【HF士弓企画】あっとほーむ・あふたーぐろう
HF士弓webアンソロジー企画参加作品。
企画の詳細は企画用記事をご参照ください。
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※タイガー道場の回収済を推奨します。ご了承下さい※
明るいアットホームなHFを目指しました。リリカルコメディです。
嘘です。
きっと、もう風は吹かない。それでも。
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ただいま、と声を上げたのはもちろん何かしらの応えを期待したわけではなく、単に強固な習慣づけからだったのだが。
誰もいないはずの居間からだだだだだーっとでかい足音が駆けてたちまち俺の前へと躍り出てきた。
そして狼狽する間もなく一言。
「おかえりなさい小僧! お風呂にする? ごはんにする? それともわ・たわばぁっ」
アッパーカットがクリンヒット。音を立てて無様に倒れこむ男。
──実にリアルな幻覚だった。視覚的にも聴覚的にも触覚的にも精神ダメージ的にも。
いくつかの選択肢が提示された気がしないでもないが全てのフラグをへし折って今日はもう寝ることにしましょう、と足を進めかけるとガシッと足首を掴む手。
勘弁してほしい。ややこしいことはこれ以上考えたくないのだ。ただでさえ大きすぎる問題をどうするかで手一杯だっていうのに。
ぎぎっと油の切れたブリキのおもちゃみたいに俺が振り返るのをわざわざ待って奴は
「逃げるな」
などと無茶を言う。
「その図体にそのセリフで逃げない奴がいるかどうか胸に手を当てて考えてみろ」
黒い軽鎧に加えて黒いエプロンの上から、男は言葉通り胸に右手を当て──ふんだんに隆起した胸が今はただ見苦しい──足首から手が離れた。チャンスとばかり走り去ろうとしたら後ろから奴の声がする。
「衛宮士郎は逃げまいよ。逃げられまい」
「……逃げられたくない、ではなく?」
なんとなく言ってみて、いくらなんでもそれはないなと思い直す。態度の端々及び本能的に判断するに、こいつは俺のことが嫌いらしいのだから。
「そうとも言うな」
だから淡々と肯定を返されて目を剥く。
「……頭大丈夫か」
「さあ。そのあたりのことを、夕食と一緒に考えようと思うのだが」
食べるだろう、と立ち上がってさっさと先を行くので、とりあえず全てのクエスチョンを投げ捨てて後に続く。
投げ捨てたところで初めて思い至る。
あいつなんでここにいるんだ。
アーチャーは英霊に登り詰めたエミヤシロウである。
エミヤシロウは料理ができる。
則ち、アーチャーは料理ができる。
そういうわけで俺は男の料理の腕を疑うということはしていなかった。むしろ理想型云々を抜きにしたって重ねた年輪の分だけ上達していたっておかしくないと。
だから食卓を見た時に胸の内に湧いたのは嫌悪とかより先に、斬新だなあ未来の調理法かな、などという呑気な感想であった。
夕食とやらはカレーの大皿にサラダ、それに何故か味噌汁だった。
──多分、敢えて名前をつけるならそうだった。
「どうした小僧、今頃風呂のほうがいいとでも言うのか。それともわた」
「いただきますというか『ご飯にする』とも言ってねーぞ」
とりあえず一番まともそうに見えた味噌汁に口をつけてみる。辛うじて味噌らしき味はするが、それ以上に泥っぽい味が凄まじい。豆腐もわかめも油揚げも全てが煮崩れていてドロドロの一緒くただ。
「食べられなくはない。何が何だか分からないけど」
「それはなによりだ」
言うに事欠いてなによりときた。先ほどの三段論法に欠陥があったのか。どこかの俺がお前に至る十数年間で脳にマシンガンでも突っ込まれたんじゃあるまいな。
「メインも食べてみろ」と宣うので俺は大皿……ではなくその横に寄り添うサラダに箸を伸ばす。
この世全ての澱を煮詰めた土から育てたかというえぐみと辛みが襲いかかってきた。
まず見た目がよろしくない。水分が飽和して茶色に変色したレタスなぞ三角コーナー以外で初めて見た。トマトに至っては球状を完全に放棄したおかげで種入りの黄色いドレッシングと化している。
ありったけの非難を込めて男を睨むと、こんな料理を出したはずの張本人はどういうわけか満足気に笑う。
「なんだよくわかっているじゃないか」
「何が」
