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モンチ流「スポーツダイレクターになるためのマニュアル」が全強化部必読過ぎたので要約してみた
Coaches' Voiceが掲載したモンチのインタビュー「スポーツダイレクターになるためのマニュアル」が、強化部の人間にとって示唆に富みまくる内容だったので要約してみました。詳細は原文でもぜひご確認ください。
・モンチはもともと、自分がスポーツディレクターになるとは思っていなかった。 ・引退後は弁護士になるつもりで法学を学んでいた。 ・ただ、現役引退が若く、1990-1999年にセビージャのGKを務めた後、1999/00シーズンにトップチームの担当者になった。 ・当時の会長ロベルト・アレスが、クラブのために多くの役割を担い長時間働いていたモンチを見て、スポーツディレクター就任を提案した。 ・当時は適性も自覚しておらず、何をするかも明確ではなかったため、自分なりの仕事の考え方を一から作っていった。
・その出発点は大きく2つ。  ・1つ目は、ロッカールームに近いスポーツディレクターであること。  ・2つ目は、可能な限り広く、厚みのあるスポーツ部門を作ること。 ・これは選手時代とクラブ内部での実務経験から生まれた発想だった。
・モンチの基本原則は、多くの選手を見れば見るほど、そして同じ選手を何度も見れば見るほど、当たる確率は上がるというもの。 ・そのため、最初から「できるだけ広いスカウティング網」を作ることに執着した。 ・これをモンチは“同心円の理論”と呼ぶ。 ・自分たちが獲得可能な市場を、近いところから順に把握・支配し、徐々に広げていく考え方である。
・セビージャ時代は、評判はあっても資金力は乏しかった。 ・だから最初からプレミア、フランス、イタリアの高額市場を追うことはしなかった。 ・まず見たのは、アンダルシア地方スペイン2部。 ・実際、スポーツディレクター就任後、初めてスペイン国外へ視察に出たのは2001年4月で、就任から1年後だった。 ・つまり最初のコンセプトは、自分たちが本当にコントロールできる範囲を徹底的に押さえることだった。
・もう一つの柱は、試合に勝たせる人たちの近くにいること。 ・モンチにとって、試合に勝たせるのはあくまで監督と選手であり、スポーツディレクターでも会長でもない。 ・だから、自分は監督と選手に近づき、彼らにとっての「道具」「伴走者」であろうとした。 ・そのために、日常の現場に常に存在し、橋渡し役になることを重視した。 ・また、選手本人だけでなく一人の人間としての状態を把握することにも執着した。 ・人として良い状態にあることが、選手としてのパフォーマンス向上につながると考えていたから。 ・選手が抱える問題を把握し、試合準備・練習・日々の仕事だけに集中できる環境を作ることを大切にしていた。
・クラブが成長するにつれ、セビージャはカバーできる市場も拡大した。 ・そこで働き方を、モンチは「粗い部分」と「精緻な部分」に分けて整理した。
・「粗い部分」では、世界中のリーグを継続的に追跡し、Aリーグ、Bリーグ、Cリーグに分類した。 ・これはリーグの強さの格付けではなく、  ・どれだけ追跡に労力をかけるべきか  ・実際にどれだけ獲得可能性があるか  で分けたもの。 ・アストン・ヴィラ時代のAリーグ相当は、プレミアリーグ、チャンピオンシップ、フランス、スペイン、ドイツ。 ・実例として、2024年1月にミドルズブラからモーガン・ロジャースを獲得している。
・サッカーで非常に重要なのは時間でもある。 ・今はどのクラブにもスポーツ部門があり、競争相手が非常に多い。 ・たとえば2003年、セビージャはウルグアイ開催の南米U-20選手権でダニエウ・アウベスを見つけた。 ・当時、その大会に正式登録していたクラブはセビージャだけだった。 ・しかし今は、同じ大会に200以上のクラブが集まる。 ・つまり今は、誰にも知られていない才能を独占的に見つけることが極めて難しい。 ・だからこそ、見るべき対象を明確に定め、無駄な対象に時間を使わないことが重要になる。 ・今では18歳の選手が5000万ユーロの価値を持つ。 ・一方、ダニエウ・アウベスは当時セビージャに90万ユーロで加入した。 ・昔はWyscoutもなく、分析プラットフォームもなく、ビッグデータもAIもなかった。 ・今のように、条件を入れれば若手候補が一覧で出てくる時代ではなかった。 ・そのため当時は、完全に現場での探索型の仕事だった。 ・どの国・どの市場に、自分たちが求めるタイプの選手がいそうかを自分で仮説立てする必要があった。
