【山田太郎問題】国旗損壊罪にこっそり賛成するための山田太郎の詭弁術
高市早苗首相率いる自民党と維新の会の連立政権が、国旗損壊罪の制定に本腰を入れ始めた。言うまでもなく、表現の自由に対する重大な挑戦である。
自民党で表現の自由といえば、山田太郎だ。彼は表現の自由を守ることを第一に掲げ、自らを「コミケの英雄」と呼称してはばからない。そんな彼だが、国旗損壊罪に対しては随分と静かだ。なぜだろうか。
山田太郎の発言をすべて追っているわけではないが、ここに至るまで、彼が国旗損壊罪について何かを発言した記憶はなかった。自身の著書で、ほとんど曲解に等しいレベルの読み解きでもって共産党の公約に危機感を示しているほど表現の自由に敏感な彼にしては、目の前に迫りくる危機に対してはあまりにも鈍感に見える。
SNSで山田太郎の発言についてフォロワーに尋ねたところ、国旗損壊罪に関する以下の配信を教えてもらった。で、実際に見たところ、いつもの調子であると同時に、これが山田太郎による国旗損壊罪を「スルー」するための詭弁を形作る重要な下準備であることに気付いた。
今回はそんな山田太郎の詭弁を暴きつつ、彼のいつもの問題点を指摘する記事にしたい。
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い つ も の
なぜ「外国国章損壊罪」の話を延々とするのか
1時間以上ある山田太郎の配信をざっと見たが、彼自身の国旗損壊罪に対する見解は58分を過ぎないと出てこない。彼は「まず結論を述べる」という初歩的なアカデミック・ライティングの訓練も受けていないらしい。
山田太郎の解説についてここでいちいち整理することはしないが、重要な点として、彼の解説のほとんどすべてが「外国国章損壊罪」に当てられていることを指摘しておく。
これは奇妙なことだ。一見すると、日本国旗の損壊を犯罪化する法律の議論をする上で、では現状既に存在する「外国国章損壊罪」について明らかにしておくのは重要に見えるかもしれない。
だが、それは間違っている。なぜなら、この両者は「国旗・国章」という物体が共通しているだけで、行為の意味や保護法益は全く異なるからだ。
山田太郎も配信内で認める通り、「外国国章損壊罪」は外交上の問題を避けるために制定された背景・経緯がある。極端な話、外国の国旗を傷つけて戦争沙汰となってはまずい。そのため、こうした行為は特別に裁く法律が必要だと考えられた (それ自体の是非はさておき)。
一方、日本国旗である。日本国旗は当然のように我が国の国旗だから、これを損壊しても外交上の問題は起こらない。では国旗損壊罪は何を守る法律なのか?
問題の本質を突くのであれば、国旗損壊罪には保護法益が皆無なので必要がない、で話が終わる。
そして重要なことに、山田太郎もこの問題には触れない。一見触れているような雰囲気は出しているが、実はそうなっていないことは後に伏線を回収する。
そもそも「矛盾」なのか?
国旗損壊罪の制定を目指す人々は、外国国章損壊罪があるのに国旗損壊罪がないのは矛盾だとする。だが、ここで「矛盾」だと主張されているものは矛盾でも何でもない。
すでに指摘した通り、両者は国旗の損壊というファクターが共通しているに過ぎず、それ以外の要素はあまりにも違う。この2つを並列して考えるのは、パスタとパンは両方とも小麦を使っているのだから麺類だと主張するに等しい。
もう少し現実に即した例を挙げるなら、この2つを並列し片方だけが存在することを矛盾と主張する行為は、殺人罪があるのに自殺を罰さないのはおかしいと主張することに近い。殺人と自殺は両者とも「人の生命を害する」という要素が共通するがそれ以外は大きく違う。自殺をどう評価するかにかかわらず、自殺を罰する法益はない。(そもそも罰する相手もいないだろうが)
ごくわずかな共通点をテコに無理のある主張を押し通そうとする態度は詭弁に特徴的である。
こっそり国旗損壊罪に「賛成」する山田太郎の詭弁術
一見すると否定しているようだが……?
