核の全損。
損耗の治癒、再生不可。
実体化形成の不全。
宝具『無限の剣製』展開不能。
左腕以外の魔術回路が全て断線。
大聖杯炉心に組み込まれたにサーヴァントシステムによる活動限界が、迫っていた。
程なくこの身体は実体化が解け、魂が聖杯へ回収されるだろう。
これで───自分自身の戦闘能力は、潰えた。
そんな状況下だというのに、
(サーヴァントとは、大したものだ)
恐ろしいほど思考は、澄み切っている。
人間であれば即死、抑止の守護者として召喚されていたとしても機械的に『作業』をこなすだけのものであり、個々の意思は必要とされない。
基本的には使い捨てだ。
壊れれば、次の分霊が召喚される。
サーヴァントシステムからのアシストなのか、弓兵のクラスに付与されているスキル『単独行動』によるものなのか───いずれにせよ、通常であればこれほど明瞭な意思は、保てない。
(時間が、…ない)
可能な限り、霊核の崩壊を押し留める。
次善の策は、考えない。その余裕もない。
正確な情報から最適な方策を選択するのみだ。
このまま何もせずに消滅することは出来ない。
傍らで気を失っている、黒髪の少女を見た。
今の自分はまだ、彼女のサーヴァントである。
マスターである少女に、危害が及ぶことは避けなくてはならない。
令呪の縛りや、単なる従者としての義務感からではない。
この現界には、それ以上の意味が、あった。
生前には気付くことのできなかった、自身の恩人に───ようやく辿り着けたのだから。
イレギュラーが発生し、サーヴァントが居なくなったとして、彼女が聖杯戦争を無条件に棄権するとは思えない。
アサシン、キャスター、セイバー、ランサーに加え、バーサーカーまでもが、あの影に飲み込まれてしまった。
あの影の正体が何であれ、放置していくことは危険過ぎる。
二百年もの間、聖杯戦争によって生じた悪夢が狂気が、更なる地獄を呼ぶというなら。
───ならば、同じく狂ったモノを、ぶつけるだけのことだ。
さしあたって、彼女の助けになるかどうかはわからないが、出来るだけの力を残していかなくては、ならない。
そして、それに足るのは、…すぐ近くにあった。
少し離れた先に、倒れていた少年を見る。
衛宮士郎。
自身のサーヴァントを失い、挑戦権を剥奪された身でありながら、たった一人を救おうと足掻く少年。
彼もアーチャーと同じく、イリヤスフィールを右腕に庇い、左肩から先が───なくなっていた。
あの影に、喰われたのだ。
一体、何の冗談だろう。
自分は霊核を破壊され、少年は左腕を失った。
あるいは、これも自らの宿命、ということなのか。
残った魔力、魔術回路、魂の端末を、左腕ごと移植すれば、とりあえず生命の危機からは脱する。
多少の差異はあろうが、元々が同じ魂から派生した同一存在である英霊だ、拒絶反応などあるはずもない。
後続から、間桐桜の指示で護衛として現れたライダーにその旨を伝えると、
「────正気ですか。そんな事をすれば、貴方は」
驚くのも、無理はない。
肉体に霊体を繋げるということがどれほどリスクのあることか。
一度でも魔術行使をすれば、内側から壊れていき、衛宮士郎という魂は霧散する。
真っ当な神経を持っているものなら、易々と行なったりはしない。
が、事態は切迫しているのだ。
この場で取れる手段にも限りがある。
「…考えるまでもない。何もしなければ、消えるのは二人だが、移植すれば確実に一人は助かる。
どのみちこの体は限界だ。このまま消えるというのなら、これをくれてやったところで変わるまい」
そう、変わらない。
大量の出血や、外傷を負ったことによるショック死は免れたようだが、何らかの処置を施さねば、どのみち保たない。
かといって、もう戦えない自分の代わりに、という意味でもない。
少年が生き延びたところで、敵との戦力の差に大きな影響は及ぼさない。
片腕だけでは宝具の解放もできず、魔術を使うには技量も、練度も、何もかもが足りない。
自分の時とは違い、明らかな準備不足は否めなかった。
極微とはいえ、魔術回路を繋げた時点で、意識の方が先に壊れる可能性もある。
ここで終わるか、後で終わるかだけの違いしかない────戦力以前の問題だ。
仮に乗り切ったとしても、そのまま何年も持たせるには、途方もない労力と、気の遠くなるような集中力を身につけなければならない。
当然、周りは止めるだろう。
彼に、左腕を使わせまいと苦心するだろう。
だが、この状況を打開するには必ず、サーヴァントの力が要る。
そして、使いこなせる可能性があるのは、衛宮士郎だけなのだ。
