村山富市氏はガザを訪れた日本の唯一の現役首相だった ―戦争を経験した首相はパレスチナ和平を真摯に考え、パレスチナ国家承認を視野に入れていた
12月29日付の朝日新聞にパレスチナ自治政府のアッバス議長が日本政府にパレスチナ国家を承認してほしいと発言したという記事が掲載された。今年は9月の国連総会開催に合わせてフランス、イギリス、オーストラリアなど米国の同盟国が続々とパレスチナ国家を承認したものの、日本政府は承認を見送った。人道外交議連の阿部知子議員(人道外交議連事務局長)、近藤昭一議員(人道外交議連幹事長)らを中心にパレスチナ国家承認を求める206人の議員の署名が集められたが、こうした議員たちの熱意は届かなかった。
石破首相は、国連の一般討論演説で、パレスチナの国家承認は「するか否かではなく、いつ承認するかの問題だ」と述べたが、直前に米国のトランプ政権から日本政府がパレスチナ国家を承認しないように要請されたという報道があった。米国の有力な同盟国がパレスチナ国家承認を表明していたので、日本にとってもパレスチナ国家承認の絶好の機会だった。トランプ政権の報復を恐れた外務省の決定は「chicken(チキン、臆病)」と言われても仕方ないだろう。
日本の首相でガザを実際に訪れたのは、今年10月に亡くなった村山富市首相で、現役の首相がガザを訪問したのは後にも先にも村山氏ただ一人だ。村山氏が訪問したのは、1995年9月で、その2年前の93年9月に「暫定自治に関する原則宣言」(通称オスロ合意)が調印され、村山氏の訪問はその調印の当事者であるイスラエル・ラビン首相が暗殺される2カ月前、翌年強硬なネタニヤフ政権が誕生する前だったから、まだまだ和平への気運が見られる時期だった。
村山首相は、今回のイスラエルの攻撃ですさまじい破壊の対象となったガザ・シティにあったアラファト議長の事務所(実質的な大統領府)でアラファト議長と会談を行った。会談後、村山氏はヨルダンに入り、記者会見を行ったが、その冒頭で日本が中東地域の平和と安定、そして繁栄のために積極的かつ建設的な貢献を行う用意があることを強調した。また、日本がパレスチナ・イスラエル間の、またシリア・イスラエル間の和平交渉の努力を側面から支援する決意を明らかにし、自衛隊がシリア・イスラエル間の平和維持のためにゴラン高原における「国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)」に参加する準備を進めていると述べた。
UNDOFは、イラク戦争の際に米国の戦争の事後処理のような形でサマーワに派遣された自衛隊の役割とは異なり、国連の権威の下に平和維持活動の一端を担うもので、あくまでイスラエルとシリアの間に入って両者の兵力をその言葉の通り引き離すために駐留するものだ。双方が戦闘になりそうになれば、撤退することが前提とされ、自衛隊が戦闘の主体となることを想定するものではまったくない。護憲の立場を訴え、また国連の集団的安全保障の中で日本の役割を考えた村山首相にとっては、理想的な自衛隊の海外での活動だったかもしれない。村山首相のガザ訪問の翌年である1996年からUNDOFに派遣された自衛隊は、2011年の「アラブの春」を契機にシリア情勢が悪化すると、その安全を考えて2013年に撤収した。
パレスチナ人に対しては、1993年秋に約束した2年間2億ドルの支援を日本は果たしていたが、同様な支援を村山氏の訪問後も継続して行い、パレスチナ評議会の選挙監視にも人員を派遣するなど、人的・物的支援を行う決意を表明した。
村山氏は戦後80年に当たる今年の1月に大分合同新聞の取材に文書で回答し、戦中・戦後の経験について「死んだ友人たちのことを思い、戦争なんか絶対にしちゃあいかんと心に刻んだ」と述べているが、ガザを訪問した際にも度重なる戦争によって犠牲になるパレスチナ人の困難について関心を寄せたのだろう。パレスチナ問題に強い関心がなければ、交通の便が良くないガザの地にわざわざ足を踏み入れることなどない。同じ大分合同新聞の取材に対してウクライナやガザの問題についても触れ、「何の罪もない一般市民が戦争に巻き込まれ、多くの女性や子どもたちの未来が奪われていることに大変心が痛む」と述べている。
いわゆる村山談話の発表は、このガザ訪問直前の95年8月15日の終戦記念日に行われた。村山氏は同じ大分合同新聞の記事で、「過去の誤りを認め、謝罪と平和国家を表明することがアジアの国々への信頼拡幅につながり、それは日本のためにも必要だという未来志向に基づいている」と述べた。村山談話では、独善的なナショナリズムを排し、国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義を広める決意が表明された。
パレスチナ問題にほとんど関心がないように見える高市首相は、村山談話については勝手に謝っては困る、首相になれば新たな歴史見解を発表して村山談話を無効にするなどと主張していた。また、「『国策を誤り』とあるが、それでは当時資源封鎖され、全く抵抗せずに日本が植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」(2013年5月のNHK番組)とも発言していた。資源封鎖されたのは、日本が国策を誤った結果であるという認識がこの人にはないらしい。首相に就任すると、歴代首相の歴史認識を引き継ぐと述べるようになったが、村山談話で否定した独善的ナショナリズムは、存立事態に関する発言などに接すると彼女の発想からは消えていないように見える。
※表紙の画像はガザの会談場に到着、パレスチナの民族歌を聞く村山富市首相(左)とアラファトPLO議長=1995年9月18日午前、イスラエル・ガザ市のアラファト議長事務所で(共同)



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