ホンマかいな…岡田顧問「普通にやれば8月優勝あるで」彼の説く“普通”と巨人の開幕投手・竹丸の“普通”との違い
◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」 オープン戦も終わり、待ちに待ったシーズン開幕である。今年の藤川阪神のオープン戦の成績は9勝5敗1分け。昨年以上に安定感が増した投手陣、クリーンアップの充実、そして若手の成長。石井大智投手の「アキレス腱断裂」という大きなアクシデントがあったものの、評論家たちのほとんどが「連覇は確実」とみている。岡田彰布オーナー付顧問によれば「8月に優勝が決まる可能性もあるで」という。ホンマかいな…。 ◆阪神ドラフト1位の立石、色紙に書いた1年目の目標は…【写真】 「阪神は昨年のメンバーがほとんど残っている。さらに新外国人やドラフト1位の立石が加わりプラスになっている。年齢的に見てもまだ衰える選手もおらんし現状での上積みが期待できる。他のチームと戦力レベルが違う。普通にやればええんよ」 いやいや、その「普通にやる」のが難しい。岡田顧問も監督として2度「連覇」に挑んだが、「普通」にはやれなかった。《普通にやる》とはどういうことなのだろう。岡田顧問はいろんなところでこう説いている。 「何も難しいことやない。成績の良かった選手は、もっともっと成績を上げようと変化を求めるのではなく、去年より1本多くヒット打ち、1本多くホームランを打つことを目指す。みんなが1個多く四球を選ぼうとすれば、どれだけチームにプラスになるか。変化を求めなアカンのは成績が悪かった選手。普通にやる―とはそういうことよ」 阪神の開幕戦の相手は巨人。3月27日から東京ドームで3連戦。その《開幕投手》に巨人の阿部慎之助監督はルーキーの竹丸和幸投手(24)=鷺宮製作所=を指名した。1962年、城之内邦雄投手(22歳=日本ビール)が阪神との開幕試合に投げて以来、実に64年ぶりのことという。 それほど凄い投手なのか?と巨人の担当記者に尋ねてみたが、みな「普通」という。この「普通」は「平凡」という意味だ。 筆者はプロ野球担当記者になった1979年以来、担当したチームの多くの監督から「開幕戦とは」「開幕投手とは」を教え込まれてきた。1986年に担当した阪急ブレーブスの上田利治監督はこう言った。 「開幕戦とはな、この1年ウチがどんな野球をやるのか、どんなスタイルで戦っていくのか、そのカタチを示す試合なんや。そして開幕投手とは1年間、お前を軸として回していく―と首脳陣から認められた投手ことや」 だから指名された選手は「エース」としての自覚を持ち、1年間、相手チームのエースとの投げ合いに耐え抜いていかねばならない。だが、竹丸投手の場合は少々、事情が違うようだ。担当記者によると…。 本来の開幕投手候補は昨年、自己最多の11勝(4敗)をマークした6年目の山崎伊織投手(27)だった。首脳陣は早くから《開幕投手》と定め、3月27日の開幕戦が「金曜日」になのに合わせてローテーションを組み、オープン戦で山崎を投げさせていた。ところが3月6日の金曜日にオリックス戦(京セラドーム大阪)で4イニング2安打無失点と好投したあと、右肩の異変を訴えたのだ。 「まだ、力を入れたキャッチボールも控えている状態。復帰は5月以降になるとも…」と担当記者の口調も歯切れが悪い。だからといって、即ルーキーに託すのはいかがなものか。2年連続で開幕投手を務めた戸郷がいるではないか。戸郷はどうなったの? さらに記者の言葉が小さくなる。 「戸郷はまだスランプのトンネルから抜け出せないでいるんです。思うようなスピードもタマに切れもない。桑田氏(元2軍監督)から『体(左肩)の開きが早い』と指摘されて、投球フォームなどを修正しているんですが、結果が出ない。今年のキャンプから腕を下げてサイドスロー気味に投げていますが…」 阿部監督とて好き好んでルーキーを開幕投手にしようとは思わない。だが、本命の山崎が倒れ、戸郷も悩みのどん底状態。かといって田中将大投手(37)や新加入の則本昂大投手(35)に巨人の「開幕投手」を託すわけにもいかない。