苦心しつつ再びサラダに手を伸ばす。これだけは完食しなければならない。他は日持ちがまだ効くが、これは生野菜のはずなのだ。たとえこれ以上どうしようもないほど腐りきって原型を留めていないとしても、放っておいていいはずがない。
「私はメインも食べろと言ったんだ。そしてお前はサラダを選んだ。私に対する反骨心からというならそれはそれで構わんが」
アーチャーは徐ろに二度、手を打ち鳴らした。途端、カレーとサラダの皿が入れ替わった。カレーは小鉢へ、サラダは大皿へ。
「これらは簡単なアナロジーの産物に過ぎん。ついでに言えば元は私が用意したものでもない。私は、少し量を増やした上で、私自身の基準で皿に載せただけだ。それをお前は否定した。まだお前はお前として生きている、ということだ」
「……よくわからないけど、カレーを大皿に載せたのは間違いじゃないだろ。普通誰だってそうする」
「お前はそうしないだろう」
「……」
何も返せなかった。どうしたってサラダがメインで、大皿一杯のそれを食べ切らなきゃいけない、と思っている。のに、理由がわからない。
「急くのは勝手だが。貴様に必要なのはまず味噌汁だ。……これに関して言えば、どんな時もな」
一人で勝手に納得して、小さな椀に盛られたどろどろの汁を、アーチャーは手ずから注ぎ足していく。
──正確には、アーチャーの腕から雫が血のように流れ出している。褐色の吸い物は腕を伝って落ちている。
「おまえ」
「ああぶどう酒じゃなくて悪かったな。まあ貴様と俺には高尚すぎるか」
「そうじゃなくて! 勝手に出迎えて勝手に身を削る気かよ!」
「身を削るもなにも、元から私は既に無い身。貴様が私の力を解釈し取り込むためにイメージ付けをするのならともかく、こうして真っ当に話が通じているなどあってはならない」
「あってはならない……?」
無理に理解しようとしないで、遠い彼方から誰かの声がする。極天に無理に近づいても壊れてしまうだけよ。
だが俺は──よく覚えていないが──その精神の死を乗り越えたはずなのだ。結果時限爆弾にスイッチは入ったが、確かに一度祈るようなその背を掴み、その前に立った。
「聞け衛宮士郎。この私は衛宮士郎を限界まで鍛え上げた、貴様にとっての一種の理想像ではない。その左腕を力の源泉として機能させるための最低限の意識の残滓……言わば英霊の腕の保存剤にすぎん。そんなものとまともに会話ができてしまうなど、今の貴様の精神は推して知るべし、ということだ」
「──は」
「よし絞れた」
「は?」
アーチャーは元の水位まで補充した味噌汁もとい衛宮汁を差し出してきた。冷めるぞなどとのたまうので再びすする。よくよく味わってみれば鉄やお焦げの金臭い味も感じ取れた。
アーチャーを食べているんだよな、と思うほどの嫌悪感は不思議と湧かない。これまでアーチャーを受け入れるたびに許容量を超過する激痛や欠落を味わっていたと思えば、多少不味いくらいは上々だろう。むしろ相手が呑気すぎて会話の調子が狂う方が気になった。
「お前こそ、そんな残り滓から更に絞り出して大丈夫なのか。いや……というか、本当にお前が残り滓だっていうなら、何を絞り出しているんだこれは」
聖骸布に包まれた左腕を見て、それからアーチャーの、先の千切れた左肩を見る。アーチャーが消えるのはさておき、英霊の腕ごと消えるのは大変困る。
「私は卯の花だ」
うのはな。
「そして私はそのうちの人参や椎茸や出汁……お前が私に勝手に付け加えた分を選別して、少し嵩を増やして、お前に返しているだけだ。返しきればまたおからに戻る。この並んだ料理もどきは私が用意したわけではないと言ったろう」
「喩えがいちいちアットホームなの何とかならないのか……」
しかもその喩えが迂遠すぎるのかやっぱりよくわからない。ええと、つまりこれはアーチャーを食べているわけじゃなくて、俺が勝手にアーチャーに付け加えたもの……? アーチャーに付け加わった……。
「いやにのんびりだったり、家庭的だったり、あと出迎えの時のアレとか……か、もしかして? な、なんでさ?」
そんな属性がアーチャーにあったところでちっとも微塵も嬉しくない。まあそれを言い出すと、命の恩人とはいえそもそもアーチャー個人が俺にとってあんまり嬉しくないんだけども。本当はもういないはずの奴だとか、どこかの平行世界の自分だったとかそういうの抜きにしても、好きとか嫌いとか、そういう線上にないんだ。