危険を承知で、マスターの助けになるのかわからない少年に力を託すことが、果たして意味のあることなのかはわからない。
聖杯戦争諸共に消えてなくなるのなら、それもまたいいだろう。
成否も善悪も、関係ない。
何もやらねば、ただ死ぬだけである。
自身だけでなく、周囲全てが等しく生命の危機に晒される。
地獄だ。
あの地獄が、再来する───してしまう。
アーチャーにとって、英霊エミヤにとって、その結末だけは、到底───受け入れられない。
そういうこと、それだけのことだった。
***
地面に刻まれた亀裂。
そこから踏み上がる。
風は、既に途絶えた。
思考も澄み切っている。
音が戻る。
視界が冴え渡り、どこまでも拡がる。
他の感覚もクリアになる───研ぎ澄まされている。
黒く燃える巨人───バーサーカーまでは、距離にして三十メートル。
自身の戦力は既に把握済み。
創造理念、基本骨子、構成材質、制作技術、憑依経験、蓄積年月の再現による物質投影、魔術理論・世界卵による心象世界の具現。
魂に刻まれた『世界図』をめくり返す固有結界。
アーチャーが蓄えてきた戦闘技術、実戦習得経験の継承完了。
しかし、肉体強度の読み込みは失敗。
斬られれば殺される、直撃すれば即死するのは以前と同様。
固有結界『無限の剣製』使用不可。
投影できる宝具は直接学んだもの、あるいはアーチャーが記録したもののみ。
この投影魔術の使用回数は、限られている。
引き出す宝具は、使用目的に最も適したものを『無限の剣製』から検索、複製するしかない。
それ以上の知識や情報は不要。
把握するのは、使える武装だけでいい。
注意事項など、先刻承知。
呼吸を止め、全魔力を左腕に叩き込む。
「───投影、開始」
巨人の大剣を凝視、寸分違わず透視する。
柄が形成され、桁外れの巨重がかかる。
俺自身にそれを扱えるだけの力は、ない。
これは、敵の怪力ごと複製した左腕の力によるもの。
脳の一部が壊れ、骨格が流出する魔力に耐え切れずに瓦解。
壊れた箇所は腕に補強させる。
魔術行使をバーサーカーに気付かれた。
動いた眼が、俺を敵と見なし、殺意が収束していく。
視力を正気を失い、二度の死を迎え、全身を腐敗させながらも、イリヤを守る為に、戦っているのだ。
黒く燃える凶星が、近付いてくる。
再現しただけでは、押し負ける。
かといって、単純な力比べで勝ち目などありはしない。
他の宝具を複数同時に投影は、できない。
そこまでの技量が、俺にはない。
故に、通常の投影の、更にその最上位を行うまでのこと。
脳裏に九つ。
体内に眠る魔術回路を総動員する。
使える回路の数は、およそ二十七。
錆落としもろくにしていない回路へ、全開で魔力を注いだらどうなるのかは大体予想はつく。
それでなくても、仮稼働もなしにぶっつけ本番で動かしているのだ、フィードバックが凄まじいものになるのは目に見えている。
それら全て左腕に物を言わせ、一撃の下に叩き伏せる。
眼前に迫り来る、狂戦士。
踏み込む一足と、それを迎え撃つ一足。
八点の急所───天道、烏兎、下昆、秘中、水月、明星、電光、月影に狙いを定める。
振り下ろされる音速を、神速をもって撃ち抜くのみ。
「―――全工程投影終了。―――是、射殺す百頭」
――――迷いは、もう、ない。
***
答えは、与えた。
しかし、それだけでは力にならない。
自身で力を、尽くさねばならない。
だが、この選択によって、事態がどう転ぶのかは、わからない。
それがどんな結末を引き寄せるのか、予想はつかない。
きっと、誰にもわからないに違いない。
わかっていることは、ひとつだけだ。
少年が戦わないことだけは、決してない。
技量についていけなくても、壊れ死ぬとわかっていても、渡された左腕を、投影魔術を、必ず使う。
誰に保証してもらう必要のない、規定事項だ。
全てを知ってもなお、踏み込む覚悟を持てるのは、少年が強いからだ。
数多の英霊達の持つ毅然としたものではない。
変動する現実の酷薄さ、不純に対する大きなたじろぎを見、それでも己の全てを賭けて叶えたいと思う―――譲れぬもの。
空っぽな心で独り彷徨い、養父への憧れと借り物の夢しか持たなかった少年が、随分と人間らしくなったものだと思う。
どちらにせよ、少年が誰かや何かの言いなりで決断することなど…有り得ない。
二者択一の選択肢しかないのなら、そこにないものを選ぶだけ。
あるいは、その選択の前提となっているものから破壊するのみ。
自分自身という秤を壊せないのなら、それを載せている土台を覆すまでだ。
…そうだろう? ―――士郎。
【END】