それなら、オープン戦で13イニング連続無失点を続けていたドラフト1位に―と思っても仕方のないところ。 「阪神の開幕投手は村上ですしね。それならデータのまだ少ない竹丸をぶつけて、もし勝てば大きな自信になり飛躍するかもしれない。たとえ負けてもいい勉強になる。3連戦のうちのどこかで投げさせようと思っていたようですし、それが1戦目になった―ということです」 まさに《苦肉の策》。とはいえ、オープン戦最後の先発オーダーを見ても、まったく打線に怖さがない。これが今の巨人軍?―と寂しくなる。大リーグへ行った菅野智之投手や岡本和真選手の穴を埋められず、自前の主力選手をつくれずに世代交代にも失敗。球団編成のちょっとした油断が招いた結果―と言われている。 阪神の歴史の中にもルーキーが開幕のマウンドに立ったことはある。だがそれは、1955年(西村一孔投手)のこと。1950年にセ・パ2リーグに分かれ、まだ選手が不足していたころのことだ。そして1987年、新外国人選手のマット・キーオ投手(当時31歳)が開幕投手を務めた。85年に球団史上初の「日本一」になった第2次吉田義男体制の3年目のことである。 日本のプロ野球を経験せずにいきなり開幕戦のマウンドに立った外国人投手はキーオ投手が初めてだった。87年の吉田阪神は開幕直前に主砲・掛布雅之選手の「飲酒運転騒動」が起こり、掛布選手自身も腰痛で苦しんだ。選手補強も「日本一になったのだからまだ大丈夫」という油断が球団にあったのだろう、投手陣が一気に弱体化。開幕投手のキーオは規定投球回数に達したが、その他の投手で到達したのは仲田幸司投手のみ。主な投手の成績は次の通り。 M・キーオ 11勝14敗 仲田幸司 8勝11敗 池田親興 5勝13敗 伊藤文隆 0勝 9敗 工藤一彦 3勝 9敗 猪俣 隆 5勝 7敗 中西清起 6勝 8敗 14S 打線ではバース選手が打率・320、37本塁打をマークしたものの、主砲・掛布選手は腰痛が響き打率・227、12本塁打。岡田選手会長も打率255、14本塁打。チーム成績41勝83敗6分け。勝率・331という惨憺たる成績で最下位に沈んだ。2001年まで15年間も続く、タイガース《暗黒時代》の始まりがこの87年なのである。 キーオ投手の開幕投手起用は決して《奇策》ではない。その年のオープン戦で安定した成績を残していたし、2年目は12勝12敗。3年目は15勝9敗―と主力投手としてしっかり務めを果たした。 実はキーオ投手と筆者は同い年。すぐに仲良くなった。彼は日本語を話すことに執着し、試合後の記者会見も自ら日本語を話そうとする。キーオ投手のお父さんもプロ野球選手(打者)で1968年に南海ホークスで1年プレーしている。その時、13歳のキーオ投手も一緒に来日、日本で暮らしていた。その時テレビでよく見ていたのがNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」。そして一番好きだったのが島の大統領ドン・ガバチョ。 「これまで日本に来た外国人選手でドン・ガバチョを知っているのはオレぐらいだ」と胸を張り、オールスター休みに宮崎へ家族旅行に出かけ「その間、1度も英語を使わなかった。凄いだろう!」と自慢。担当記者みんなで「けったいなヤッチャな」と言っていたら。それまで覚えてしまう。村山監督時代になって「ウチノカントク、ヒット、バント、ヒット、バント バッカリ。ケッタイナヤッチャ」と笑っていた。 そのキーオ投手も今はいない。2020年5月に「肺血栓塞栓症」(別名エコノミー症候群)で急死。65歳だった。改めて冥福を祈りたい。 今年の開幕戦が巨人にとっての《暗黒時代》の起点にならなければいいのだが…と心配している。えっ、そんな心配していたら、竹丸投手にコロッと抑え込まれるって? そうや《初物に弱い阪神》というジンクスがあったんや! ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の70歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
中日スポーツ