「家庭的……言われてみればそれも含まれるのか」
「え」
「なんでもない。つまり、『人に対するイメージ』というラベルをまとめて全て私に仮託するほど、お前の中身は空っぽだ。『話の通じる他者』『直視できる他者』が最早いなくなったと言ってもいい。そんな大きなラベルを貼り付けられて私が未だこの程度の崩壊で済んでいる方に危機感を覚えろ。貴様が辛うじて記憶している、理想の相手のイメージが、既にそれだけ少なくなっているということだ」
少し理解が追い付いてきた。要するに、夢の中の登場人物が、性格はそのままに全部アーチャーに置き換わり集約されているようなものなのだ。そしてそれにもかかわらず、元のアーチャーが崩れていないということは、それだけ他の全てが曖昧になっているという証左なのだと。
それは。
「それは駄目だ。─を、助けに行けない」
名前が出てこないのは承知の上だったが、姿かたちすら思い出せないことに愕然とする。そしてなぜ今まで自分の家で日々を過ごしていたかも理解した。覚えているのが、ここしか無かったからだ。そして『あそこ』で苦しんでる──を助けに行こうにも、誰をどう助け出せばいいのか、壊れきった頭では整理ができず、ただ焦燥感に囚われたまま無為に心が砕けていくだけだった。
「だから私が整理した。足りない分は『私』の腕のなけなしの記録から補った。……それに問題がないとは言い切れないが、このまま壊れるよりはマシだろう。お前が覚えていたのは二人分。うち一人はお前自身の矜持、目的、宿命、そういったものだ」
「それがこの味噌汁もどきか」
「最低限それだけは完食しておけ」
アーチャーが三杯目を差し出す。杯を重ねるごとに徐々に泥の味は薄くなっている気がする。慣れただけかもしれないが。残る鉄と焦げの味は甘んじて味わう。
「もう一人はお前の一番大切な者。世界を敵に回しても味方になると決めた人」
饐(す)えた匂いのする大皿のサラダ。アーチャーが嵩増ししたおかげで、名前と姿くらいはまた思い出せるはずだ。いや、既に色んなことを思い出せている。
のんびり屋で、料理はみるみる上達して、好き同士になれた、俺の恋人。
「……ってちょっと待ってくれ。この……カレー、はどこから来たんだ……?」
果たしてこれをカレーと、成れの果てでさえ食物と呼んでよい代物なのかを躊躇する。全体が白くて、てらてらと光って、ぬめり、……そこかしこに蛆が蠢いている。
「……それに関しては、お前に残っていたのは助けに行かなければ、という意識だけだった。それを私がカレーに仕立てた。もっとまともな姿にしなかったのは、あれに何があったかを残して貴様が思い出す縁にするためだ。……あれはきっと嫌がるだろうが。それに手をつけるのは最後でいい。今は自分を取り戻す方が先だ」
最早一つのバッドエンド/ある種のハッピーエンドは覆らない。
きっともう、住んでいた町は無い。
彼女たちの心は、俺よりずっと、壊れてしまったかもしれない。
それでも。
「それで彼女が少しでも、泣かずに済むのなら……」
俺はまだ、立ち上がらなくちゃならない。
──違う。立ち上がりたいんだ。
「ありがとう。また助けられた」
四杯目を絞り出そうとしているアーチャーに素直に礼を言うと、アーチャーは苦味を含んで笑った。
「礼を言われる筋合いはない。何せこの結末を導いてしまったのは、もしかすれば私の執着かもしれないからな」
本来、潔く終わらせてやるべきだったのに、と。
何か辛い光景が頭に引っかかるような気がした。わからないほうがいい、と弓騎士はそれを諫めた。
他に言っておくべきことは、と遡って考えて、思い出したくないことまでうっかり思い返してしまった。
「その……俺の中の─のイメージ、とはいえ……あんなことさせて悪かった、な……」
「……いや。予想していたほど嫌では、なかった」
「えっ」
「……まあなんだ。オレがお前の理想足りえるように、お前もまた私の理想足りえたからかもしれないな」
──ファム・ファタルに会いに行こうとしてたらいつのまにかドン・ファンに口説かれていた。
「ほれ、まだ絞れるぞ。それとも一旦休憩して風呂か? それともわ・た・」
「もうやめてくれというか別にあいつにそんなことさせたいとか思ってねえぞ俺は!」
「一度くらいきちんと言わせろたわけ!」