・その時代、欧州で活躍していたのは南米系の選手が多かった。 ・だからターゲットはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイなどの南米選手だった。 ・同時にフランスリーグも重視した。 ・セビージャは成長後も、スペイン国内やプレミア、セリエAの選手は高すぎて獲れなかった。 ・その点、フランスは育成が良く、サッカー教育も整い、フィジカルに優れた選手も多い。 ・結局のところ、常にやっていたのは、より安く、より高いパフォーマンスを発揮し得る“商品”がどこにあるかを探すことだった。
・選手のレポートには大きく2つの要素がある。  ・客観パート:技術・戦術・フィジカルの分析、データ、現場観察。  ・主観パート:性格、行動傾向、人間性。 ・今はSNSがあるため、主観面の把握がかなり容易になった。 ・SNSを見ることで、  ・遊び方  ・勝敗時の反応  ・自己顕示の強さ  などから選手の性格傾向が見える。 ・ただ昔はそれがなかった。 ・そのため主観面は、モンチ自身が  ・選手本人  ・家族  ・かつての監督  ・よく知る人物  と話して把握していた。
・また、レポート作成では周囲のスタッフを信頼することも極めて重要。 ・カルロス・バッカの補強がその象徴。 ・モンチ自身はアンデルレヒト戦で見た印象から、バッカに確信を持てなかった。 ・しかし周囲のスタッフは彼を高く評価しており、実際に彼らの見立てが正しかった。 ・結果としてバッカは大成功補強となった。
・モンチは繰り返し、「良い補強」「悪い補強」という考え方はしないと言う。 ・あるのは良いパフォーマンス悪いパフォーマンスだけだと考える。 ・そして、その結果を分ける重要要因が監督との整合性。 ・多くの補強失敗は、監督が必要とするタイプの選手を獲れなかったことに起因する。
・たとえば監督が、強くて、背負えて、空中戦に強い、CFを求めているのに、スポーツディレクターが、上手いが、連係型で、別タイプのFWを連れてきたら、うまく機能しない可能性が高い。 ・だから良いスポーツディレクターに必要なのは、  ・監督との完璧な連携  ・監督の求める選手像を正確に解釈する力  である。
・モンチは、監督が失敗する第一歩は、スポーツディレクターと話さずに編成を進めることだとも語る。 ・もちろん監督が欲しい選手名をそのまま決めるべきとは言っていない。 ・クラブにとって不可能な補強もあるから。 ・ただし、監督とスポーツディレクターの間に良いコミュニケーションがないと、必要な選手像の共有ができない。
・その象徴的失敗例として、モンチはマルセリーノ・ガルシアを挙げている。 ・彼を非常に尊敬している一方で、セビージャで6か月しか続かなかったのは、自分が彼に合うスカッドを作れなかったからだと認めている。 ・監督のスタイルに合う選手がいなければ、うまくいくはずがないという反省である。
・一方で、想定外の成功例もある。 ・ジュリオ・バチスタは本来、サンパウロ時代のような「5番」の役割を期待して獲得した。 ・しかしセビージャでは、その一列前に適任者が足りず、ホアキン・カパロスがより前で使った。 ・その結果、彼は2シーズンで50得点を挙げる存在になった。 ・こうした“想定外の大当たり”は頻繁には起きないが、サッカーにはそういうこともある。
・監督との関係で、モンチが経験的に大事だと感じているのが、スポーツディレクターは監督ライセンスを持たないほうがいいという点。 ・理由は、監督のライバルに見えにくくなるから。 ・加えて、監督に「クラブにとって最重要の存在はあなたである」と感じてもらう必要がある。 ・モンチにとって、チームで最も重要なのは監督。 ・有能な監督は、良い選手を非常に良い選手に、非常に良い選手を卓越した選手に変える。 ・ウナイ・エメリはその典型だと評価している。