ここからは、山田太郎が実は国旗損壊罪に反対できていないことを指摘する。
その前提として、彼が配信で国旗損壊罪についてどう考えていると表明しているかを整理しておく。
山田太郎はダラダラと関係のない解説をして58分経った頃、ようやく自身の主張を開陳する。その内容を要約すると、「外国国章損壊罪の保護法益が外交作用なら、国旗損壊罪がないのは矛盾ではないのではないか?」ということだ。わかりにくいと思うが、実際にそう言っているのだから仕方ない。
そして、山田太郎はここから、「そもそも外国国章損壊罪を廃止すれば矛盾を解消できるのではないか?」とも主張する。
実は反対ではなく
これだけをみると彼が国旗損壊罪に反対しているように見える。だが、そうではない。
配信の当該部分を注意深く聞いてほしいが、山田太郎は一貫して「矛盾を解消できるか」という話しかしていない。ここでの矛盾とはもちろん、外国国章損壊罪はあるが国旗損壊罪はないという矛盾である。
裏を返せば、山田太郎は「そもそもそれは矛盾ではない」という主張は一切していない。
先に指摘した通り、外国国章損壊罪があるのに国旗損壊罪がないのは矛盾でも何でもない。国旗の損壊というファクターに共通点があるだけで、それ以外は全く意味の異なる行為だからだ。全く異なる2つの法律を並列し混同させる論法は、国旗損壊罪の制定を目指す結論ありきの詭弁でしかない。
故に、国旗損壊罪に反対するなら、「一方の法律はあるのにもう一方の法律はない矛盾」というフレームワーク自体を否定する必要がある。だが、山田太郎はそれをしていない。むしろ、「こうすれば矛盾を解消できる」という主張をすることによって詭弁的なフレームワーク自体を強化している。
これは非常に巧妙な屁理屈だ。配信を見た支持者からすれば、山田太郎は国旗損壊罪に反対しているように見える。が、自民党議員の重鎮からツッコミを入れられれば「あくまで矛盾解消の方法の一案を述べただけで国旗損壊罪自体を否定したものではない」と言い逃れることができる。実際、彼は国旗損壊罪それ自体を否定していない。
そして、この論法は国旗損壊罪賛成への逃げ道も残している。山田太郎はあくまで、国旗損壊罪の矛盾解消にのみ論点を絞っていた。だから、外国国章損壊罪を撤廃する格好で矛盾を解消できるのと同じくらい、国旗損壊罪を新たに制定することで矛盾を解消してもいい。少なくとも、そういう振る舞いをしても自身の言行が不一致しないようになっている。
もし支持者から批判されれば、彼は「あくまで矛盾を解消できるかという話をしただけ」と言い逃れるだろう。そして、法務省や警察庁とレクをしたといい「不当な取り締まりをしないことを確認した」と言って終わる。オタクはこの程度で騙せる。
反対ならそう明言できるだろ?
山田太郎がもしこのような指摘を受けたら、うがった見方だとか、歪曲だとか、妄想に過ぎないと主張するだろう。残念ながら、私の指摘は歪曲でも妄想でもなく、山田太郎自身の言動を虚心坦懐に読み解いたら必然的にそうなるというだけのことに過ぎない。
だが、安心して欲しい。山田太郎は私の指摘を、いともたやすく否定できる。ただ一言、何の保留も回り道もなく「国旗損壊罪には反対」と言えばいい。それで話は終わる。
国旗損壊罪の反対に何の留保も必要ない。どんな状況にあっても、国旗損壊罪が必要になることはないからだ。例えば死刑制度なら、死刑廃止派だったとしても「でもとんでもなく酷い犯罪があったら……」とか思うかもしれない。だが、少なくとも国旗損壊罪にはそんな「でも」は起こりえない。
だから、もし山田太郎が本当に国旗損壊罪に反対なら、ただ一言「国旗損壊罪に反対」と言えば済む。表現の自由を守ると主張し、自民党を内側から変えると訴える山田太郎が「国旗損壊罪に反対」と主張して困ることはないはずだ。
言えないなら、私の指摘が正しいということだ。
山田太郎には何もできない
解説なんかいらねぇんだよ
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