・モンチはウナイに強い感謝を抱いている。 ・2人とも個性が強く、難しい局面もあったが、それは悪いことではなかったと振り返る。 ・実際、ウナイはPSGでもアーセナルでもモンチを誘おうとし、アストン・ヴィラでは実際に一緒に働くことになった。 ・互いをよく理解していたから良いコンビになれたと考えている。 ・ただしその関係の成功の中心には、やはりウナイ自身の一流の監督力があったとしている。
・モンチは、スポーツディレクターの仕事は補強だけではないと強調する。 ・アカデミー(下部組織)もプロサッカーの100%の一部だという考え方。 ・トップチームと下部組織に継続性・統合があるべきだが、それは義務ではなく信念に基づくべきだとする。 ・トップチームの方法論が下部組織にも浸透していれば、選手はそのメンタリティのまま昇格しやすくなる。
・セビージャでは、  ・ヘスス・ナバス  ・カルロス・マルチェナ  ・セルヒオ・ラモス  ・ホセ・アントニオ・レジェス  ・ディエゴ・カペル  など、多くの重要選手がアカデミーから出た。 ・そして彼らの売却益が、クラブの再投資を可能にし、戦力水準の維持につながった。
・ローマでもアストン・ヴィラでも、モンチの基本的な働き方は変わらなかった。 ・なぜなら、セビージャで築いたモデルを導入するために招聘されたから。 ・ローマで違ったのは、データとビッグデータを非常に重視するスポーツ部門がすでにあったこと。 ・ただ、モンチ自身もその分野に取り組んでいたため、適応は難しくなかった。
・アストン・ヴィラはセビージャやローマより資金力が大きく、プレミアリーグというさらに厳しい競争環境にある。 ・そのため、  ・プレミアに合う選手像  ・とりわけウナイに合う選手像  を理解する必要があった。 ・またプレミアではヒエラルキーも異なり、監督がボスでありゼネラルマネージャーのような存在になる。 ・しかし仕事の本質自体は変わらず、その国のサッカーと監督に最も適したプロフィールを探すだけだとする。 ・資金が多いこと自体は、本質的な仕事のやり方を変えない。 ・アストン・ヴィラでも、その時々のニーズに最も適した判断を下そうとしていた。
・総じてモンチは、セビージャ、ローマ、アストン・ヴィラの3クラブで、基本的に同じモデルを維持した。 ・もちろん、それぞれのクラブやリーグの文脈に応じた微調整はした。 ・ただし、常に同じ考え方で仕事をし、その核には3つの柱があった。
・第1の柱は、方向性の一体化。 ・クラブのすべての部門が同じ方向を向いていることが必要。 ・監督とスポーツ部門、スポーツディレクターと会長、スポーツディレクターとアカデミー責任者の関係悪化が、多くのプロジェクト失敗を招いてきた。 ・モンチは「敵は自分たちと違う色のユニフォームを着た相手であるべきだ」と言う。
・第2の柱は、計画。 ・つまりロードマップを持つこと。 ・多少の修正はあっても、「何を目指すか」をある程度明確にしておく必要がある。 ・モンチは、プレッシャーの中で下した判断は常に失敗してきたと振り返る。 ・プレッシャー下の判断は、一貫性のない仕事につながるから。 ・例外的にうまくいったこともある。 ・たとえばセルヒオ・ラモス退団後にイヴィツァ・ドラグティノヴィッチを獲得したケース。 ・ただし、通常は即興の補強は失敗する。 ・モンチは「サッカーに即興はない」と断言する。
・第3の柱は、仕事のグループ。 ・ここでもバッカ補強の例が象徴的で、周囲に彼を信じる人がいたからこそ獲得できた。 ・だからリーダーシップは、  ・絶対主義  ・縁故主義  ・独裁  に基づいてはならない。 ・基盤にあるべきなのは信頼。 ・それぞれが自分の仕事と領域を持ち、意思決定する力も持つべきだとする。
・現在のモンチは、カディス県の小さなクラブサン・フェルナンドの会長を務めている。 ・今でも、選手を勧めるメッセージや、選手について意見を求める連絡が来ることがあり、そうした依頼には喜んで応じている。 ・正直、時々恋しくなることはある。 ・ただし、短期・中期的には、自分のスポーツディレクターとしての章は終わったと考えている。

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